④怪奇集め 幻の食堂、夜の友達、記憶屋、バケルくん

♢幻の「いまわ食堂」

 青い空に浮かぶ入道雲があまりにもおいしそうで食べたくなるような昼下がり。ふわふわしていそうだけれど、雲はわたがしみたいにつかめるものではない。相変わらず私たちは怪奇集めのために奔走していた。

 蝉の声がうるさいけれど、それすらも心地よい季節は一年の中で一番好きな季節だ。そして、テレビなどで怪奇について取り上げられることも多いのが夏だ。

 最近はネットの普及やカメラの進化などもあってか、以前ほど怪奇現象の特集を見かけなくなったような気がする。防犯カメラのおかげでだいぶ神隠しという名の誘拐は減ったような気がする。体験チャンネルには実際に怪奇現象を体験したとか不思議な体験をしたという書き込みがある。凛空の部屋からは緑が生い茂る景色が見える。やっぱりずっと一緒にいたいな。

「体験チャンネルで面白そうな書き込みみーつけた」
 いい感じの書き込みがあった。

「俺も、その話、なんだか気になったんだよな」

 スマホで怪奇集め探しをしていた凛空と私。こんな真昼間の天気のいい日に怪奇を集めようとしている人なんて、そうそういるわけではないだろう。凛空のためにどんな怪奇にも立ち向かいたいと考えていたので、普通なんて考える余地はなかった。気になったのは、「いまわ食堂」という話だ。どちらかというと、ただの恐怖系なのかと文章を読んでいたのだが、最後がどうも不思議かついい話で終わっているのも気になる要因だった。書き込み者はOLとなっている。

「OLさんって普段接点ないからさぁ、ちょっと憧れるなぁ」
 相変わらず自身の運命の大変さを感じさせない言動はどうにも蒼野凛空らしい。いちいち気にしてられないけれど一応釘をさす。

「もう、すぐに目移りするんだから。私みたいな美人な彼女がいるんだから大事にしてよね」
「自分で言うかよ。まあ、俺はその顔立ち結構好きだけどな」

 今の台詞人生初の甘いセリフだ。こんなことはじめて言われた。
 私の顔が好き? これ以上の幸福はないよ。でも、言わないでおく。恥ずかしいからに決まっているが。凛空の顔立ちは私以外の万人受けする顔立ちだ。どっちがモテるかと聞かれたら、絶対凛空に決まっている。私は正直モテる方ではない。だから、こんな私を選んでくれた凛空を幸せにしたい。そして、その横には自分が一緒にいたい。それだけだ。くまなく、ネットの検索をする。興味がそそられる怪奇に触れたいのも事実だった。

 連絡先のメールアドレスにメッセージを送った。すると、思いのほか早く連絡が来た。話をしていると、彼女は小野田冴子という名前らしい。そして、いまわ食堂について調べたいと思っていた。一緒に調べてくれないかと言われる。怪奇魂については簡単に説明をした。病を治すために記憶を渡すことも了承してくれた。

 ネックレスに向かって話しかけた。
「おねがい、いざな。小野田さんに話を聞いてみたい。今回は結構遠いんだよね、送ってもらえる? そうだ、ネットや電話でも集められるの?」

 怪奇魂の受け取り方についてちゃんと確認しなかった私たち。

「怪奇魂はネット上でのやりとりや電話で収集可能ですよ」
 彼は聞かなければ遠隔で記憶魂を受け取ることができると教えてはくれなかった。つまり、いざなが正直に親切に教えてくれるなんていう保証はないということだ。彼は思っている以上にあざといのかもしれない。

「これで、よかったじゃん。遠出して旅行気分なのも楽しいけど、俺たちは学生だしそんなにしょっちゅう遠出することは難しい。それに、直接会うことはリスクも大きい。ネット上で取り引きできるなら、怪奇集めは一番ノーリスクだろ。それに、危ない人だったら、会うのは危険かもしれないな。俺たちがいくら二人だといえ、犯罪者という可能性や出会い系だと勘違いする人もいるだろうし」

「たしかに嘘つきもいるし、変な人もいるからね。時間のロスを最低限に抑えられるっていう発見があったのは収穫だよね」

 私たちはひとつ、幸せに近づく手段を得た。

 いざなはいつも優しい声を発する。癒しのトーンというのだろうか。
 もちろん、いざなが敵ではないと確定しているわけではない。ただ、あの甘く優しい顔立ちが信頼度を高めているのは確かだ。口調も優しい。きっと大丈夫――。

♢♢♢

「いまわ食堂」に関する書き込みというのは、OLである小野田冴子が同僚の片山由紀子と入った定食屋が普通ではなかった話だ。普通ではないというのは体感で感じたと本人たちは話している。

 いつも通らない道を通った二人は、どこか夕食を食べられる場所を探していた。同僚であり、残業がえりだったため、おしゃれなレストランというよりはお腹を満たせる定食屋のような場所を求めていた。残業が長引き夜10時を過ぎており、腹が鳴ることを隠すことはできなかった。仲が良い女子二人ということで、がっつり白米が食べたいとかバランスの良いメニューの家庭料理を食べたいという気持ちでいっぱいだった。

 街灯が少なく、暗い商店街はシャッター街らしく昔はきっと繁盛していたであろう痕跡こそあった。今は人通りが少なく経営自体していない元商店が立ち並んでいた。そんな廃商店街の一角にぽうっと温かな灯が灯っていた。二人は急いで開店している唯一の店に向かった。すると、「いまわ食堂」と古びた看板があり、どうやら営業中らしい。

「ラッキーだよね。こういう穴場のお店って実は美味しいっていうのが定番じゃない?」

「こういう店こそ、隠れた一品がありそう。普通の定食が激うまだったりするんだよね」

「わかるわかる」

「お腹ぺこぺこだから、ここにしよう」
 二人は満場一致でここに決めた。

 古びたのれんをくぐる。古いお店らしい壁にしみがついていたり、油のにおいがする。そして、同時に美味しいとんかつの香りもした。

 不思議なのは、客は一人いるのだが、店員がいない。カツ定食のおいしそうな香りがする。店員がいない。どうにも不思議な感じだ。メニュー表があり、そこには一つしか種類がない。しかし、不思議なのは定食の値段が異様に安いということだった。1000円くらいするであろう定食が100円だ。

「もしかして、激安もってけ泥棒的なお店かな?」
 冴子はラッキーという表情をした。
「でも、採算取れないよね。もしかして、原材料がやばい仕入先とか、賞味期限切れとかそういう闇のあるパターンかもよ」
 少し後ずさりする由紀子。

