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対比されるもの〜The sun and the moon に寄せて


太陽と月、
海と山、
田舎と都会、
右翼と左翼、
畏怖と崇拝、
朝日と読売、
資本主義と共産主義、
親と子、
男と女、
大人と子ども、
金持ちと貧乏人、
天使と悪魔、
藤井風と風民、
若者と年寄り、
賢者と愚者、
祈りと呪い、
繋がりとしがらみ、
昼と夜、
夏と冬、
日本人と外国人
地球人と宇宙人、
戦争と平和、
勝者と敗者、
容認と否認、
始まりと終わり

まあ、いろいろあるよね。
もろもろどう受け入れるか、
どう折り合いをつけるかで、
見えてくる景色も変わる。

あなたが観てる景色と
私の観てる景色が同じ
であるはずはない。

違っているから面白い。
対立ではなく違うから
互いに惹きつけられる。

二つに大した違いはなく、
どちらかが天国ではなく、
ともに、天国になりうる。
今、起こっていることに、
ともに、もがき、苦しみ、
ともに、先を、見つめる。

心の中にあるはずの愛、
私たちはずっとずっと
それを探し続けてきた。
いくつもの星を横切り、
私たち自身が
自燈明となるために。

全てを手にするには、
ある程度の自制心が必要。
時には手放すことも最善。
止める時、辞める時、
流れに委ねることを、
皆が知ることこそが肝心。

太陽と月
あなたは勝ち、私は負ける
何が違うのか、
何も違わない、

愛よ、
星たちの輝きで心を満たすために、
私たちは、心の中にある、ここに、
いつもあなたを探してきた。

やっぱり、あのlove は、愛する人の意味だった気がする。或いは呼びかけね。ねえ、なのか、ねぇねぇ、か。おい、なのかも。#TheSunandTheMoon

予告を聴いて、Oh lord って言ってるのかとも思ったんだよね。パンフレット見たらloveだったから、愛を擬人化してるのかと思った。でも、愛する人なら、意味はさらに明確になる。#TheSunandTheMoon

でも、呼びかけのあとは、We の主語が続くから、個人の私的な愛ではなく、もっと普遍的なそれぞれの愛、それぞれのハイヤーセルフの集合体を意味するのかもしれない。#TheSunandTheMoon

you は、単数でも複数でもとれるので、特に問題はない。やはり、呼びかけているのは、ハイヤーセルフと考えるのが妥当だろうか。🤔 #TheSunandTheMoon

さまざまな解釈ができる、したくなるような素晴らしい歌詞を、帰国子女でもなければ、バイリンガルでもない、ひたすら学習して、歌って身につけたのであろう英語で、藤井風が書いた。

これは、彼にとっても大きなチャレンジであったはずだ。そして、また、彼は見事にそれを軽々とやってのけた。そんな歴史的瞬間があったことを、ここに書いておく。

河瀨直美監督はラジオ番組で、この映画への参加は、藤井風自身が望んだことだったと明かした。そして、かつて誰も聴いたことのないような君が代から始まり、最後のピアノの蓋を閉めるところまで、藤井風はこの映画に寄り添い続け、愛で包んだ。誰からも祝福されなかった東京2020オリンピックに、彼は福音を授けた。そして、彼を選んだ河瀨直美監督の眼は正しかった。将来に、後世に残るドキュメンタリー映画を巡る、これもまた一つのドキュメンタリーであったとわたしは思う。

公式映画から、最後の最後で救いを与えられた東京2020オリンピックが、この先、どのような評価をされるかは興味深いが、それは、後の世の人々に委ねたい。ただ一つ言えるのは、この作品を今、この時に評価している人たちは、歴史を理解できない愚かで哀れな人たちだと言うことだ。

オリンピック公式映画とは、たぶんこう言ったものなんだろう。

追記
サイドBについては、別の方が音楽を担当することになった旨のお知らせが先日ありました。藤井風は、アローンアットホームツアーの真っ最中でもあり、日程調整がつかなかったのでしょう。深読みはしません。ハローグッバイ。藤井風サイドは、やれる日程を組んでいたと思うし、最後まで責任を持ってやりたかったのではと思います。ただ、このオリンピック公式映画を、最初から2本に分けた河瀨直美監督自身の見解が、あの週刊誌の報道のせいで見えにくくなったこと、それが残念です。



JASRAC 出 2203833−201
The sun and the moon より抄訳 
Written by Fujii Kaze 


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