③知らず駅の駅長 いざな

 知らず駅に行く切符を手にした私たちは、4時44分といういかにも、あやしい時間に踏切に立つ。腕輪をかざし、恋人つなぎで絆を見せつける。通称ここだよ踏切で電車が止まった。普通止まるはずのない場所で電車に乗る。人は誰も乗っていない。これは幽霊列車なのだろうか。でも、ここで取り引きをしないと、私たちに幸せはない。

「ようこそあの世とこの世の間にある知らず駅へ」
 イケメンボイスと呼ばれる部類の若い男性の声が聞こえる。
 一瞬にして景色がぐるりとかわる。空の色が普通ではない。青から紫に変化した。
 無人駅だという噂の知らず駅には美しい駅長のような人が佇む。
 まるでずっと前から私たちのことを待っていたかのように。
 その人は笑っているかのようだけれど、無表情でもあり、美しい顔をしていた。
 正確に言うと、人なのかどうかもわからない。しかし、見た目は人そのもので、それ以外の何者でもないという印象だった。雪女の男版のような美しい雪色の髪の色をしており、風がないのに髪がなびいていた。

「対人嫌悪症だと医師に告げられたんだ。だんだん他人に対して嫌悪感と潔癖症が発動するようになるって。しかも寿命も短くなるらしい。記憶も薄れるらしい。呪いの病、あんたならば治癒に協力できるんだろ」
 珍しく子犬が吠えるような勢いで懇願している凛空。

「それは、非常に厄介な病気になってしまいましたね。私は取引のナビゲートをしますが、治癒させる能力は持ち合わせておりませんよ。あなたたちは、この世にはいない何者かと接触した人と記憶の取引をしてください。私は、電車を運行するのみ」

 駅員の格好をしているだけあって、案内人だったのだろうか。

「あなた、何者?」
 いぶかしげな表情で問いかける。

「私はいざなと申します。いざなうという意味から名前をつけられたようですね。つけられたようと申しますのは、名前というのは己でつけるものではなく、つけられるものじゃないですか。あなたたちだって、名前を己でつけることはできなかったはずですよ。凛空さん、真奈さん」

 丁寧にお辞儀をする。名前を知っているのも少しばかり不気味だ。いざなの物腰は柔らかく、口調は優しい。怖い存在という印象はない。しかし、知らず駅はこの世とあの世の間にあると言われている実に厄介な駅だ。いざなうの意味は、連れていく、誘うだろうか。ということは、やはり危険な場所にいざなうということだろうか。危険な人物なのかもしれない。

「あなたは、命の保証のない危険な場所へ連れて行くの?」

「命の保証は致しますよ。ただ、ここに帰ってきた時に、別人のようになった人間は多々いました。そして、必ず幸せになれる、完治するという保証はできませんが。でも、最善を尽くして天命を全うするというのが人間の性だと思いませんか。実に人間らしいと思うので、私は応援いたします」

「この世界にはルールが大切だってここだよ踏切のお姉さんが言っていたわ」

「あんたのせいで、踏切に囚われたままだと嘆いていたぞ」

「私のせい? 御冗談を。彼女は自ら私と離れたくないと懇願したのです。仕方なく、彼女にはあの場所の番人としてこの世にとどまっていただきました。時に、人間の恋心というのは厄介ですね」
 それに対して、感情を感じている様子はない。

「彼女が自ら望んでここだよって言っているってことですよね」

「そうですよ」

「知らず駅は誰でも来ることができるのですか?」

「来るべき人が来るということは否めません。この世とお別れしたい人やあなたのように病のために呪いを解こうという理由で来る人もいますね。いざなわれると言ったほうがいいかもしれません」

「あなたたちも、誰かにいざなわれてきたのではないですか。呪いの病に詳しい人物に出会ったり、踏切にしても誘導されるかのようにその場に行ったはずですよ」

 それは否めないことだった。確かに、阿久津教授に出会い、呪いの病について教えてもらい、ここだよ踏切に行くことを決意した。それは何かが誘うような一連の流れがあったように思う。この人に会うことも必須だったのかもしれない。人は時に自分が進むべき道を選べないことがある。それは、偶然を装う必然なのかもしれない。

