フォーレ研究の第一人者ネクトゥーもこう言っているのだから、フォーレの没後100周年に、いまこそプルーストを読むべきだと思った。
フォーレの音楽を追体験する、そのつもりでプルーストの文章を読む。
そのようなことが可能だとすれば、プルーストの文章をここで誰かと共有することで、フォーレの音楽をも同時に共有できるのではないか。
音楽を聴かずして、音楽を共有する。
空想にすぎないことでも、プルーストの文章に対するアプローチの方法、もしくは小さな手がかりのひとつでも見出すことが出来るかもしれない。
それだけでも少しは意味のあることだと思ってくれる人が、ひとりでもいてくれたらと思って、ここからは『失われた時を求めて』からの引用を、音楽作品のように並べていくことにする。
引用元は井上究一郎訳のちくま文庫。
引用する文章としては、作曲家ヴァントゥイユの作品が登場する『スワンの家のほうへ』と『囚われの女』からプルーストが音楽について書いている部分。
ネクトゥーの言う「誇り高き、曲がりくねった文章」によって、音楽を聴く人であれば、おそらくは寄り添うことの出来る感覚を引き出すことができればと思った。
音楽を聴く時に感じるあの、自分にしかわからない感覚。
手元に本がなくても、音楽を聴くように、何かを見出してくれる人がいればと思う。
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『失われた時を求めて』を読みながら、いまそこに書かれていることの意味が、そこではなく、まったく違う箇所に書かれていることに気がついた、ということがたびたびあった。まだ見出だせないところの意味については、もしかしたら、この本ではないどこかに書かれているのかも知れない。
フォーレによる言葉の引用で、最後としよう。