見出し画像

失われずに、失われている音楽の話

ビーチボーイズの『スマイル』というレコードが、この世にあるはずであった。
、あるはずであった…?
ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』とならんで稀代の名盤といわれるビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』の次の作品として、1967年に発売が予告されたにも関わらず、ついに発売されずじまいになった、まさに幻のレコードがその『スマイル』なのである。

レコード会社としては予告していたアルバムの発売延期は想定外ということなのか、急遽『スマイル』の断片に過ぎない音源を一部使用して『スマイリー・スマイル』というアルバムが発売された。

幻の『スマイル』(左)と『スマイリー・スマイル』(右)

この『スマイリー・スマイル』は、それはそれとして魅力はあっても『スマイル』ではない!という話がまたたく間に広まった。そこには『ペット・サウンズ』を完全に更新することが約束された世界が広がっているはずなのである。

ビーチボーイズの最高傑作『スマイル』

という評価だけが定着し、その完全な形については誰も聴いたことがないという状態が今でも続いている。

\\\\\

ルネサンスリコーダーの為の演奏レパートリーとして、最も有名な部類に数えられている『ボールドウィンの備忘録』も、現状としてそのようなものらしいという話を聞いた。

1980年頃に『ボールドウィン手写本より 器楽曲集』と題された2冊の曲集が全音楽譜から出版され、リコーダー愛好家の間でバイブルとして受け入れられた。この原本がロンドンの大英図書館に収蔵されている。

原本には1980年に出版された2冊の5倍ほどの作品が収められており、ウィリアム・バードなどルネサンス期の有名な作曲家の作品のほかに、多数の「解読困難な」作品がそのままの姿で眠ったままなのだというのである。

矢板由希子さんと菅沼起一さんにお話を聞いた。

\\\\\\

矢板:この本の中には、現代の五線譜にそのまま置き換えても問題ない作品もたくさんあるのですが、修正するか謎解きをするか、そうでないとまず理屈のつかない作品も少なからず存在します。今回はなるべく修正はしないという方向で譜面を起こしました。修正というのは、例えば音が足りないと思われる時にここに書かれていない音を付け足すというようなことです。
でも、このままでは演奏が成立しない。そこをどうするかというところが「謎解き」の部分です。

菅沼:そもそも近代以前のヨーロッパでは、こうした譜面を書くことが必ずしもそれが演奏されることに直結していなかったかもしれないという議論があります。当時、音楽は一般教養として流通していた面がありまして、純粋にそうしたもののひとつとして楽譜を書いた人がいるのではないかと。

高田:高度な数式とか複雑なパズルとか、必ずしも何かの役に立つというのではなく、それとして知的な興味が満たされるという意味でしょうか?

菅沼:そうですね。こうした複雑な楽譜を書く人が必ずしも職業音楽家でなく貴族・愛好家だったかも知れないというのは特にイギリス・ルネサンス期の特徴かもしれません。でも、楽譜として成立しているのであれば、それを演奏すれば音楽になるはずだという意味では全て「演奏用」だとも言えるわけで、レパートリーにもなりうる。実際、ものすごくいい曲ばかりなんです。聴いていただきたい!

高田:鳥の声とか風の音などを音符に移し替える描写的な楽譜と違って、例えばフーガのようにまず音符ありきという記述的な楽譜があるというのは何となく知っているのですが、もし演奏されないとすれば記述的な楽譜としてもかなり極端なものではないでしょうか。

矢板:はい。実は『ボールドウィン』の中にはそうした作品が多数あって、その存在がこの写本を唯一無二のものにしている重要な部分といっても良いほどです。

高田:その重要な部分が、ほとんど知られることないまま『ボールドウィン写本』自体は有名なのですね?

矢板:そうですね。私の師匠であるケース・ブッケの監修で出版された1980年頃の楽譜はとても有名で、リコーダー奏者であればまず知らない人はいない曲集となっています。でも、その時に出版されたのは2巻だけで、もしその続編があればというところでもう45年以上が過ぎてしまっています。
ルネサンス・リコーダーで演奏できるオリジナル作品の中でもこれは大変貴重なレパートリー、とすれば、なぜこれまで手を付けて来なかったのかなと自分でも思います。原本を参照することは出来たはずなのに。

全音楽譜から出版された第1巻(1978)と第2巻(1981)

高田:通常『ボールドウィン写本』といえば、一般にはその出版された2巻のことをさすのだとすれば、矢板さんが「ボールドウィンをやりたい」といっても、なかなか意味が通じないのではないでしょうか?

矢板:菅沼さんはもちろん原本のことも全てご存じで、私がお誘いした時には「ああ、あれ!」とすぐに分かってもらって嬉しかったです。

菅沼:そもそも『ボールドウィンの備忘録』はイギリスでウィリアム・バードなど有名な作曲家の作品を調べる過程で、それが掲載されているからといって話題に上ったのがはじめで、1970年代中頃にオックスフォードではじめて論文が出て、その中ですでにひととおりの調べがついた形になってしまっていて、その後に続くものというのは僕の知る限りではありません。

矢板:私は研究の分野ではなく、純粋のリコーダーの作品として、いわば師匠がやった仕事の後を追うという気持ちなので。

菅沼:1980年頃ということは、オックスフォードの論文から数年しかたってないわけで、その段階で日本で出版されたというのはかなりすごいことですよ。

高田:その方向に進むわけですね。45年ぶりに。

矢板:譜面のことでは複雑だと申し上げましたが、聴く音楽としてとても美しい作品ばかりです。まずは音で聴いて、楽しんでいただければと思います。

高田:複雑といえば先ほどリハーサルを聴いていて、あたかも2つの別の作品を同時に演奏しているのかと思うような不思議な感覚が時々あったのですが、演奏しながら二人が「合っている」というのはどのあたりで感じるものなのですか?

矢板:大きなパルスを共有していて、それが重なるポイントで二人がその部分の音で出会えば、それで合っているということになります。

菅沼:いわゆるミーティング・ポイント、そこで会おうというところがあって、そこまでに辿り着くまでは自分が正解かどうかはわかりません。

高田:なるほど。そのポイントの間隔が狭いほど、合わせやすいということになりますね。

矢板:逆に広いとすごく難しくなります。

菅沼:本当に。あとでちゃんと出会えるかなって。(笑)

高田:その大きなパルスというのは、どうやって共有するのでしょう?

矢板:基本的にこの時代の音楽はセミブレヴィス(全音符)が心臓の鼓動、つまり脈拍のスピードといわれています。

菅沼:それを信じて、進んでいきます。約束の地点まで。

高田:聴いている方は、その地点までの道中も全てハーモニーとして楽しむことが出来る。やはり聴くための音楽ということになるでしょうか。

矢板:そのように楽しんでいただけたらとても嬉しいです!

菅沼:演奏するのもとても楽しいので、是非聴きに来ていただけたらと思います。

高田:ありがとうございました!

・・・・・


いったい何年ぶりに音として鳴り響くのか、そもそも音になったことがあるのか…記録は見つからないそうです。
『ボールドウィン写本』、どうぞお楽しみに!

'24年9月20日 (金) 20:00時開演
「ボールドウィン写本」
矢板由希子 recorder
菅沼起一 recorder

https://www.cafe-montage.com/theatre/240920.html


いいなと思ったら応援しよう!