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道重さゆみ論 「ラララのピピピ」と無限の自己肯定

汲めども尽きぬ自己肯定

アイドルに疎い私が、道重さゆみ(元モーニング娘。)の存在を知ったのはごく最近なのですが、その圧倒的な自信、汲めども尽きぬ自己肯定に感動し、「この人はいったい何者なのだろうか」と驚きました。彼女はなぜ、これほどに自分を慈しみ、愛せるのか。たいていの人は、自己イメージの低さに悩んでいます。自分のちっぽけさに悲しくなり、どうすれば自己イメージを高められるのかわからずに苦しむ。だからこそ、彼女の内側からひとりでに湧き出てくる、「よし、今日もカワイイぞ!」というセルフ・エンパワーメントに感動を覚えるのです。もちろん道重といえども、グループのリーダー役としての重責や不安、無力感に苦しむことはあったと聞きますが、ひとたび鏡の前に立てば「よし、今日もカワイイぞ!」とみずからを鼓舞する言葉がひとりでに湧いてきます。

こうした道重の限りない自己肯定を、楽曲としてほぼ完璧にパッケージングしたのが、彼女のソロ曲「ラララのピピピ」(2012)です。道重のためにあて書きされた歌詞は、Perfume 風のハウストラックにのせて軽快に歌われますが、楽曲を聴き終えて気づくのは、この曲は最初から最後まで自分を肯定しかしていないということです。「私はカワイイ、私はどんな服を着てもどこへ行っても最高の存在だ」と自己をひたすらに賛美する曲が「ラララのピピピ」なのです。それ以外の要素はありません。歌詞全体にみなぎる、攻撃的なまでの自信がみごとではないでしょうか。まずは楽曲を聴いてみましょう。

なんでこんなカワイイか、罪な私

「なんでこんなカワイイか/罪な私/これも運命と言うのでしょうか」との歌い出しから、聞き手を煽るほどに自信たっぷりの「カワイイ私」が、余裕に満ちた姿勢を誇示します。やりすぎではないかというほどの自己肯定が炸裂する「ラララのピピピ」ですが、このような歌詞が、決して嫌味にも自虐にもならず、ポップソングとして魅力的に成立するのは彼女ならではです。道重以外の歌い手がこの曲を歌ったとすれば、どこか場違いに感じられ、白けてしまう可能性があるかもしれません。この思い切った歌詞と曲を、狙い通りのニュアンスで聴き手に伝えられるのは彼女だけなのです。その驚くべきバランスのよさをぜひ味わってほしいと思います。

ここまで大胆な自己肯定を見ていると、ついヒップホップにおける boast(自慢)文化と比較してみたい誘惑にかられます。果たして、道重はヒップホップなのでしょうか。「俺はすごい!」と主張する boast はヒップホップの重要なモチーフです。自慢する内容はなんでもかまいません。大金を儲けた、高級車を買った、女性にモテる、本物のギャングスタだ、銃で何人撃った……。聴き手も、それが誇張であることはよくわかっています。誰も歌詞の内容をすべて本当だとは思っていないし、より大げさに語るほど、そこに独特のユーモアが生じ、「ありえない」という極端さが笑いに変化します。だからこそ boast には活気があり、楽しいのです。現実の自分がどうであれ、まずは自己を肯定するために boast すること。それが、ヒップホップにおけるセルフ・エンパワーメントの手段でした。では、道重の「よし、今日もカワイイぞ!」は boast の日本的解釈と考えていいのでしょうか。

生まれつき満ちあふれる自信

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私は、道重の自己肯定は boast とは異なると考えています。思うにヒップホップの boast には「虚勢」のニュアンスがあります。ラッパーたちは、自分の現実の姿をわかった上で、あえて虚勢を張っているのです。そこに「持たざる者」ならではの悲哀や決意が込められるわけですが、一方で道重の「よし、今日もカワイイぞ!」は決して虚勢ではありません。彼女は心からそう思っているし、その自己肯定は本物なのです。道重が「よし、今日もカワイイぞ!」と言うとき、彼女は心の底からそう信じています。生まれつきの自信に満ちあふれているので、わざわざ boast する必要がないのです。その揺るがぬ自信が、彼女の輝きの源泉になっている。だからこそ道重はアイドルとして一流なのかもしれません。

私が非常に気に入っている道重のエピソードに、オーディション応募時の話があります。彼女がモーニング娘。のオーディションに応募した際、当初から「必ず受かる」という自信があったといいます。唯一の気がかりは山口県出身なことであり、「こんな田舎者は書類選考で落とされて、東京の事務所には入れない」と不安に思っていたそうですが、一次の書類審査に受かったことで「山口でもイケるなら、もう私は受かった」と確信し、その通りに合格したという話でした。この突き抜けたエピソードを披露したラジオ番組(*1)でも周囲は笑いに包まれるのですが、「絶対落ちないという感覚があった」と言えてしまう道重と、それを笑えるトークに変換できるバランス感覚のよさにほれぼれしてしまいます。

彼女がすばらしいのは、途方もない自己肯定を隠しもせず、一方で、度を越した自信家である「道重さゆみ」というキャラクターを、客観的な立場からユーモラスに提示できる器用さ、主観と客観の絶妙な往復にあると思うのです。こうした道重の複雑なキャラクターを、そのまま楽曲の構造に置き換えて成立させてしまった「ラララのピピピ」は、理想的なアイドルソングと呼ばざるを得ません。「やっぱ今日もカワイイや/罪な私/愛嬌も天才の一種でしょうか」という歌詞は boast めいた冗談とも取れますが、道重は本気でそう信じてもいます。この「冗談でもあり、本気でもある」という二重性は「‪ラララのピピピ」という楽曲のエッセンスそのものであり、道重にしか表現できない繊細なバランスなのです。

*1 2020年5月30日 ナイツのちゃきちゃき大放送 ゲスト出演時のトーク

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