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雑記:出版業界に対する軽い絶望



 トランスジェンダーに関する書籍(内容的にはトランスジェンダー批判と思われる)が発売1ヶ月半前というタイミングで刊行中止となった。

 同様に発売前に批判を受けて、その販路を大幅に制限された作品に「例のAV」こと『一般社団法人代表似非フェミニストの闇堕ち快楽性交』がある。これはほぼ全ての人が内容を確認することもなく批判を行い、プラットフォームへ圧力を掛けたが、実際の内容は批判者らの想像とは異なり、力点は特定団体への誹謗中傷ではなく社会批判・社会風刺であった。そういった人々に対して、私は以前、作品へのレビューを通じて批判を行った。

 むろん、その社会批判・社会風刺が適切か否かは別の議論が必要であろうが、その問題提起を受け取ることもせずに封殺しようとする社会は不健全である。話は逸れるが、NHKの流出事件により「Colabo寄りの偏向報道」と目されていた番組が差し替えになった件も私は残念に思っている。報道はされた上で(本当に偏向報道であったなら)しっかりとNHKは批判されて、その責任を取るべきだっただろう。

 さて、今回の『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』に関しても同様の想いを抱くのではあるが、一方で、「書籍は刊行された上で、言論の力で批判し、その内容を否定するべきである」といった言説が、理想論的・楽観的なものであるという意見も分からなくはない。

 原則論としては、何人の表現の自由も保証しつつも、内容的な問題は言論の力で否定すべきであるが、現実にはどうしてもグラデーションというものがある。言論の力によりその思想が最終的に駆逐されたとしても、その過程において「何か」が起こらない可能性はない。そう考えれば、「流石にこれはなぁ」という作品もあるにはある……。そういう意見も無碍にはできない。

 とはいえ、その線引は簡単ではないし、その線引を容易に決定してしまえば、結局、言論弾圧と変わらない。そして、今回の当該作品が「流石にこれはなぁ」であるかは分からないのだ。原語で読めるとはいえ、翻訳版の刊行は中止となったのだから。

 つまり、(まだ出版されていないため)読み手側にはその判断ができない以上、これは本来は出版社側が責任を持って、刊行の是非を決めるべき事柄なのである。今回は英語版があるため事情はやや特殊だが、通常は読んでもいない人間の批判など聞く必要はないし(当たり前だ)、ましてやそれに影響されて刊行中止の判断などするべきではない。

 と、ここまでは一般論のレベルであるが、ここから私はプロの作家として、その特殊な立場から、今回の事柄に感じた「軽い絶望感」をお伝えしたい。社会正義や表現の自由などの理念的・概念的な問題ではなく、もっと卑小なレベルの話……そう、カネの話だ。

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