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フィクションが終わる時代


異常な世の中を、出来るだけ普通に戻していく、そのために何が必要か。

そもそも普通とは何なのか?
いま現在が普通なのであって、以前が異常だったのではないかということさえ叫ばれる中で、そもそも「普通が良い」と思っていたのか?という考えが気の毒そうに近くを通り過ぎるものだから、気が散ってしょうがない。

ゼロの中で、全てが和やかに予定される時代。
令和が最終回の時代だという予感はずっとあった。
昭和、平成から続いていた物語のほとんどが、想像していたよりずっと早く、もう最終回を迎えてしまった。
自己からの解放なり、他者からの解放なり、戦後に長く残されてきた宿題のほとんどは、すでに物語に吸収された。そして、物語は終了した。
それらをまた紐解きたいという空気さえ、ほとんど感じられない。
全ての人が「ありがとう」と言って、物語に別れを告げている。
これからは、物語のない時代が続く。

振り返ると、普通をめぐる論争が延々と続いている。
戦う理由などないのに、何かの記憶にしたがって戦っている。

「普通だったらこうする」「普通ならやらない」「それは普通じゃない」「普通に考えよう」「普通…とは?」

まもなく消え去ろうとしている自分のものではない記憶が振り絞った、最後の言葉を聞きながら、消えゆく記憶にしがみついて頷く動作を繰り返している。

実際には誰も戦ってなどいない。
原因や理由が全て過去に根差しているという物語は全て回収され、夢判断に差し戻されてしまった。そこには過去も未来もない。夢は全てを正当化する。
物語がどのように終結したのか、もう一度確かめるくらいの時間は残されているかもしれない。
でも、もうすぐ全てを忘れ去るだろう。



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