「いざなさん、あなたはどこへ連れて行ってくれるのですか?」

「呪いの病を解きたいのならば、人形の町へ行ってみましょうか。あそこは呪いを解きやすいともっぱらの評判です」

 少しばかり笑ったようにも思えるが、このような表情の人は滅多に見たことがない。非常に柔和な表情の中に、どこか一抹の棘を潜ませているような印象だ。何を考えているのかさっぱりつかめない。そして、敵か味方かもわからない。

「人形の町って?」

「人形が人間として生活しているんですよ」

「なんか不気味よね」

「捨てられたおもちゃがたくさんあります」

「お化け屋敷間半端ないな。俺、無理」

「ちょっと、あんたそんな弱気で、病気が進行してもいいの? これはそもそもあなたのために行ってるのよ!!」
 腰に手をあて、私は説教モードだ。眉は確実に上がっているだろう。

「ご安心ください。人形の町はみんな今は人間の姿をしています。あなたが捨てた人形がいても一見わからないでしょうね」

「ってことは、めっちゃ美人な人形ちゃんもいるってこと?」
 凛空は目を輝かせる。

「人形は人間の理想の等身で作られてますからね。かなりスタイルがいいとか顔立ちがきれいだとは思いますよ」

「男の夢が詰まった町ってことか」
 ワクワク感が半端ない。こいつのために、私何を頑張っているんだろうって我に返る。でも、女好きだけれど、基本純粋で根が真面目。そして、数いる女性の中から私を選んでくれた奇特な男。私なんかのどこがよかったんだろうと思うけれど、幼馴染だからかもしれない。ずっと知っている。でも、忘れてしまうことはとてもとても怖いことだ。

「いざなさんは、送り届けてくれたら、もう迎えに来てくれないのですか?」

「取り引きが済めば、あなたがたは自動的にこの場所に戻ってくるのです。その後はまたナビゲートしますよ」

「このような都市伝説系の駅は怪村と言われるような一歩立ち入ると村人が襲い掛かって来るとか、殺されそうになるようなことを覚悟しなければいけないのですか?」

「いや、彼らはとても優しいですよ。特に人形の町の人々は捨てられたという痛みを知っているので、優しいと思います。だから、襲い掛かるということはありませんが、あるルールを破ってしまうとあなたたちが人形にさせられる可能性はあります。私たちはルールで成り立っていますから。呪いを解くにはある程度のリスクは仕方がないのです」

「ちょっと、人形になったら、私たち帰れないじゃない」

「いいえ、帰れますよ。人間のふりをした人形としてこちらの世界で生活している者は割といます」
 平然とありえないような話をするいざなはとても怖くも思えた。

「出発しますか?」

「その前に、ここだよ踏切の彼女について教えてください」

「彼女とは生前交流がありました。しかし、ここには時間という概念がないので、あくまであなたたちのいる世界とは別なのです。ここにいれば、お腹がすくこともないですし、時が止まっているのです」

「だから、踏切の時間のルールに気づいた私たちに切符を渡したということ? 時間という概念がないルールだから」

「ご名答。そんな感じです。人形の町にもルールがあります。でも、あなたたちは異世界には行くべきではないでしょう。やはりリスクが大きいですよ。この電車で異界へ行くよりも、あなたたちの世界で異世界に行った者から話を聞くだけで同じ効果が見られます。今はインターネットもありますし、恐怖体験、不思議な体験をした人間から話を聞き、怪奇魂《かいきだま》をもらう方が得策かと」

「あなたは何者なのですか?」

「ただの案内人ですよ」

 いざなは髪をなびかせ、美しい微笑みを見せる。それは、女性のようでもあり、中性的だ。

「さて、いきましょうか」
 いざなは笑いかける。白銀の髪の毛はまるで雪が輝くようだ。この世の者の髪の毛の色とは思えない。まるで、作り物のような色合いだった。私たち専用の電車には他に乗客はおらず、まるで終点の誰も乗っていない電車のようだった。

「ルールってたとえばどんなものがあるのですか? 踏切ではルールは時間でしたよね。だから、知らず駅が開く時間を教えてもらえた。そして、それが怪奇魂《かいきだま》という切符だった」

「そうですね。人形の町ならば、人形に共通する何かを探してみればおのずとみつかりますよ。その町によってルールは違います。これは、人間たちが住む町でも同じではありませんか。異世界へ行った人にもルールが存在しているかもしれません。異世界が開くタイミングとか、どんな人が行ってしまうのか、とか」