「でも、話題作りのためにこういった企画がテレビに出ることあるよね。あと、ネットで拡散されやすいから、今の時期限定の割引セールだと思うよ」
 冴子はあくまで前向きだ。

「でもさぁ、シャッター街というかほぼ廃商店街なのに、なんでここだけ残っているんだろうね。しかも一種類なんて」
 疑いを隠せない由紀子。

「激安だからだって。半ば隠居してるのかもしれないし」

「でも、注文はどこからすればいいのかな」

「すみませーん」
 何度か呼んでみるが反応がない。
 呼び鈴もない。奥を覗くが、誰もいない。

「店員さんはどこですか?」
 黙々と一人で食べている男性に聞く。サラリーマン風の男性はただ、黙々と食べており、表情がない。完全無視だ。ムカつくというより、不気味に感じる。なぜ不気味なのかを分析してみる。その人の表情はとても悪く、白目と黒目が逆の色をしていたのだ。

 それに気づいて、店を出ようとしたら、店員らしき男性がやってきた。
 メニュー表にはメニューはひとつしかない。オーダーをする必要もなく、店員は作り始めてしまったので、出るに出られない雰囲気になった。気まずい空間が漂う。しかたがなく一瞬立ち上がろうとした二人はそのまま席に座った。というのも、この食堂は大変狭く、客が見える場所で店員が調理をするシステムだ。そして、テーブル席というものがなく、一人で来る客が多いのかコの字型のテーブルに背もたれのない椅子が無機質に並ぶ。いらっしゃいませも、オーダーをとることも何もしない店員はどこか目つきが不気味に感じられた。よく見ると、その人も白目と黒目の色が逆になっていたのだ。カラーコンタクトを入れたわけでもないだろう。店主も中年で疲れた様子が感じられた。そんな人があえてカラーコンタクトを入れるはずはない。白い割烹着のような調理師の格好をしていたが、どこかが普通ではないと感じていた。

 カレンダーが壁に飾ってあることに気づく。1970年のカレンダーだ。あえてレトロ仕様にしたいのだろうか。それとも――まさか1970年だというわけではないだろうか。なんてありもしないことを冴子は考えていた。たしかに、古びた感じに年代物のカレンダーは好きな人には、ぐっとくる要素があると感じる。

「ねぇ、あのカレンダー、わざとレトロな感じ出してるのかな?」
 ささやく由紀子。由紀子も感じていたのかと冴子も思う。

「あのカレンダーはきっとオブジェだよ」

 その後、ラックにある雑誌を見ると1970年7月発行となっている。これは、当時の雑誌を買ったにしては新しい。最近発行されたような気がするというのが本音だった。内容は、もちろん冴子たちの世代にはわからないような内容だった。まだ生まれていない頃の話しであり、芸能人も今はもう還暦を迎えた人が結婚したという内容が書いてあった。そして、今は解散して活動すらしていないアイドルの話もあった。こんなことがあるわけがない。古本屋で買ったとしたら、もっと保存状況が悪いはずだ。紙の色が色あせるとか、ボロボロでもおかしくはない。こんなにきれいな状態の紙。これは、今じゃない?

 腕時計を見ると時間は先程と変わっていない。つまり時計が止まっているようだった。運悪く電池切れ? それとも?
「時計止まってるみたい」
「私も」
 背筋が凍った。すぐにスマホを見るが、圏外になっている。
 古びた珍しいピンク色の公衆電話が店内にはある。
 そして、店内に時計はない。
 トンカツが出来上がったようだ。見た感じは普通だ。
 でも、これを食べたら、何かが変わってしまうのではないか? 
 例えば白目と黒目が逆の色になるとか。
 あんなに空腹だったはずなのに、食べ物を口にすることが怖くなる。
 でも、これを食べなければ、怒られてしまうかもしれない。見た目は美味しそうなカツだ。サクサクしていて、キャベツの千切りも新鮮な緑色をしている。仕方がなく一口食べる。すると、思いの外美味しい。しかし、一つだけ、普通のカツ定食にはないものがあった。紫色の黒色に近いドリンクだった。普通は水かお茶が定番だが、ここは違うようだ。

 何かの健康飲料にありそうな毒汁のような色合い。まさに魔女が調合していそうなイメージだろうか。これはなんとなくまずいような気がする。食べ終わり、飲み物だけ残して帰ろうとした。二人共普段よりもかなり早いスピードで食べた。なぜならば、ここに長く滞在するのはやはり心地よいものではなかった。不気味というのが一番早いかもしれない。

「ちゃんと飲め」
 店主の目が怖い。どうしよう、これは飲まなければ帰れないのではないだろうか。無視して、お金だけ置いて帰る?

「一体、何のドリンクなのですか?」 
 仕方なく、飲むふりをする。

「これを飲まないと、死ぬぞ」
 威圧感がある。
 客もちゃんと飲んでいるようだ。
 そして、こちらを睨んでいる。

「紫色の原料が気になります」
「紫キャベツとぶどうの色だ」
 目が怖い。

「本当ですか?」

 由紀子はそのままお金を置くこともなく、立ち去る。
「待って!!」
「ごめん、後で支払うから」
 由紀子はこういう時にビビりの精神を発揮する。他力本願なところがあるが、人柄は憎めないと思っていた。たしかに、不気味な店主に不気味な飲み物。これ、飲んだら死ぬとかないよね? お腹壊さないよね? 支払いの義務ができ、帰りづらくなる。仕方なく一気飲みする。覚悟の上だ。
 案外美味しい味がする。

 料金を支払い、そのまま帰宅しようと横開きの扉を開けると、救急車が止まっていた。自分自身もケガを負っている。なぜだろう。記憶がない。今まで、食べていたはずなのに――ケガを負うなんて。そんな馬鹿な現象は信じられない。

「大丈夫ですか。バイクがあなたたちのほうに走りこんできて、そのままあなたのお友達は死んでしまいました。奇跡的にあなたは軽傷で済んでよかった」
 救急隊員状況を説明された。正直記憶がなく、わからない。

 もしかして、あの紫のジュースを飲めば生きられたのでは? 亡くなったという由紀子のことを思う。しかし、時すでに遅し。振り返っても食堂なんて見当たらない。そこは、シャッター街であり、取り壊し予定の土地らしい。

