脳に関して考えた話

最近、自分の手を見て違和感を感じて、鏡で自分を見ていると感じたが、自分を外見で認識する能力はあまりないと分かった。どちらかと言えば、入れ物だとも思った。よく、体が心に影響するとか言うけれど、あれは脳から繋がる神経が原因だと思うんだよな。触覚も視覚も聴覚も、やってくるのは自分の中の思考、詰まるところ心で、最終的には脳で完結する。体と脳は別物で、脳に影響するのは外来物、体は脳を維持し、脳に組み込まれた生物としての機能を果たす、器にすぎないんじゃないかと思うわ。
また、ちょっと話は変わるんだが、結局は外来物が重要だと思うんだ。言語が良い例だと思うんだけど、脳の思考のもととなるのは全部外来物で、そこから自分で昇華させたものが自我だと思う。あーけど、ひょっとしたら、昇華させる方法自体かもしれない。そこで話が戻るんだが、大事なのは外来物、詰まるところ環境なんだ。これは実際、色々なところに現れているんだけど、まあ犯罪率とかが良い例だと思う。昇華元が悪ければ、良いものは生まれづらい。昇華させる能力が高ければ違うかもしれないけどね、ここら辺はまだあまり考えられてないや、そもそも能力に違いはあるのかも分からんし(今のところ、それが脳のスペックなんじゃないかと思ってる、IQとかも近いかも)。ただ、脳のスペックも遺伝と言う環境に左右されるし、環境からは逃れられないよね。人生は不平等ってことだね。
まあ、こんなこと考えて行き着いたんだけど、もし人類が体を捨てて、遺伝子も調整して一切合切の外的要因を受けなくなったら、それが真の平等なんじゃないかと思うわ。けど、それが幸福とは限らないっていうか、ぶっちゃけ幸福にはなれないと思うわ(不幸かは分からんが)。だから、不平等であることは幸福にとって最高のスパイスだと思うわ。けど、スパイスだって入れすぎたら料理はまずくなるから、ほどほどがちょうどいいよね。要は、幸福も不幸も感じるのは心で、全ては環境に依存するってこと。ごく稀にいる天才って言うのは自我が強すぎて、外来物を取捨選択してるんだと思う、だから変人が多いんじゃないか?


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