「たしかに、学校でも校則というルールがあるし、交通規則や犯罪になる基準はルールで定められている。家族の形もルールがあって、私たちは法律に沿って生きている」

「友達との関係でもスマホでの連絡方法でも既読スルーはやめとけみたいな暗黙の了解があったり、付き合うっていうのも当人同士のルールだったりするよな」

「でも、怪奇魂なんて人間には出せないぞ。怪奇体験をした者から話を聞くと、このネックレスで、怪奇魂を受け取ることができます。メリットは、話をした人は、怖くて忘れたい怪奇体験を忘れることができます。このネックレスがつないでくれますよ」

 一見普通のネックレスだが、石の部分は底の見えない黒いものに覆われている。

「では、元の世界へ送りましょう」
 いざなが台詞を言い終えると、がたんがたんと電車は進み始めた。

 残された私と凛空は少しばかり心細くなり、手を握り合う。
 こんなちっぽけな動作でも私たちは幸せに浸ることができる。
 私たちは幸せになるために少しばかりの犠牲や我慢が必要なのかもしれない。
 でも、一緒なら怖くない。大丈夫。自分に言い聞かせる。

 電車が進むにつれ、見慣れた街並みがそびえたつ。なぜか人はいなかった。電車が到着した。

「健闘を祈ります」
 いざなは帽子を取って丁寧にお辞儀をした。まるで駅員のコスプレをしているかのような美しいブルーの瞳をしている。本当は何者なのだろう。

 こうして、私たちは怪奇集めを始めることとなる。蒼野凛空の未来のために。

「ちゃんと一緒に乗り越えようね」
 夕空の下私たちは誓い合う。どんな困難にも、病める時も健やかなるときも――。凛空の瞳は藍色に染まる。私たちは固く手をつなぎ肩を寄せた。

♢知らず駅

 インターネットのオカルト系掲示板の書き込みを探す。つい最近行った場所ということもあり、知らず駅へ行ったという書き込み主にメッセージを送る。嘘かもしれないのがネットの悪い点でもあるが、実際に知らず駅に行ったことのある私たちにとっては、嘘か本当かの区別は簡単だった。駅の様子やいざなの存在を明確に書いている者がいれば、本物だということだ。

 何件か書き込みはあったけれど、実際に詳細を書いており、連絡が取れたのが白いうさぎと名乗る成人女性だった。実際に会って話がしたいとダイレクトメッセージを送る。最初はかなり警戒はされたが、女性であることと彼氏の病気の話をメッセージすると、彼女の警戒はだいぶほぐれたように思う。呪いの病についても知っており、知らず駅の詳細を書いたところ、信じると言って会ってくれた。渡辺麻衣さんという名前らしい。幸い電車で行ける距離であり、会うことはそんなに難しい状況ではなかった。彼女に知らず駅の記憶がなくなってもいいかどうかを確認すると、もちろんそんなものはいらない、だった。むしろ、忘れてしまいたいと言っている。不思議かつ怖い体験を共有できる人がいなかった分、うれしいとまで言ってくれた。電車代は正直馬鹿にならない。バイトもしていない高校生が日本全国を周るということは、正直無理だろう。ネックレスに向かって話しかけてみる。今後何人かと会うとしたら、私たちを助けてくれるかもしれないのは駅長のいざなだ。彼はきっとどこへでも連れていけるだろう。この世界以外もそうだが、この世界の別な都市に連れていかれてもかまわない。

「いざなさん、私たちは移動の電車代がありません。あなたの電車で送ってくれませんか?」
「そうきましたか。連絡が来るとは思っていましたよ。もちろん、かまいませんよ」
「もしかして、タダってわけにはいかないから命を削るとかないですよね?」
「私の気分次第ですよ。命は奪ったりしませんし、困らせることはなにもないですよ」
 いざなという謎の男性は何となくだが安心できた。それはなぜなのかはわからないけれど、悪い人だとは思えない。凛空も同じ意見だった。

 でも、当日になり、凛空から、体調が悪いから一緒に行けない、こめん。というメッセージが来たので、仕方がなく私のみで行くことにした。

「ここだよ踏切からこちらへ来てください。時間は4時44分ですよ」
 いざなは優しく包み込む声を出す。

「ここだよ、ここだよ、ここだよ、ここだよ」
 毎日同じ時間に同じ回数ここだよを唱える女性の声がする。
 事情を知ると、あまり怖い話でもない。彼女はただ囚われ、愛する人のそばにいたいがために境界線の間で息をしている。呼吸の音がここだよ、そんな感じだ。