 なぜ、ここの廃商店街に足を踏み入れてしまったのか今となってはわからない。経緯の記憶が曖昧だ。
 そこには、近々大型ショッピングセンターが建設されるらしい。いまわ食堂という食堂が過去になかったのか調べたところ存在は確認できた。しかし、実際行ったことのある人を探すこともできずに今日まで過ごしている。かつての本当の名前は、今和食堂というらしい。しかし、見たのはひらがなのいまわだった。いまわというのはやはりあの世との境なのだろうか。

 私は、もしかしたら、あのドリンクを飲まなければ――死んでいたのかもしれないと思った。

♢♢♢

 電話で話してみた。優しそうな人で安心した。

「今和食堂という食堂について調べてみませんか? 取引であり、忘れられる怪奇魂はそれ以降でいいですよ」

「少しばかり、気になります。どうせ忘れるかもしれませんが、聞いてみましょう」

 早速町内会の高齢の人に聞いてもらった。彼女自身も真相が知りたかったらしい。
「ああ、あそこの食堂ね。たしかにおいしいトンカツ定食があったわね。あと、他にも色々あったよ。生姜焼き定食とかね。結構客はいたと思うよ」
 80代の女性の話だ。ハキハキとした物言いで、衰えを感じさせない。

「あそこの主人は寡黙だけど真面目な人だったな。経営が悪化したという噂だけど、いつの間にか閉店して、いなくなったんだ」
 80代男性の話だ。町内会の役員を何年もやっている長い町の住人らしい。

「今は何をしているのかわかりますか?」

「引っ越ししたみたいでな。今はわからないな。実家のほうに帰ったっていう話も聞いたような気がするな」
 何人かに聞いたが、仲のいい人はいない様子で、その程度の情報しか得られなかった。

「たしか、奥さんが亡くなったんだよね」
 もう一人の高齢の女性が話し始めた。

「奥さんとは仲良かったけど、病気になってね。子供もいない夫婦で寂しそうだったな。でも、絶品のトンカツは忘れられないね。野菜も新鮮だったし」

「そういえば、紫のジュースって販売していましたか?」
 冴子が聞く。

「そういえば、奥さんが紫の健康に効くっていうドリンクを飲んでた記憶はあるね。旦那さんの手作りで、栄養豊富だとか言ってたよ。見た目はなんだか黒っぽくて美味しそうには見えなかったけどね」

「今和というのは今井和俊という店主の名前からとったらしいよね」

「町内会でもコミュニケーション役は奥さんで、旦那さんは無口だったね」

「でも、優しい人だったんだよ」

 この言葉に、冴子はどきりとした。今、生きているのは今井和俊さんのおかげなのだと。

「ありがとうございました」
 お辞儀をすると、その場を立ち去る。

「私にとって、大切な記憶として残しておいてもいいですか。怖いから、本当はそんなことは忘れたいと思ってました。誰も信じてくれないですし。でも、由紀子との最後の思い出ですから、やっぱり頭の片隅にでも一生残したいのです」

 一連のやり取りを電話で話してくれた冴子さんは丁寧で信頼できる大人だった。

「そうですね。大切な思い出は残しておきましょう」
「りょーかい。冴子さん大人の色気のある女性だからなぁ。許しちゃう」
「何言ってるの」
 私たちのやり取りを聞いたのか、冴子さんは苦笑いをする。今回は記憶の取引はなしとなった。記憶と引き換えにしか凛空を助けられないなんて、とても悲しい。でも、選択肢がないのだから、あーだこーだ言っていられない。

「ずっと心に引っかかっていました。多分、今井和俊さんはもうこの世にはいないような気がします。でも、あの世で、あの世の人のために定食屋をやっているような気がするんです。そして、私のような生死の間にいるものに、紫色のドリンクを与え生きる機会を与えてくれる存在なのではないでしょうか。きっと寡黙なお人好しなのではないかと思うのです」

「由紀子さんも写真で見たけどかわいい人だったのになぁ」
 凛空がつぶやく。

「由紀子はお金を払わずに逃げ出した。これはマナー違反だったのかもしれないと思う。いまわの際の最後のチャンスをみすみす逃してしまった。お金を払うのがルールでしょ」
 冴子は少しばかり吹っ切れたように語る。今でもお墓参りは毎年行っているとのことだ。

 ふと、ルールで成り立っているという最初のここだよ踏切の女性の話を思い出す。
 ルールを破るといいことがない。それは、生きている者でも死者でも同じなのかもしれないと。

「あなたたちもいまわ食堂にたどりついたら、生死の間にいる可能性があるから気をつけないと。もし、大切な人ができたら、ちゃんと一緒に食堂から抜け出してね」

 彼女の体験は本物なのだろう。でも、こうして普通に日常を送っている。
 そういった人は案外たくさんいるのかもしれない。

「まぁ、俺、愛されてますからね」
 相変わらず凛空は軽い。

 怪奇は今回集められなかったけれど、それでも私たちは幸せだと思った。
 そして、怪奇なるものが必ず人を不幸にするわけではない。
 人助けをしてくれることもある事例を感じる。

「さようなら」
 冴子とつながっていた電話を切った。
 人は様々な経験をして生きている。
 後悔も大変なこともある。
 それが怪奇現象のせいであれば、私たちは逃れる術はない。

♢夜の友達

 体験チャンネルというオカルト系の書き込みを探していると、怖いというよりは、少しばかり恋愛的ないい話が書き込まれていた。ただの怖い話とは違うので、つい目に留まった。事実なのか、創作なのかは正直わからない。でも、気になる話、心に残る話というのは事実あるものだ。

「凛空、あんたも夜の街でかわいい子に出会っても人間だという保証はないからね」

「なんだよ、急に」
 凛空はのんきに漫画を読んでいる。他人事感満載だけれど、当事者なんだよね。

「オカルト体験チャンネルを読んでいたんだけど、この内容がラブコメっていうか恋愛ものっていうのかな。心に個人的に刺さってさ。この世界にもっと私より魅力的な女の子はいるわけで、いつ凛空の心が動くかなんてわからないんだよね」

「何を今更、そんなこと百も承知で付き合ってるんだろ」

「それって遠回しに私よりかわいい女の子がいたら心が動くって肯定したってこと?」
 睨んでしまう。

「ちげーよ。ただ、おまえより100倍かわいい女が何千人いても、心が動かないってことだよ」

「うれしいような……でも、遠回しにかわいくないと言われているような……」
 思わず顔面偏差値を気にして鏡を見つめる。

「それで、どんな内容なの?」
 お構いなしに凛空は聞いてくる。顔がいい凛空は顔で悩んだことがないような気がする。

 母親が彼氏を連れてくると外に出ていろと言われたという少年の話だった。

♢♢♢
 当時、学校にも自宅にも居場所がない少年はただ、あてもなく夜の街をさまよっていた。とはいっても、繁華街ではなく近所の公園とかコンビニとかその程度だった。補導されなかったのは、ぎりぎり18歳以上に見えたからではないかと書いてあった。比較的治安は良く、あまり警察がパトロールしている町ではなかったらしい。ただ、星空を見て2時間か3時間くらいして帰宅して眠る。そんなことが当たり前になっていた。

