【LIVE名盤】”Bob Dylan / The Band – Before The Flood”(偉大なる復活)
1966年の悲劇のバイク事故の後に、アルバムはリリースするもののライブ活動を凍結していたボブ・ディランが盟友ザ・バンドとともに再開した1974年の衝撃の全米ツアーの模様を収めたライヴ盤『偉大なる復活』(1974)です。
ディランのその頃までの経歴をざっくりと振り返り、この全米ツアーの後に行った後のアルバムとツアーについては、こちらで記事にしています。
改めて読み直すと、本当にざっくりで恐縮してしまいますが・・・
70年代初頭のミュージシャンやファンの関係は、真面目というか真摯というか真剣というか、かなり熱い関係性の中で対峙てしていたようです。単なる趣味の領域を超えていた部分があったことは間違いないようです。
音楽性の変化をミュージシャンへの過激なバッシングで、当に攻撃という表現が相応しいような反応でミュージシャン自身を非難することが許されていたようです。今のようなSNSが当時あったのなら、かなりの炎上案件として扱われていたと思います。
当時、音楽関係について情弱な体育会系小僧だった私には、年上のお兄さん達が何か騒いでいるといった程度しか分からずに、ラジオから流れてくる楽曲とだけ接する毎日でした。このディランにしても「フォークの神様」以外は何も知りませんでした。今考えると怖いですね。そんな中で耳にしたこのアルバムの曲には衝撃を受けました。「凄い、ちゃんとバンドアレンジだ(苦笑)」。同じ衝撃を吉田拓郎の『Live ’73』でも受けました。(いつか記事にしたいと思っています)
音楽関係に潤沢に支出できるほどの余裕が無い中で、ライブ盤は「知ってる曲もたくさん入っていてお得」と音楽性とは全く関係ない理由で、このアルバムもほとんどリアルタイムでアルバムを購入していました。多分これも「風に吹かれて」くらいしか知らなかった私には「拓郎が好きなミュージシャン」というのが理由だったように思います(汗)。
肝心のアルバム紹介記事はここからということでm(_ _)m
先に触れた音楽性の変化に対してのファンの過激な反応に辟易としていたディランでしたが、彼が仕掛けた復讐劇がこの74年のツアーだったようです。未だ黎明期とはいえロック・ビジネスが巨大化する中で、自身の音楽活動とどう折り合いをつけるのか模索していたようにも思います。
そして行われたツアーは74年1月から6週間に渡り全米主要21都市40公演というもの。しかもほとんどの会場が当時すでに人気だったプロ・スポーツが行われるスタジアムやアリーナ中心という大規模なものでした。
期間中に演奏された37曲の中から、ともにツアーを回ったザ・バンドのオリジナルも含めて21曲がこのアルバムには収められています。USチャートで最高位3位を獲得。UKチャートでも8位、RIAAではプラチナディスク認定されています。
原題の単純和訳は「洪水の前」、ツアーを挙行したディランの決意を思うと、なかなか意味深です。ディランとも個人的な関係にあったポーランド人の作家の小説からとったものとされていますが、邦題の方が素直で分かりやすいですね。何せ8年ぶりの大御所のコンサートの記録ですから、こうしたタイトルを付けたくなるのもよく分かります。ただそれも、その後のディランの活躍があってこそ、ディランの偉大さを改めて感じます。
コンサートのオープニングA1。観客のディランをステージに迎える期待の高さが伺えます。そしてシンプルなイントロからのデイランの歌い出しは、特に高揚する様子もなく、かといって冷めた様子もなく熱く「俺は自分の道を行く」と決意表明のような選曲です。このライブ盤を聴くまでこの曲は知りませんでした。ただこの曲の熱さは伝わり一気に聞き入ってしまいました。
ツアーの中でほとんどの会場でのセットリストではこの曲がオープニングを飾りました。ところがツアー初日のシカゴ公演では「Hero Blues」でした。激しく挑戦的な歌いぶりで「お前は俺のことを英雄にしたいようだけど、そんなのお前の勝手な思いだろ。お前には別の男が必要みたいだな」。まさにこのツアーでディランが伝えたいメッセージのように思います。この曲については事前にほとんどリハーサルがなされていなかったようです。しかもオリジナルはアウトテイクということで耳馴染みもなく、観客だけでなくバックのザ・バンドのメンバーも急遽のセット・リスト入りに驚いたそうです。
しかし実際にはこのシカゴでの2公演だけで、それ以降はリストから外されています。これは思いが伝わらなかったというよりも、彼の頭の中には別の理由があったのだろうなと、前向きに解釈しておきましょう。
最近リリースされたツアー全記録のCD27枚組では補正された音源を聴くことができますが、非公式のブートレッグ音源はYouTubeにもありました。
公演のほとんどのセットリストでも2曲目に演奏されたこの曲は、アルバムでもA2に収録されています。この曲も私には初聴でした。オリジナル(1969)と比べるとバンドの演奏はかなりへヴィーで迫力満点。ロビー・ロバートソンのこれでもかというしつこいリフが堪能できます。
このアルバムは聞きどころが多過ぎです。ディランのアコースティック・セットだったりベスト選曲のバンドのオリジナルだったりと、紹介していたらキリが無いので潔くフィナーレを試聴いただいて終わりにしたいと思います。ほとんどの公演で最終盤で演奏されたD3。「誰からも相手にされず、転がる石のように生きるのはどんな気分かい」と歌い上げる様は、観客に向けた痛烈なメッセージとして、拙い英語力の当時の私でも心に響きました。滅茶苦茶ロックしていて格好良いです。
このツアーでパッケージ化された、ある意味ビジネスとしてのコンサート活動への反動が『欲望』の曲を中心としたローリング・サンダー・レヴュー・ツアー(1975-76年)に繋がります。
ジョージ・ハリスンのバングラデシュのコンサートでのディランの演奏曲と、このアルバムの曲が当時の私にはデイランの全てでした。その後の『欲望』でのインパクトで過去作を探り始めますが、何せ膨大なアルバムがあり、どこから手をつけて良いのやら途方にくれていると、当時FMで深夜に数週間に渡り全作品を流す企画番組があり、それを必死で録音しました。そこで聴くディランはまさにフォーク・ソング・・・これは私の趣味では無いなと暫く放置していましたが、折ごとに増えていく彼の情報に触れるたび、やっぱりちゃんと聴こうと思いました^^;。
ボブ・ディランというミュージシャンの活動を深掘りしていくと、彼の音楽の対しての取り組みの真摯さに畏敬の念さえ覚えます。先に触れたこのツアーの27枚組の全記録CD BOXは最後の大人買いとして、今私の手元にあります。老後の楽しみの一つとして、一枚ずつじっくりと聞いていきたいと思っています。
1970〜80年代の洋物ROCK系の記事を紹介しています。宜しければどうぞお立ち寄りください。
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