 踏切が上がると、いざなのいる知らず駅に迷い込む。
「さあ、以前こちらに迷い込んだ渡辺麻衣さんの待っている駅へ連れて行きましょう」

「あなたは慈善事業をしているの?」

「さぁ?」
 私は蒼野凛空のために怖くともひるまず歩む。凛空の潔癖症はまだ私には発症していない。それだけが救いだ。電車はゆっくり進む。がたんごとん、がたんごとん。景色は普通ではない。異世界の中を進んでいるのだから。アッと言う間に待ち合わせの駅前に着く。

「白いうさぎさんですか?」

「真奈さん?」

「真奈です」

「自己紹介が遅れました。私は渡辺麻衣と申します。凛空さんは?」
 上品で丁寧なOLという雰囲気の女性だ。

「実は凛空は体調不良で今日は来れなくて」

「そうでしたか。早く良くなるといいですね。知らず駅での出来事を話すとその記憶が消えるんですよね。その時の話を致します」

「では、駅前の喫茶店でお話を伺ってもいいですか」

「はい」
 カランカランと入り口の音が鳴り、人気が少ない喫茶店は今時珍しい色合いだった。彼女はアイスコーヒーを頼む。私はオレンジジュースを頼んだ。まだコーヒーの味の本当のうまみがわからないので、気取るのはやめとこうというわけだ。

 アイスコーヒーやオレンジジュースにはコップの外に水滴が汗のようにこびりつき、テーブルを汚す。氷の音がカランとなった瞬間、記憶の蓋が開いたかのように知らず駅について話が始まった。見た目とは裏腹に彼女はおしゃべりな性格で、詳細まできちんと話をしてくれた。その内容は以下のようなことだった。メモを取りながら話を聞くことにした。まるで取材している記者のごとく真剣に一字一句聞き逃さないように私は耳を傾けた。

♢♢♢

 OL渡辺麻衣は、ついうたたねをしてしまう。積み重なった慣れない仕事の疲労で終電間近の電車に乗る。今日は終電ではなかったので、少し早く帰ることができる喜びに浸る。感覚がマヒしていた。終電で帰ることが当たり前。体も心も仕事の多忙さに追いつけないでいた。どこか現実逃避をしたい気持ちもあったけれど、趣味に費やす時間もなく、時間があるのならば、寝ていたい。そんな気持ちが沸くだけの日々。電車の中はいつもと比べて空席が多く、あっと言う間に電車の中で眠ってしまった。

 なんとなく、いつもと違う気配は今となればあったような気がする。気配というのは、空気とでもいったほうがいいのだろうか。言葉で表すのは難しい。仮眠のつもりが、思いのほか深い眠りについてしまう。疲れは無意識に彼女を襲っていた。

 気づくとだいぶ時間がたっているのか、人が一人もいない。もしかして、終着駅まで乗り過ごしてしまったのかと焦る。しかし、電車はまだ走り続けていた。最近転職したばかりで仕事を覚えることに必死だったせいだろうか。頭は少しばかり朦朧としていた。

 耳がふさがれた嫌な感じがした。よく、飛行機などに乗ると気圧の変動で耳がおかしい感じがする、あの感じだった。でも、電車で耳がおかしな感じになった経験は初めてだ。電車とは思えないスピードで走っていることに窓をみて気づいた。新幹線に乗ってしまったのだろうか。それとも、まだ夢の中なのだろうか。とても不安な気持ちになった。

 周囲に乗客がいないか全部の車両を歩く。しかし、誰もいない。仕方がなく、怖いという気持ちを抑えながら電車の一番前の運転席に行く。すると、誰もいない。無人でこの電車は走っているのだろうか。そんなシステムが導入されているのだろうか。普段ニュースをほとんど見ない自分を責める。駅に到着する。知らず駅と書いてあった。聞いたことがない。彼女が乗る路線にそもそもそんな駅名はなく、その町の駅にも知らず駅という駅名はない。これは、降りてはいけない駅なのではないか。でも、このまま凄いスピードで電車が進んでしまえば、次はどこに止まるのかもわからない。もしかしたら、止まらないかもしれない。永遠に電車の中に閉じ込められたら――そんな不安がよぎる。

