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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.36

  どうしても疲労感がぬけないので、20歳の頃からの友人に「来年の今頃は生きてないかもしれん」と溜息まじりに言うと、「恵ちゃん、50年前からおんなじこと言ってるよ」と言われ、のけぞりました。若い頃から死の恐怖に慄いていたのかと。
 その話を以前、教室に来ていた知人にすると、「20年前も、来年は生きてないと、言うてたやないですか」と言われる。
 相手は、私の妄言を覚えているのに本人は覚えていない。

 記憶障害かも……。

 50歳になるかならない頃に、地方局に出演していた美人占い師に3万円の鑑定料を払って占ってもらったところ、「よく生きて60までだ」と言われ、生命保険に急遽加入したが、まだ死んでいない。60歳になったとき、3万円を返してもらいたいと思ったが、名前も顔も忘れているのでどうにもならない。

 先日も、ゼミ生だった女性から電話がかかってきても、名前も顔も思い出せない。彼女はショックを受け、私がボケたと思ったようだけれど、当初から覚えていない。毎回、座席表に名前を書いてもらい、それを見ながら指名し、初見で添削していたので、本人の顔を見ていない。いまも顔と名前が一致するのは数人しかいない。
 親しくしている友人に、「顔を見たら、思い出すんやないの?」と訊かれたが、うっすらとも記憶していない。 

 昔、大阪で「花博」があったときのことでした。        
 双子の娘を連れ、大阪の地下鉄乗り場で迷い、どっちへむかって行けばいいのか、まったくわからなくなり立往生していたそのとき、若い女性が現われ、私の名を呼び、直通で行けるホームへ連れて行ってくれたのです。
 卒業生であることは、なんとなくわかるのですが、名前も顔も思い出せない。歩きながら、話しかけてくれるが、「どなたでしたか?」と尋ねるわけにもいかず、困った記憶がある。当時はまだ私も若く、彼女も卒業して間もなかった思う。
 しかし、面影すら頭に思い浮かばない。

 古い写真は見るのもイヤだし、日記をつけたこともない。自分史を書けない理由の第一は、近しい者との葛藤は歳を経るごとに寂寥感に変容し、記憶は赤茶けた壁紙のように剥がれたからです。

 NOTEに投降した小説であっても、「**さんがよかったです」とコメントをいただいても、どの小説の主人公かもわからない。それをご当人に告げると、「エーッ、そんなことがあるのですか」と絵文字つきのコメントが却ってきた。
 昨今は書いている途中で、登場人物の名前や年齢を忘れるのでメモに書いておくのですが、山積みのメモの中から、その紙きれを探しだすのにひと苦労しています。早い話が、自分のしていることが、もはやよくわかっていない。

 九月半ばに星組公演「記憶にございません」を観劇に行く予定なのですが、タイトルからしてわが身のことを言われているとしか思えない。自分の足で「花の道」を歩けるのかと、いまから心配でたまりません。そのときは、ヅカトモの腕を杖がわりにして這ってでも行くつもりにしています。

 以前、スポーツ紙にエッセイを5年間、書きました。もちろん、ゴーストライターとしてです。依頼を受けた方が、野球を知らなかったからです。このとき、原稿用紙二枚半、文字数でいうと1000字程度。愉しんで書いたことは覚えていますが、掲載誌を残していないので何を書いたのか、まったく記憶していません。覚えていることは一つ、ある投手のことを絶賛した記事を書いたところ、掲載後に担当の記者さんから「ありきたりなことは書かないでください」と言われたことでした。
 書いた内容は一行も記憶していないのに、それこそありきたりの酷評は、はっきり記憶している。だったら、なんで、掲載する前に言わんのや、書き直せるのにアホンダラめと、怒りや恨みだけは根深く残っています。 

 性格が悪い。性根がねじ曲がっている。これは死ぬまでなおらん。
 
 もうね、きれいごとでは、どうにもならんと近頃は思うようになりました。
 ありのままの自分で、残り少ない時間を勝手気ままに生きるしかないと――ローマの賢帝の「自省録」とは無縁です。

 追記 「物語の作り方」をお読みいただいている数少ない方に申し上げておきます。小説の書き方に特効薬があるようなことをだらだらと書いておりますが、偽薬なので効き目はございません。
 どうして書く気になったのか、その動機さえも忘れています。


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