 ほとんど女子と話したこともない少年だったが、突如女子に夜の公園で話しかけられたらしい。彼女は同じ歳で、同じ境遇だったという。つまり、家族から少しの間外に出ていろと言われ、行く当てもないままさまよっていた仲間だった。普段、同じ悩みを共有できる同級生がいるわけでもなく、ましてやかわいらしい顔をした女子が同じ悩みを持っていることは少年にとってとても心強いことだった。そのうち、自宅近くの公園に行くと、彼女はいつもそこへやってきて一緒に星空を見たり、日々の出来事や愚痴を語り合う仲となっていた。

 彼女の名前は秋桜《こすもす》というらしい。秋の桜でコスモスと読むのは彼女に聞いて初めて知った。たしかに、春の桜ではない秋に咲く桜色の花だから、秋の桜かと妙に納得していた。そんな他愛のない話をすることは今までになかったので、少年は彼女に会うのが楽しみになっていた。

 髪の毛は長く、顔立ちは目は大きく全体的に整っていた。クラスにいるならば、きっと一番美しいと人気になりそうな顔をしていた。それなのに、彼女は高校に通っていないらしい。というのも、働かなければいけないと言っていた。家庭の事情はそれぞれだ。あまり聞かないほうがいいのかもしれないが、自分の辛さや置かれた状況をはじめて少年は素直に話をしていた。

 母親は産むだけ産んで身勝手に子供を置き去りにする。ここまで育っただけで一応感謝しないといけないのかもしれないなんて半笑いだ。まぁそもそも産まれてこなければ、今はないのだからとりあえずよしとするか、そんな解釈をしていた。

 秋桜はとても不思議な少女だった。雨の日も風の日も晴れた日も公園で待っていた。幸い公園には屋根のあるベンチが設置されており、そこで夜な夜な語り合うことが多くなった。母親に外に出ろと言われなくても勝手に外に出るようになっていた。一応高校には通ってはいたが、不登校気味になっていたので、卒業できるかどうかは不確かなものだった。しかし、卒業できるという確信は、彼女に出会ってから持てるようになった。校内で孤独でも、夜になれば孤独ではない。恋愛対象なのか、友達なのかもよくわからなかった。それくらい人間関係に疎いというのが本音だったのかもしれない。ただ、誰かと繋がっているという事実がどんな孤独にも勝っていたからだ。

 彼女はどんな時も笑顔でどんな時も一日も休まずに来てくれた。自分を待っていてくれるのがとても嬉しかった。だから、あえて連絡先を聞くことはしなかった。相手の方からも聞いてこなかったというのもあり、自分から聞く勇気が未だ持てないというのが本音だった。彼女がどこに住んでいるのかということを一度聞いたところ、マンション名を教えてくれた。近隣にある古い賃貸マンションだった。彼女は父親の不倫が理由で離婚をして、母親には交際相手がいるようだったが、その人には家庭があるようだという複雑な事情を話してくれた。

「結婚なんてなければいいのに」

「たしかに、法律で縛られると、一人以外と関係を持ったらいけないという法律があるからね」

「相手が結婚しているから、お母さんは結婚できない。お父さんも結婚しているのに他の人と付き合ったからお母さんは怒って離婚した」

「たしかに、こればかりは法律と人間のどこまで許せるのかという許容の範疇なのかもしれないね」

 星空の下、16歳の二人がただ話をしている割には重く、暗い話だったりする。決して、彼女から恋愛に発展するような仕草は見せない。多分、恋愛や結婚が嫌なものと認識してしまっているのだろう。少年自体も同じ考えだったから、同世代の人とは感覚は違うのは顕著だった。汚らわしいイメージを母親から与えられ、楽しいというより快楽を求めている印象だ。

「人間ってめんどくせー」
 何気に言った一言に少女は意外な一言を放つ。

「人間やめちゃおうよ」
 一瞬敏感に言葉の意味を探る。どういった意味だろうか。もしかしたら……最悪死のうとか? 自殺の誘いだろうかと一瞬手がこわばる。
 動物になってしまおうとか、鬼になってしまおうとか? これはこれで、漫画の読みすぎかもしれない。

「人間の感情はメンドクサイよね。私、嫉妬とかいちいちどうでもいい感情に振り回される人間に疲れちゃった」

「まぁ、それはわかる。でも、自殺はだめだぞ」
 真剣に目を見て話す。

「死ぬのは怖いから、自殺はしないけど、人間は辞めたよ」

「どういう意味?」

「私はこの世にはいないという扱いにしてもらったの」

「は?」
 言葉はそれ以上でなかった。

「これ以上生きたくないけど死にたくないって思ったことない?」

「まぁ、あるな。俺の場合、環境が恵まれてるとは言えないし、他の家に生まれたらどんなに幸せだったかとか、生まれなければよかったとか。根暗だとおもっただろ。否定はしないぞ」
 自分で突っ込んでみる。

「根暗だってことは知ってるよ。人間やめると楽だよ。ご飯食べなくて平気だし」

「それ、どういう意味? 君、どう見ても人間だよね」

「私は魂を売ったの」

「なにそれ?? 魂を売るとかまず無理な話じゃん」

「普通は無理だと思うかもしれないけれど、人間の姿でいられるけれど、実は秋桜の精霊に魂を売ったから、心が傷つくこともないの」

「そんなこと、無理だよね」
 再度否定する。

「無理じゃないよ。精霊は自然界の植物に宿るものなの。だから、この姿でいるけれど、この世にいないことになってるんだ。私は永遠にこの世にいるつもり。ある意味永遠に生きるに近いかな。戸籍上は死んでるけど」

 からかっているのだろうと思う。ただ、瞳をみつめると相手の瞳は真剣だった。

「嘘? どこからどう見ても人間でしょ」

「でも、私、あなた以外には姿は基本見えないようにしてるんだよ。見せようと思えば相手に姿を見せることは可能だけどね」

「そういえば、ここでしゃべっている時、俺が一人でしゃべってるみたいに変な顔されたこと何度もあったな」
 通行人がたまにいるのだが、たいてい結構大きな声で会話をしていたので、聞こえていたせいだろうか。ランナー風の人も、犬の散歩の人も不思議な顔をしてこちらを見ていたが、見てはいけないと思い返したように無視して去っていった記憶はあった。