 普通ありえないことではあるけれど、今の状況で、絶対に「ありえない」ということ自体ないだろうと思う。つまり、何が起きるかわからないということだ。何が起こってもおかしくないくらい不思議で不気味な状況だと本人が一番感じていた。そして、今後どうなるか命の保証はないような恐怖を感じる。

 スマホを確認する。かろうじてつながるようだ。知らず駅と検索するがでてこない。つまり実在しない駅に今、降りようとしている。過去にその駅を利用したという書き込みもない。オカルト的な書き込みも駅名からは出てこなかった。自分が初めて降りる駅に一歩足を踏み出す。

 電車は他に通る様子もなく、長い時間扉が明いており、次に進む気配はない。まるで、ここに私が降りるように誘導しているのではないかと渡辺麻衣は思っていた。まるでいざなわれるかのように、無人電車で無人駅に。無人駅のような駅舎はとても古く、乗客らしき人も駅員もいない。

 駅は場所と場所をつなぐ役割だと聞いたことがある。様々な人が利用することから、人々の思いが重なる場所だ。出会いと別れが繰り返され、日々の生活のために人々の交通手段として大切な駅としての存在。それが何かしらの力が働いて不思議な現象を起こすことがあるような気がした。

 誰もいないのか、ただ、歩いてみる。自分の歩く音だけがこのしんとした世界で響く。それ以外の音がしないのは大変不自然だった。電波はかろうじて入っているので、彼氏に連絡する。現在充電が満タン近くあることは大変心強い。

「今、知らず駅にいるの。ここって地図にない駅なのかもしれない。人もいないし、検索しても出てこない」

 彼はIT関係の仕事をしており、情報関係に強い。すぐにGPSで居場所を確認してもらったら、先程乗った駅を示しているという。

「たしかに知らず駅なんて存在しないし、いつもの「みどり町駅」を示している。何か道しるべになりそうなものはないか?」

「あたりは真っ暗で照明が少ないの。お店も人家もない田舎っていう感じで、ビルは一切ないよ」

「これって都市伝説でよくある、迷い込んでしまった話なのかな?」
 ふと見ると、駅のベンチに男の子が一人座っている。

「子供が一人けん玉をしている」

「それ、やばいやつかも。とにかくそのままでいろ。俺が迎えに行く」
 話しかけるのも怖い。子供が怖いと感じるのははじめてだ。こんな夜に、たった一人で、ずっと下を向いてけん玉をしている。心がないみたいだ。この子はここに閉じ込められてしまった子供? それともここの主?

 警察に電話をする。繋がった!! と思ったが――喜びは一転する。真面目に取り合ってもらえない。
「GPSで調べましたが、あなたがいる場所は、みどり町駅じゃないですか。からかわないでください」
 いたずらが多いせいか、慣れた様子でスルーされる。
 私はもうだめかもしれない。助けてほしい。

 念のため親のいる自宅に電話する。一人に連絡するよりもたくさんの人に助けを求めたほうが絶対に有利になる。父親にことの次第を話すと、冷静に受け止めてくれた。日頃突拍子もないことを言わない性格が幸いしたらしい。
「わかった、かあさんと一緒におまえのいる場所を探してみる。たしかにGPSではみどり町駅だ。そこに行ってみよう。何かわかればメールか電話をするんだぞ」

「知らず駅へいらっしゃい。おじょうさん」
 見たこともない美しい髪が長く銀髪の男性が立っていた。駅員の姿をしているが、こんな駅員がいるはずはない。瞳は蒼く透き通っている。きっとコスプレに違いないと瞬時に思う。でも、こんな不気味な場所にいるなんて、何者なのだろう。

「あなたはここへ迷い込んでしまったのですね。たまに時空にひずみが出るんです」

「あなたは駅長さん? 知らない駅に来てしまい、帰れないの。助けてください」

「私はいざなと申します。いざなうという意味から名付けられました。名付けられたというのは、誰しもが己の意志で名付けることはできないのですよ。私の場合は、見知らぬ誰かが名付けたみたいですが。きっとあなたはここへいざなわれてきたのですね。ここは大変危険です。私にはなにもできない。ここにとどまらなけらばいけない存在ですから」

 いざなは子供が遊んでいることを気にも留めずにただ、私のことを心配する素振りをした。この人を信じてもいいのか? 子供はいざなにとっての何者なのだろうか?

