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些細な感謝の伝え方が分からない

書いた人: 荒野 鯰

 最近、困っていること。それは街ですれ違う知らない他人のちょっとした親切に対して、謝意を表す言葉が見つからないことだ。

 例えばエレベーターに乗った時。私の他にもう一人、知らない人が乗っているとする。先に乗った自分はエレベーターの奥の方にいて、もう一人が操作板の近くに立っている。ここで、二人とも同じ階で降りるとなった時、多くの場合、操作板の近くの人の方が「〈〉」ボタンを押して私が降りるのを待っていてくれる。

 実を言うと、エレベーターに乗っている人数が1〜3人とあまり多くない場合には、「〈〉」ボタンを押し続けなくても全員が危なげなく降りられるのだが、わざわざ「〈〉」ボタンを押して待ってくれるという気遣いをむげにすることもできない。そこで、降りる時に感謝を表す何かしらのアクションを起こさなくてはならなくなる。ここが困りどころだ。

 「ありがとうございます」が最も適当なのだろうが、エレベーターごときで「ありがとうございます」と言うのは何だか大袈裟すぎるような気がして気持ちが悪いし、では「どうもすみません」と言えばいいのか、というのもなんだか情けない。

 なんと言っても、私は25年間、他人の目線を気にするあまり、日に50回は他人に対して無意味に謝り続けてきたのである。私にとって、他者は基本的にものすごく恐ろしいもので、何もしていなくても私を脅かしてくるし、彼らが何もしていなくても私は彼らに対して憤りや嫉妬心を感じてしまう。

 だから、できれば人目を忍び、俗世から隠れ、水の綺麗な東北の山奥なんぞでテンカラ毛針を使って岩魚を釣って剥製にしたり、猪や鹿を撃って食糧を得ながら、誰とも衝突することなく、誰からも蔑まれることもなく、ひっそりと暮らしていきたいと切に願ってみたりはするのだが、どうして人並みの功名心や他者と接触することへの憧れはぬぐいきれず、どっちつかずのままにここまで生きてきたのである。

 そんな私が街でなんとか生きていくための対処法が、とにかく他人との関わり合いの中で、一瞬でも不協和音が鳴ったりすれば、すぐさまこちらから謝罪をするというものだった。つまり一時的にでも自分を相手よりも下の序列に置いてみせることによって、相手の敵意や不信を軽減するのである。これはなかなか強力な手法で、確かに敵は生まれにくい。友達も増える。

 しかし、一方でこうした世渡りを長く続けていくと、別の問題が出てくる。無意味に謝れば謝るほど、今度は自分自身が次第に疲弊していき、自尊心もどんどんすり減っていくかと思いきや、内側に陥没していき、むしろ肥大化していってしまうのである。

 他者との衝突を恐れる心と、肥大化した自尊心が一人の人間の中で結合すると、その宿主は次第に自分の頭の中で「自分は本当は有能である」という誇大妄想を育むようになる。

 自分は本当は有能な人間なのに、なぜ信用されないのか。異性にモテないのか。会話がうまくできないのか。合コンに呼ばれないのか……などなど、こうした考えが一度身についてしまったらもうダメで、表面上はいくら自信なさげに装い、誠実に振る舞ってみても、その奥深くに潜む傲慢さ、周囲への侮蔑を賢い他者は敏感に感じ取り、警戒してしまう。

 他者が遠ざかれば遠ざかるほど、その人間はより非現実的なものに頼るようになる。成れの果てが、私が小さい頃、近所でよく見かけた自分で自分にインタビューをしながら放浪するおじさんや、目が合ったから自分のことが好きに違いないというトンチンカンな妄想で、異性を執拗に追い回すストーカーなのだろう。

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