「通行人の冷たい顔、あれ、君が独り言を言っている変な人だと思われてたからだと思うよ」

「俺、かなり痛い人じゃん」

「今更気づいた?」
 彼女は笑う。人の恥を何だと思ってるんだろう。

「君を見た時に、これはやばい、昔の私に似てるって思っちゃったんだよね」

「たしかに、まぁ、精神的にヤバイ時も結構あったよ」

「なんかさぁ、昔の自分みたいで助けたくなっちゃったんだよね」

「自殺ってこと?」

「ちょっと違うかなぁ。秋桜に魂売っちゃった時みたいな」

「ちょっとノリ軽いなぁ……死ぬわけじゃないけどこの世から逃げたってこと?」

「そんなかんじー」

 秋桜は足をぶらぶらさせながら夜空を見上げる。
 少しばかり涼しい夜風が心地いい。

「今はもういないことになっているけど、本当はここにいるの。そして、あなたみたいに必要だなって思う人がいたら寄り添いたいなって思ってね。それは、普通の人間にはできないことだから」

 ありえない話だが、妙に納得してしまい、それ以上の反論はしなかった。自分の気持ちととてもよく似ていると感じていたからかもしれない。

「そっか。でもさ、俺は人間でいたいな。いつか――いいことあるんじゃねーかって思ったりするんだ。実は才能あるかもしれないし。夜に出歩くようになってさ。気持ちが変わったんだよ。普通は悪いことだって言われるけれど、夜風に当たると気持ちがリフレッシュして頑張ろうってなってさ。星空は昼の青空とは違った美しさがあって、暗い分、明るい時には見えてしまう自分の容姿も目立たない。髪型とか、服装とかもっとちゃんとしないとって昼の方が考えてしまうと外に出るのが億劫になるんだ」

「それはあるね。女子は特に気にするかも。化粧、かわいい服、流行の髪型とかじゃないと外に出るのはなんだか恥ずかしいって思うんだよ」

「俺、こんな風に女子と話したことってあんまりなかったから、新鮮だ」

「それならよかった」

「でも、秋桜って普通にモテたんじゃない? 外見はとても可愛いと思うよ」

「モテたのかなぁ。学校ってそんなに行ってたわけじゃなかったんだ。実は、お母さんの相手の男に何度も襲われそうになってさ。男はあんまり得意じゃないんだ。でも、精霊になってからは相手の心がある程度見えるから、怖くなくなった。それに、同世代の男子のほうが変なことしてくる人はいないなぁ」
 普通の過去の辛い話をさらりとする美人な少女はどんな人間生活を送っていたのか少しばかり気になった。

「これまでもこんな人助けみたいなことをしていたのか?」

「まあね。大抵は、夜の街をさまよっていた寂しいヤツに死ぬくらいなら精霊になれって説教していたかなぁ。でも、あなたみたいな意外と芯がしっかりしている男は少ないよ。見た目はひ弱そうだから、精霊に誘おうかと思ってたんだよ」

「そっか、俺が初めてじゃないのか……」
 自然とぽつりと出た台詞がこんな未練がましいとは自分でも驚きだ。

「初めてじゃないと寂しいの? たまたま会った順番が違っただけ。でも、一番気に入っているのは夜琉《よる》くんだよ」

「俺のことを気に入ったのか?」
 意外過ぎて初めての嬉しさでテンションマックスになる。

「本当は精霊にしたかったんだけどなー」

「さらりと怖いなぁ、君は。ちなみになぜ秋桜の精霊なの?」

「本当の名前が秋桜だったっていうのもあるんだけどさ。自分をこの世から消そうと思った時に、秋桜の精霊っていうのがうちの近所の秋桜畑にいたの。夜だったんだけど、一晩ずっと寄り添ってくれたんだ。そして、精霊になるということは永遠で辛いことはなくなると教えてくれたんだ。ちょうど、秋の初めの秋桜が満開の時期だったかな。葉が細く繊細で、華奢なのに、花は毎年丈夫で何もせずとも咲くという存在に幼少期から憧れていたの。すごく美しい女性で、こんな人になりたいって思えたんだ。その人はたくさんの人を救っているって言っていた。精霊になることが一番の救いだと私はずっと思っていた。でも、人間でいる大変さも面白いね。もし、人間に戻れるのならば、あなたと過ごしていたかったって思う」

「俺は精霊とでもずっと一緒にいれたらいいけどな」
 やばい、今のは告白に近いかもしれない。少しばかり照れてしまう。

「精霊の私でもいいの?」

「秋桜じゃないとだめだ。この闇の中で、心が落ち着くのは、君がいたからだ。だから、もっと俺は君を知りたいし、頼りたいし、一緒にいたいんだ」

 顔から火が出そうな告白だ。今までクラスの人間ともまともに会話できなかった人間が言う台詞とは思えないと自分で突っ込む。漫画以外でこんなことを言う人間がいるなんて呆れてしまった。

「じゃあ、一緒にいよう。昼も夜も一緒にいたい。でも、困っている人がいたら助けに行くから」

「使命感強いな。給料はでてないんだろ」

「実は、給料はないけれど……私と一緒にいると寿命が少しずつ短くなるの。でも、ほんの少しだから、極端に突然死ぬことはないの。だから、私と一緒にいないほうがきっと長生きできるよ。勝手に相手の命を吸い取ってしまうみたいなんだ」

「なーんだ、そんなことか。今、ここで死ぬよりもずっといい生き方ができそうだな。だって、生きるなら楽しく一緒にいたい奴といるべきだろ。同意の上、覚悟の上だ」
 気持ちの上で、生死の間をさまよっていたような気持ちになっていた少年は、そのような気持ちになっていた。

「ありがと。じゃあ、一緒に生きよう」

「おう」

 ハイタッチする。なんだよ、この感じ。一緒に生きるって付き合うっていう意味に近いのか、自分でもわからないでいた。夜更けに少年が一人で拳を突きあげ空に向かって喜んでいる様子はやはり変かもしれないが、幸い人はいなかった。