「実は、親と彼氏に迎えに来るように言っています。充電はあっというまに半分に減ってしまいました。通話と検索でしたが、思ったより減りが早くて」

「ここは時間が普通とは違う進み方をするのです。だから、バッテリーが減るのがはやいのは仕方がないのです」

 少年がこちらにやってきた。
「おねーさん、一緒に遊ぼう。俺のうちが近いから、遊びに来てよ。どうせ違う町からきたんでしょ。次の電車はしばらくこないし、来たとしてももっと遠くにしかいかないよ」
 話してみると意外と普通だが、目が何となく怖い。暗闇だからだろうか。偏見からだろうか。

「おねーさんは忙しいから、無理だよ。もっと遠くにしかいかないの? 戻る電車はないの?」

「ありませんよ」
 にこやかにいざなは微笑む。微笑む場面じゃない。絶体絶命な場面だ。

「しいて一つ上げるとすれば、この線路を戻ってください。ここだよ、ここだよと教えてくれる女性の声が聞こえます。そこに行けば、元の世界に戻ることができるかもしれません。でも、ひとつ、ルールがあるのです」

「ルールって?」

「ここだよという意味を解明してください」

「解明しないとどうなるのですか?」

「これは取引です。解明しなければ、どうなるかは何ともいえません。彼女の気分次第で元の世界に戻ることができるかもしれません」

 線路沿いを伝って歩く。まるで、駅舎だけが光が煌々としていて別世界だ。薄暗い線路には電車が来る様子はない。振り向いてはいけないと思う。たいていそのような場合、ふりむいたらアウトだ。思ったよりも駅員が不気味ではなかったのが救いだった。遠くからうめき声が聞こえる。なんだろうか? ここだよと言っているのだろうか。風に吹かれてきちんとは聞こえない。
 彼氏から電話が来る。

「おまえ、大丈夫かよ。今、とりあえず駅に来たんだけど、それらしき姿は見えないな。俺からも駅員とか警察に連絡してみるから」

「今、知らず駅の駅長に線路を伝って帰るように言われたの。だから、知らず駅の線路」

「駅長がいるなら、助けてくれないのか?」

「無理みたい。駅長はここにとどまらなければいけない存在らしい。名前はいざな。いざなうから名付けられたとか言ってた。時空のひずみに迷い込んでしまったとか」

「聞くだけでやばそうじゃないか。絶対やばい人かもしれない。そいつには気をつけろ」

「とりあえず、線路を歩いている。ここだよという声が聞こえたら、その声の意味を解明しろって言われたの」

「知らず駅、ここだよ、いざな……これをなんとか解明しないとな」

「両親にも連絡したから、多分そっちにいるかもしれない。私はここからでなければいけないから」

「もし、お父さんかお母さんに会ったら一緒に探すよ」

 頼れる人がいることに安堵する。こんなに他人に対して心強いと感じたことがあっただろうか。いったん電話を切る。すぐに父の携帯から着信があった。

「大丈夫か。お父さん、そっちに向かっているから」

「駅長がいたけれど、ここは普通の世界じゃないみたい。だから、線路沿いに元来た道を歩いて帰るから」

「知らず駅なんてやっぱり存在していないらしい。駅員に言ってもそんなの知らないと言われた。変な客だと思われているみたいだった。お母さんも一緒だ」

「駅員の名前はいざな。ここだよと聞こえる場所へ行き、謎を解明しろと言われた」

「わかった、それについても調べてみるよ」
 お父さんの声は温かく、冷えた心を温めた。

 知らず駅についてはネットで検索してもでてこなかったが、ここだよについては「ここだよ 線路」で検索したところ、「ここだよ踏切」というものが存在しているというオカルト掲示板に書き込みがあった。書き込み自体は古いものから最近のものまであったが、それ以外にも何件か書き込みはある。どれも同じ町でのものだった。
 以下は書き込みを抜粋したものだ。

 ここだよと若い女性の声がする。踏切の音がなっている間だけ聞こえる。
 踏切の修理を何度しても音が変わらない。女性の悲痛な悲鳴に聞こえる。
 ここだよといざなわれているようだ。

