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エッセイ〜「アウトプット」について

私が初めて
自分のアウトプットを
意識した、または感じ取った時期は
小学生の頃です。

怖い小学校の高学年のお兄さんに
毎日、「サッカー」に駆り出されていました。
「いや」とは言えない雰囲気でした。

その時に
一度だけ上級生に言い放ったのです。

「俺だってしたいことあるよ!!」と。
(怖かったですけど😅)

ところで
樺沢紫苑先生の「アウトプット大全」

が最近、気になります。

私が子供の頃
反発してまで「自分のしたいこと」とは
つまりは「自分の世界」で遊ぶことだと思います。

今はおかげさまで
それができていると思っています。

でもその頃は
まだ小学生です。
いくら意識で自分の世界があっても
それを何かの形でアウトプットすることは
難しいでしょう。(特に昔は・・・)

あの小学生の時に
自分では「単なるわがまま」と思っていた
アウトプット(自分の世界)。

しかし、それこそが
「現実を変え」
「自己成長」を促す行為だった」とは
今になって
この本を読んで
同感しました。

それに
小学生で上級生に流されずに
「アウトプット」の意識を持っていた自分が
素晴らしいと誇らしく思うのです。

前述、紹介した樺沢先生の
「アウトプット大全」ですが
当時、大ヒットした意味が私には
今ひとつ理解できなかったです。
(すみません)

今なら、
昔、小学生の時
上級生にも反発してでも
自分でしたかったこと=私のアウトプットの源流
と鑑みれば
このような「大全」は
「ものすごく貴重なことを
並べ述べているのだな・・・」と
理解できます。

「自己成長」したい。
今の状況をなんとかしたい。
モヤモヤをはっきりさせたい。

人によって
「アウトプット」する理由はそれぞれです。
また、その方法も
noteに書いたりすることだけでなく
行動したり、誰かとおしゃべりしたり
いろんな種類があります。

もし、私がまた「判断停止」に陥ったなら
この「アウトプット大全」を
最初から読み直して
何かしらのモーション(アウトプット)を
したいと思います。

それは、上級生に
無理やりサッカーに連れ出されるような
ことを繰り返さない。
人として公共の福祉に反しないで
自分を保つことにつながると信じているからです。

お盆の昼下がり・・・でした😌😌😌

おわり

katikoさん素敵なイラスト
ありがとうございます。

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