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【短編】夏の彼女

夏休みには必ず祖母の家へ遊びに行き、お中元にいただいたカルピスを飲ませてもらっていた。

大きさがビールジョッキほどあるグラスに、原液を注いで水で割ってかきまぜ、氷を入れてストローをさして飲む。

カラコロとした氷の音と、カルピスのあの爽やかで優しい甘さと、家ではなかなか飲ませてもらえないことからの新鮮さ。それを味わうのが、幼い私にとっての夏の楽しみのひとつだった。

祖母の家へ行くと、その近所に住む従姉の“えっちゃん”がよく遊びに来る。名前を江梨子(えりこ)というので、皆からえっちゃん、えりちゃん、と呼ばれていた。

えっちゃんは私よりも四つ年上である。えっちゃんは私によくかまってくれるけど、私はまだ幼い子供によくある恥ずかしがり屋な年ごろで、あまりえっちゃんに向かってものを言ったり遊びに誘うことはできず、ただ彼女に手を引かれて、その後をついてまわった。一緒に付近を散歩したり、あぜ道に咲く花を摘んで遊んだ。
 
祖父は私が物心つかないうちに亡くなった。ひとり寂しい身だった祖母は、こうして私とえっちゃんが家に来て遊ぶのをとても喜んだ。

私は幼いながら、えっちゃんの顔を見るたびに「美人だなあ」と感心していた。えっちゃんは私の親や親戚からもことあるごとに「えっちゃんは美人さんだねえ」とよく言われていた。あまり日焼けをしない白い肌に、睫毛の長い二重まぶたの、少しつり上がってぱっちりとした目。肩より少し下まである綺麗な黒髪。私も皆の言う通りだと思っていたので、特に妬むことなどはなかった。

ひとつだけ羨ましかったのは、彼女の着ているワンピースだった。カルピスの包み紙のような、白い生地に青の水玉模様。えっちゃんがそれを着てカルピスを飲んでいるのに私はとても憧れて、「えっちゃんと同じワンピースがほしい」と母親にねだるほどだった。

私は小学校を卒業するまで、夏休みは祖父母の家で過ごした。きまってえっちゃんも、

「かなちゃん、いる?」

と遊びにきては、私の宿題を見てくれたり、庭でスイカ割りをしたり、また一緒に縁側に座ってカルピスを飲んだ。

私が小学生でいるあいだ、えっちゃんは中学生にも高校生にもなっていたが、彼女はいつまでもえっちゃんだった。成長するにつれて遊びや話の内容は少しずつ変わっていったけれど、えっちゃんと私の関係はいつまでも変わらなかった。

しかし、私が中学生や高校生になると、夏休みも部活動や受験勉強に追われ、祖母の家へ遊びに行くことはなくなってしまった。お盆に両親が顔を出しに行くくらいだった。

大学生になってからは、私はさらに遠くへ引っ越してしまった。とはいえ、夏休みは時間があるので祖母の家に来た。が、それでもえっちゃんと会うことはなかった。彼女はすでに就職していて、仕事が忙しくなかなか帰省できないらしいことを、えっちゃんの母親でもある伯母から聞いた。

その年の十二月に、前々から体調を悪くしていた祖母が入院し、そのまま肺炎を起こして亡くなった。年末年始も忌中だったが、そのときもえっちゃんは帰って来れなかった。喪中見舞いのはがきと、綺麗な花柄の和ろうそくだけが届いた。

翌年の夏も私はその家へ来た。亡くなった祖母の初盆である。

私が親戚たちに挨拶をしていると、

「まあ、江梨子ちゃん!」

と玄関から声がした。えっちゃんが来たのだ。私は思わず立ち上がって玄関の方へ行こうとしたが、もう中へ上がり込んできていた。

髪を茶色に染め、お化粧をし、覚えていたえっちゃんとは少し違っていたが、彼女は変わらず美しかった。今も私の憧れるえっちゃんだった。

えっちゃんは仏壇に手を合わせると、持っていた紙袋から一本の瓶を取り出した。それは昔えっちゃんが着ていたあのワンピースと同じ、白に青の水玉模様の紙に包まれていた。カルピスだった。

「昔よくおばあちゃんにカルピスを作って飲ませてもらってたから。私が働いて買ったカルピスをおばあちゃんにも飲ませたかったの。お中元やお歳暮で送ればよかったんだろうけど、なかなか余裕がなくて」

えっちゃんは悲しそうな笑みを浮かべて、静かに言った。

「だから今日はお仏壇の前に置いて、明日いただきましょう。かなちゃんと一緒にね。あの大きなコップはまだあったかしら。氷はうちから持ってくればいいわ」

私は咄嗟に言葉が出なくて、代わりに涙が溢れそうになりながら、何度も何度もうなずいた。

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