 ここだよという女性の声がする踏切はきっとこの世界と元の世界とをつなぐ場所だ。きっとそこに出口がある。

 いざなという名前の駅員について検索をすると、いざなと名乗る謎の男性に出会ったという書き込みが何件かヒットした。駅員ではなく、時にはバーテンだったり、セールスマンだったり、占い師だったり、職業はさまざまだ。しかし、外見の特徴は、先程会ったいざなそのものだった。白銀の美しい髪の男性はとても美しい顔立ちで、瞳は青い。そして、何かヒントになるアドバイスをしてくれる。大抵は、異世界に迷い込んだ人や普通の世界にいるけれど、時間が止まった経験をしたとか、タイムスリップのような経験をしたとかそういう話だった。そんな時に、必ず現れる案内人の男性がいざなという物腰の柔らかい男性だ。

 あまりバッテリーを使うのは禁物だ。
 後ろから子供の声が聞こえる。

「行かないでよ、遊ぼうよ」
 きっと振り向いてはいけないやつだ。いざなは子供を見て見ぬふりをしていた。つまり、いないものとして扱っているようだった。だからなのか、子供への対処の仕方を教えてくれなかった。行かないでここにとどまってはいけない。それに、子供がいつのまに背後に来ていたのか、全く気配に気づかなかった。あの子供は不気味だ。きっと普通の子供ではない。

「きっとここだよ踏切は元の世界との境界線だ。だから、ここだよと教えてくれているのだろう」
 そう思って一目散に走る。少年の気配は感じられない。
 すると、少年が行く手に座っていた。まさかの瞬間移動? 敵ならばどうすればいいのだろうか。無力なただの人間は為す術がない。

 少年の目は大きく見開く。
「ここだよ踏切に連れて行ってあげるよ」
 これは罠か? 瞬時の判断は命を左右する。

「まっすぐに行けば行けるよね」

「ここは複雑だよ」
 そう言うと、少年は手招きをする。
 真っ直ぐだから、大丈夫。
 そう思い進むと、いつの間にか少年は消える。

 彼氏の車が線路沿いに停まっていた。
 彼氏がにこやかに手を振る。
 これで、大丈夫だと思う。
 いつも通りの彼氏は手招きした。
「大丈夫だった? なんとか車でここまでたどりついたよ」
 彼氏は平然としており、妙に落ち着いていた様子だった。
 その様子にかえって私は落ち着きを取り戻す。
 車の中もいつも通りだった。
 服装もいつも通りだ。
 そんないつも通りがこんなにも安心するとは思ってもみなかった。

「さぁ、帰ろう」
「ここだよ踏切に行ってみるようにいわれたの」
「そんな危険な場所に行ったら、余計危険だよ」
 たしかに、危険かもしれないと思う。
 彼の車の中へ入れば異世界と少しばかり離れることができて、安心感がある。

 着信音が鳴る。父からだ。
「おい、どこにいるんだ」

「大丈夫、彼氏と一緒だよ」

「彼氏って大川くんのことか? お父さんと一緒にいるんだが、本当にその人は大川君か?」
 車のエンジンが鳴る。つまり、お父さんの横に本物の彼氏がいたとしたら――横にいる人は、別人が成り済ましている可能性はある。車が走り出す前に、とりあえず、扉をあけて外に出ようとしたら、鍵がロックされている。つまり、外に出れない。外も危険かもしれないが、横の偽彼氏のほうがきっとずっと危険だ。

 相手のふいをつき、ロック解除ボタンを押そうとする。
 ありえない向きに顔が向く。首の方向が変だ。普通の人間ではない。

 こっちを見ないで!! そう思い、そのままボタンを押した。そのまま無理矢理外に出て、線路沿いを走る。何度も転ぶ。慌てているせいかこんなに転ぶとは思わなかった。普段の運動不足がたたったのかもしれない。運動不足を後悔する。膝がすりむけ、顔にも擦り傷ができた。それでも走る。生きるために。そのためにどんどん走る。火事場の馬鹿力かもしれない。

 生きるということへの執着が渡辺麻衣を掻き立てる。あの偽物は少年が化けた? それはわからない。でも、いざなはなんとなく信じられるような気がした。だから、踏切はきっとあると思った。車では、この踏切沿いを走ることはできない。だから、彼氏が迎えに来たということは通常ありえない。森の中を走ってきたとしても道があるのかもわからないのだ。多分、父親たちがここへ来ることはできない。すると、踏切が見えた。霧がかかって、もやの中に黄色と黒の遮断機が見える。きっとあれがここだよ踏切だ。かすかに聞こえるかすれた声。