 ちなみに、今も毎日彼女と過ごしている。もちろん誰にも見えないけれど。そして、少年は高校に通うことができるようになり、バイトをして自分の生きるためのお金を稼ぐことにした。当てにならない大人に頼るよりも目の前の現金が大切だと思ったからだ。仕事はコンビニで、少しずつ貯金しながらも、自分が食べるに困らなくなったのが一番の幸せだと思う。命が少しぐらい減ってもいい。人生は幸せに楽しく生きるのが一番だ。

 彼女の実家に友達としてお邪魔して線香をあげた。彼女の親は、あまり悲しそうではなかった。たしかに、彼女はこの世に存在していた。しかしながら、今もこの世に存在している。彼女の部屋の香りは彼女の香りなのかもしれない。というのも彼女には香りがない。精霊には、生きているという香りが無らしい。

 そして、少年は今も生きていると書いてあった。書き込みは最近だ。生き生きと生きている。それは、これ以上にない素晴らしいことだ。

♢♢♢
 この世にいない友達――これはとてもとても怖いようで、一番最強なのかもしれない。一番心を許せる消えることのない恋人のような存在。愛したモノがこの世に認められないモノでも、愛せる対象がいれば幸せなのだろう。なんだか、深い。ただ、生きるよりも幸せに生きるということはある意味難しい。

 こんな感想を私たちは感じた。感想文ではないが、体感した感想だ。

「奪っちゃいけない怪奇体験ってあるよなー。愛だなー」
 凛空はのんびりしている。他人事だからそういうセリフなのもわかるが、愛を天井を見ながら語るあたりが、愛おしい。ってこれは秘密事項だ。

「愛だなーって、なにそれ。でも、怪奇体験って怖いばかりじゃなくて、切なくて愛おしい場合もあるんだね」

「そもそも、怪奇って恐怖だけじゃなく、不思議とか奇妙な意味合いもあるしな」

「これは、いい話としてネット上で読むにとどめるしかないね。怪奇魂はもらえそうもないし。この少年は、現在進行形で命を削ってもそばにいたいんでしょ。夜琉っていうのも、もちろん偽名だろうしね」

「男女交際も命がけかぁ」

「それくらいの覚悟で恋愛しないとね」

「今日の所は、これくらいにして宿題しないとマジでヤバイな」

 どこまでが事実でどこまでが創作なのかは私たちには本当のところは、わからない。
 私たちは学校生活や日常生活の中で怪奇集めをしている。日常を崩さずバランスを取るのは実は難しい。でも、私たちの未来のために、愛する人のために怪奇集めをするんだ。

♢記憶屋  恋ができない体質 恋の記憶を買いたい

 不思議な店に迷い込んだという書き込みを体験チャンネルで見つけた。怖い系が苦手な凛空にとっては不思議系のほうがいいというのと、人が恐怖や不幸になる話よりも幸福になる話を読みたくなったというのは事実だ。

 これは、記憶屋と呼ばれる店に導かれ、入ってしまった人間の話だ。
 記憶屋は記憶を買うことができるらしい。奪われるわけではなく、プラスすることができるのは、私たちの状況とは真逆だ。もし、この店に行けば買えるのならば、取り戻したい記憶もたくさんある。記憶屋に導かれる状況は様々らしい。買える金額を持っている者でなければいけないし、記憶によっても値段は違うと書いてあった。記憶屋自体、どこにあるのかもわからないし、実際に行ったという書き込み主の状況は人それぞれ違うようだった。一番詳しく面白く書いてある書き込みを読んでみる。

♢♢♢
 記憶屋は小奇麗な珠が浮かんだ小屋のような小さな建物の中にある。第一印象は美しい。だから、怖いという印象はなく、扉を開けた。高校生の詩音《しおん》(仮名)が導かれたのは放課後、夜景が見える夕方の帰宅時だったと書いてある。詩音は高校3年生で進路選択で迷い、将来をどうしようかとても悩んでいた。何か秀でた才能ややりたいこともなく、ただここまできた。勉強は一応やっていたし、準進学校と言われる高校に在籍しており、成績は中の上くらいだ。

 しかし、恋愛の経験は全くないので、甘い学園生活に憧れがあるのも事実だった。好きな人ができない体質なのか、仕方がないが、恋をしたという記憶だけでも買ってみたかった。もし、おこづかいの範囲で買える金額であるならば――。

「あのー、恋をしたという記憶を買うことはできますか?」
「可能です」
 美しい銀髪の男性が笑う。
「いくらですか?」
「500円でどうですか?」
 思いのほか安い。これならば、購入可能だ。

「どうやって記憶は買うことができるのですか?」
「記憶魂を渡します。それは、簡単に体内に入っていきます」
「記憶魂?」
「記憶のボールみたいなものですよ。ビー玉を大きくした程度です。さあ、お金をください」

 500円玉を渡す。すると、ふわっとした感触が体全体に感じる。一瞬立ち眩みのような状態だったが、何かが入る。体内が少しばかり温度が上がった気がした。たしかに、何か光る小さなものが入った。すると、会ったことのない同じくらいの少年が笑う。意外とカッコいい顔だと思う。今まで一度も恋愛感情を持ったことがないのに、この時は、なぜか恋愛感情なのかよくわからない感情が沸いた。温かい気持ち、ふんわりした気持ち、安心した気持ち。そんな気持ちが複数沸く。

 記憶なので頭の中の出来事だが、鮮明に見え、感じることができた。

「君は将来どんな仕事をしたいの?」
「ええと、わかんない」
「ずいぶん、将来設計がしっかりしてないなあ。それでも高校三年生なのか? じゃあ、幼少期に好きだったことを思いだしたらいい」
「絵を描くのが好きだったなぁ。あとは、歌うこと。そして、遊ぶこと」
「美大や音大は考えていなかったのかな。でも、今からじゃあ準備が間に合いそうもないな。更に、お金もかかるのが芸術だ。君は幼稚園のころの短冊になんて書いたの?」

「あぁ、あの頃は幼稚園の先生って書いた。身の回りにいる先生って魅力的だったし」

「今は、なりたくないの?」

「そういうわけじゃないけど、仕事は大変だと聞くし、本当になりたいかといわれるとよくわからないんだ。強い感情はまだ湧かないの」

「強い感情を持って全員が仕事を選んでいるわけじゃないんだ。大人ってさ、生活のためにハローワークに行ってより、条件に合った仕事を探すんだよ。好きじゃない職種でも選ぶこともある。転職することもある。君はピアノも絵
も習っていたんじゃないの?」

「まぁそうだけどね」

「じゃあさ、君が一番得意なことを進路に選びなよ」

 サラサラした髪の毛の少年は急にハグをする。じんわりする感情。
 恋ってこれなのかな? じんわりする感じ。ドキドキというよりは安心する抱擁だった。心が温められた詩音はこれが恋なのかと実感する。