「ここだよ、ここだよ、ここだよ、ここだよ……」
 これはきっと私を呼んでいると渡辺麻衣は確信する。
 少年が追いかけてきたらどうしようとびくびくは収まらない。
 
「ここだよ踏切ですか?」
 踏切に向かって呼びかける。

「ここだよ」
 ひとこと女性の声がする。

 踏切に対して「ここから元の世界に戻してください。きっとここは元の世界との境界線。あなたはここだよ、と教えてくれているのでしょう」
 踏切は「そうだよ」と答える。
 若い女性が突如現れ、透き通っていた。美しい容姿だ。

「いざなさんからのご紹介であれば、元の世界に戻してもいいですよ」

「先ほど、いざなさんに言われたのです」

「そうですか。彼は元気でしたか? 私が愛している方ですから」

「元気そうでしたよ」

「変わりなく、一人でしたか?」

「男の子はいましたが、他には誰もいませんでした」

「あの少年はバケルと言って、化けることが趣味です。本当の姿が少年なのかどうかもわからない妖怪です。どこへやってくるか読めません。あなたの両親と彼氏が迎えに来ています。みどり町駅へ送ります」

 踏切が送迎してくれるなんて話は初耳だが、本当に送ってくれたようで、彼女は彼女のおかげで元の世界に戻ることができたという。

♢♢♢

 バケルという少年は初耳だった。これから、バケルについて調べてみるのも価値があるかもしれないと思う。

 あの時のことが夢だったのではないかと今でも思うらしいが、きっと本当なのですねというと彼女から怪奇魂が現れた。それを受け取る。グレー色の透き通った美しい珠だった。

 すると、彼女は「あれ、私は今、何を話していたんでしたっけ?」
と戸惑い、どう考えても思い出せず辛そうにしていた。喉の奥に何かが閊えた感じという。ネックレスに怪奇魂を受け取る。

「メールを見てください」
 というと、彼女は記憶がなくなってもいいように送りあっていた一連のメッセージを読む。少しばかり釈然としない様子だったが、彼女は「なんだか、いらないものがなくなった感じがします。すっきりしました。ありがとう」と言う。

「いらない記憶はいくらでも引き取りますよ。こちらこそありがとうございました」
 その瞬間怪奇魂がネックレスに吸い込まれる。これは、私と凛空にしか見えないらしい。今回の魂の色は紺色だ。深い海の底のような怪奇の魂は私たちをきっと幸せにしてくれるだろう。

 ミルクとシロップを入れて一気にかき混ぜたアイスコーヒーをぐっと飲み干す。きっと一気に話をして喉が渇いたのかもしれない。
「やっぱりアイスコーヒーは甘い方が好きだわ」そう言って喫茶店を後にした。

 ネックレスの石を見つめた。美しい石がこの小さなどこに閉じ込められたのか、異空間と繋がっているのかとても不思議に思えていた。阿久津教授にもらった腕輪の色が少しばかり変化していた。病気の進行は遅くなっているということだろう。

 昔のことを思いだし、報告がてら凛空に電話をして、1時間近く話した。幸いただの頭痛だったらしくすぐに良くなったようだ。

 ケンカした雨の日に、相合傘をした記憶を思い出す。これは、6年生くらいだっただろうか。雨の日にずぶぬれになった凛空を傘に入れてあげた帰り道に仲直りした結構甘酸っぱい思い出だ。それを話すと、

「そんなことあったっけ?」
 凛空は忘れていた。つまり、もう病は進行して記憶がなくなっているのだろうか。どの程度忘れてしまうのかもわからない。

 私たちの関係は考えてみると思い出で成り立っている。それが、もし――思い出がなくなってしまったら、この関係はどうなるのだろう? 堅い絆や深い愛情は薄まってしまうのだろうか。一瞬、最悪の結末が頭をよぎるが、そんなことが私たちに起こるはずがない。私たちほど愛が深い二人はそうそういるものではないのだから。

「次は、バケルについてネットで検索してみるか?」
 凛空が電話の向こうで微笑む。

「どんなにつらくてもふたりが一緒なら大丈夫だよね」
 お互い見つめあっていると恥ずかしくなる。私たちは恋人初心者だ。肩が触れ合うだけで胸がドキドキしてしまう。そんな関係がどれくらい続けられるのだろう。

「もう少し、こうしていよう」
 癒される電話越しの体温と声。もう少しだけ、こうしていよう。いいよね。
 

#創作大賞2024 #ホラー小説部門