「ねぇ、あなたは好きな人はいるの? 私は人を好きになったことがないし、好きになれないかもしれないんだ。結構本気で悩んでいて」

「僕は、好きな人はいるよ。人を好きになれないという人もいるんだよ。多様性の時代だ。それが悪いわけでもないし、これから人を好きになる可能性も充分にある」

 少し沈黙の後、
「知ってる? 他者に対して性的魅力を感じないというのがアセクシュアルっていうらしい。他者に対して恋愛感情を抱かないがアロマンティック。性的欲求・恋愛感情の両方を抱かない方はアロマンティック・アセクシュアルと言うらしいよ。一般的には他者に恋愛感情を抱かないという意味も込めてアセクシュアルと言うことが多く、他人に恋愛感情を抱くものの性的魅力を感じない人はノンセクシュアルと呼ぶことがあるんだって」

「小難しいなぁ」

「男性が男性を好きになるとか、女性が女性を好きになることもある。でも、どちらの性別にも恋愛感情を抱かない人がいると最近わかってきたんだ。きっとずっと前からそういう人はいたんだと思うよ。だから、もし、今後好きな人ができなくても大丈夫。僕を思い出して」

「私、あなたのことは好きだと思う。多分だけど」

 にこりと笑いありがとうと言う。

「じゃあ、僕はそろそろ行かないと」

「また会える?」

「もう会えないかもしれない。一度会っただけでも好きっていう感情は大切にしてほしい。僕も君が大好きだから」

 少年は扉の向こうに消えていった。緑の木々が生い茂る庭に葉が舞い散る。木漏れ日が少しばかりまぶしく心地いい。

「記憶はいかがでしたか? きっと一生この記憶はあなたの脳裏に焼き付きますよ」
 丁寧に店員はいざなう。
「さぁ、こちらでコーヒーでもいかがですか。きっと良い目覚めが待っていますよ」

 コーヒーなんてほとんど飲んだこともない詩音だったが、いざなわれるがままにミルクを入れた光る黒いコーヒーをひとくち飲む。温かくて、とろけるような口当たり。コーヒーってもっとコクがあって苦いのかと思っていた。でも、これ、本当にコーヒーなのだろうか、そんなことを思っていると、ふと目が覚めた。夜中、自分の部屋のベッドに寝ていた。

 懐かしいアルバムがどさっと本棚から落ちてきた。
「夢だったんだよね」
 電気をつけ、夢だと思ってアルバムを何となく開く。

「若い時のお父さんの顔……、さっきの少年と同じだ」
 あれは恋じゃなくて死んだ身内への愛情だったのか?
 やっぱり、アセクシャルなのだろうか。父はそういうことを伝えたかったのかもしれない。そして、進路の話も――。
 今のところ、まだ恋愛をできていない。でも、人間が嫌いではない。
 怖くはない不思議系な話だが、この記憶はお金以上の価値があったと思っている。恋愛とは違ういい感情が購入できた。せっかくだから、体験チャンネルに書いて、共有するとともに、忘れないでおこうと思う。

 もし、自分の性的嗜好で困ることがあるようならば、インターネットの世界を通じて情報を共有し、仲間を見つけたいと思う。

♢♢♢

「これ、絶対に奪ってはいけない記憶だよなー」

「そうだね。この人は、忘れないために書いているのかぁ。嘘っぽくはない話だね。どちらかというと感動系小説みたいな感じだよね」

「もしかしたら、アセクシャルなのかもしれないな。あんまり知られていないけれど、人に恋愛感情を抱かない人が一定数はいるらしいし。俺には理解はできないけどなぁ」

「人を好きになる基準は、理解できないのと同じなんじゃない? たとえば、なんで私たちが付き合っているからとか」

「俺を好きになることは理解できるけどなぁ。魅力いっぱいだし」

「それ、自分で言ってるあたり、痛い人だよ」

 苦笑いが響く。奪っていい記憶と奪ってはいけない記憶がある。私たちは、もらえる記憶を探さなければいけない。

「この銀髪の人、いざなだったりするのかな。なんか、似てるよね。容姿の感じとか、記憶魂とか」

「いざなはこんな場所で誰かに化けて記憶魂を売ったりしているのかもしれないな」

「そうだね、あの人、本当の目的はわからないしね。敵か味方かもわからない」

「でも、そんな奴の言うことを信じて怪奇魂を集めてる俺たちってどうなんだろうな」

「根も葉もないでたらめだったりしたら、一番怖いけどさ。病は一番怖いよ。原因不明、完治不可能って、藁にもすがりたくなるよね」

「そーいう時に、詐欺に遭いやすいのかもしれないな」

「他人事みたいに言っているけれど、凛空のことなんだよ」

「わかってるって」

 いつもマイペースで笑いを絶やさない。この人がいなくなったら私はどうしたらいいのだろう。一番不安を感じているのは私自身なのかもしれない。

♢バケルくん

 バケルという少年の話を聞いた私たちはバケルについてネットを中心に調べていた。意外と情報が少なく、捜査は難航していたので、結果的に後回しになっていた。バケルというのは本当の姿が不明が故、全く全容がつかめないというのが本当の所だった。知らず駅にいたのはたまたまだったのかもしれない。出現率が高いのかどうかというのはいざなに確認したほうがいいのかもしれない。普通にこちらの世界にいるという話も昭和の子供新聞には載っていた。主に昭和から平成初期に目撃情報や噂はあったようだが、平成後期から令和になってからはそのような情報はみつからなかった。少年の姿は仮なのかもしれない。本当は、人間の姿ではないのかもしれないし、ましてや動物でもなく液体のようなものが本質なのかもしれない。化ける故、真実は闇の中だ。

 知らず駅の女性の話では普通の少年で、服装は黄色いTシャツだったと聞く。そして、紺色の半ズボンだったらしい。髪型は昭和風な坊ちゃん狩り。表情は無。一言で言うと不気味で怖い。バケルは化けることが得意らしいけれど、何にでも化けられるのかは検証不可能なので、把握は難しい。

 怪奇集めというホームページと掲示板を開設した。というのも、こちらからアポをとるよりも、ネット上で集めたほうがずっと早いということに気づいたからだ。特に、ネットに情報が少なく、書籍にも載っていないものは特に情報が得られにくい。昭和の雑誌は子供向けのものが多く、正直本当なのかもわからない。情報源はあいまいで聞くにも聞けないでいた。

「ホームページの開設提案した俺、天才だよな」
 凛空は得意気だ。

「開設したのは私だけどね」
 いつも実行するのは私。凛空は口だけ出している。

「提案くらい誰でもできるでしょ」

「でも、一番はインターネットだよな。無条件に世界とつながるってロマンだなぁ」

「ロマンっていうより怪奇を集めなきゃいけないんだから、私たちは感傷に浸る暇はないってことよ」

「現実主義だなぁ」

「私たちは現実の中で、生きなきゃいけないでしょ」
 相も変わらずの凛空のマイペースさには呆れてしまう。自分の未来がかかっているなんて微塵も感じさせないふわっとした感じ。でも、これがキリキリしていたら、それはそれで二人の空間は重く苦しいものとなるのかもしれない。

 嘘でもいいから、たくさんの様々な情報がほしいと願う。
 アカウントでは、様々な怪奇体験を募集する。ジャンルは特に指定なし。身の毛もよだつ怪奇ものから、奇妙で不思議な体験。さらに、じんわりほっこりするような怪奇まで何でもOKだ。できれば、怪奇魂をいただけるほうがありがたいので、なくしてもいいお話大歓迎と書いておく。もちろん、趣味として興味として読んでおきたい気持ちもあり、どんな些細な怪奇体験でもお待ちしておりますと間口を広げた。

 バケルについて調べているときに、バケルに遭遇した話という書き込みをしてくれた人がいた。書き込み名はKKさんだ。KKさんは子供の時に、バケルらしき子供と遊んだことがあったという。のちに、あれがバケルだったのかとネットで知ったらしい。ずっと記憶の奥にしまっていたバケルとの時間。小学校低学年くらいならば、そんなに親しくない人とでも何となく一緒に遊んでしまうということはよくある。気にすることもなかったのかもしれないが、何となく違和感があり、心にしまっていたらしい。

♢♢♢

 KKと申します。実は、小学2年生の頃にバケルらしき妖怪少年と遊んだ記憶があるんです。その子は小学校にはいない少年で、学区外の子供が近所にいることは珍しいことでした。それに、あまり笑わないし無口だったと記憶しています。田舎だったため、学校の生徒のほぼ全員の名前と顔は知っていたので、名も知らぬ少年が小さな町にいること自体珍しいことでした。それ故、鮮明に記憶に残っていました。

「君は誰? この町の子供じゃないよね。引っ越してきた転校生?」

「違うよ」

「じゃあ、遊びに来たの?」

「そうだよ」

「親戚の家? この辺りの家はだいたいわかるから、誰の家?」

「秘密」

「名前は?」

「秘密」

「秘密が多いな。それじゃあ名前も呼べないな」

「じゃあバケルって呼んでよ」

「変わった名前だな」

「あだ名だよ」

 そう言うと黙々と砂遊びを始める。声も容姿も子供そのものだった。

「この町の町長さんの家はあそこだよね」
 バケルが言う。

「そうだよ。用事があるのかい?」

「別に」

 そのまま地べたを見つめていた。その時代にはよくいる雰囲気の服装で、特に目立つわけではないのだけれど、独特な何かを感じた。

 その後、バケルを名乗る少年を度々見かけるようになった。
 決まって近所の砂場だった。町長の家がよく見える場所で、まるで監視をしているかのようにも思えたが、子供だったので、それ以上なにも考えずに遊んでいた。

 その後、町長が悪いことをして、逮捕されたというニュースが流れた。そして、その後、町長よりも20歳年下の美人な奥さんが再婚したらしいという噂も流れていた。誰と再婚したのかはわからなかったが、一度元町長の奥さんを見かけたことがあった。この町では珍しい垢抜けた美人で若い女性だったのでとても目立っていた。目鼻立ちは整っており、スタイルは抜群だ。幼いながらも、美人ということは理解できていた。

 そこにいたのは、銀髪の美しい男性だったというのだった。でも、ひとつ気になったのは、バケルという少年がつけていた大きな目立つ銀色のイヤリングのようなものだった。銀髪の美青年とバケルは全く同じイヤリングをしていたのだった。当時、男性がイヤリングをすること自体珍しい時代だったので、とても鮮明に記憶に残っていた。男の子供がイヤリングをするなんて、昭和時代には考えられない。今でも、滅多に見かけない。

 もしかしたら、バケルは化けるだったのかもしれないと、ふと、思う。子供にも大人にも不細工にも美男子にも化けることができる。女性でも男性でもそれは化けることができるのだろう。それが、何者なのかは今でも説明することはできない。

 こんな投稿をしたのは、最近社長が解任されたという事件があったからだ。バケルに似た少年を一度見かけた。その後、社長は不祥事が判明して解任された。つまり、座敷童の逆バージョンなのかもしれない。

 人に不幸をもたらすのがバケルではないだろうか。
 彼を敵に回すときっと災難が降りかかる。まるで小雨が降るように、その災難からは、掻い潜ることができない。そして、社長の娘が銀色のピアスをつけた男と歩いている様子を目撃したの男もあの時を思い出すきっかけになった。度々娘さんのことは紹介されており、社員は認知していた。美しい女性なので、憧れの的でもあった。その後、美しい娘が男性とうまくいかなくなり、自殺をしたという噂を耳にした。ニュースでもちらりと見たほどの些細な事実だった。所詮は他人事だ。そして、町長の妻がその後行方不明になったという噂を思い出した。明日は我が身かもしれない。

 その投稿は事実という感じがじわりと伝わってくる。他人事であり、ひょうひょうとした文章なのだが、事実らしき怪奇な出来事がうまく融合されているように感じた。銀色のイヤリングはいざながしていた気がする。あの時は余裕がなく、そこまでじっくり彼の容姿を見たわけではない。しかし、彼は全体的に銀色の雰囲気だった。髪の毛も服装も白銀という印象が強い。バケルといざなはどこかでつながっているのかもしれないし、バケルがいざなに化けただけなのかもしれない。

 投稿者に実際に話を聞きたいとメッセージを送る。
「お金なしでというのはちょっとね。金銭的に貧困だから」
 大人はいつもそうだ。お金が一番で、その対価に何かを与えてくれる。

「お金、払える額なら払おうか」
「でも、嘘だったらどうする? こういうのっていくらでも作り話ってつくれるでしょ」

「嘘だったら記憶魂ってもらえないってことかな」

「そこらへん、ちゃんときいてなかったぁー」

「もらえないってことだとおもうけどね」

 

#創作大賞2024 #ホラー小説部門