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ISに破壊された街で、金色のドームが真っ先に再建された意味

イラクの宗教的少数派ヤジーディが多く暮らしていた同国北西部シンジャール。2014年8月のISによるシンジャール侵攻から5年経った今も、街は廃墟のような状態で、復興は進んでいない。

輝くドーム

9万6000人いた人口は、ISの侵攻でほぼゼロになった。2015年11月にISが撤退した後、帰還が始まったが、現在も2万5000人にすぎない。ISが撤退した後も、治安回復やインフラ復旧が進んでおらず、イラク国内の避難民キャンプにとどまる人や、難民として海外に脱出する人が依然として多数を占めている。

市街地からゆるやかな坂をあがった丘の上に、金色に輝くドームがひときわ目立つ建物がある。イスラム教草創期(7世紀)の指導者、イマーム・アリーの娘、サイエダ・ゼイナブをまつる霊廟だ。イマーム・アリーは、イスラム教の預言者ムハンマドの従弟で娘婿で第4代正統カリフ。その娘のサイエダ・ゼイナブもイスラム教シーア派信徒の崇拝の対象である。

ゼイナブの後半生は不明な部分が多く、死去した場所もよく分かっていない。シリア・ダマスカスには、ゼイナブが685年に死去した場所に建てられたとされる廟があり、これが最も有名だ。1991年にはモスク(礼拝所)が完成し、シリア内戦が始まる前は、各国からの多くのシーア派信徒の参詣者でにぎわっていた。また、エジプト・カイロで亡くなったという説もあり、カイロ中心部に廟がある。

シンジャールのサイエダ・ゼイナブ廟がある場所も、ゼイナブの埋葬地とされている。ダマスカスやカイロのそれに比べ、決して大規模ではないが、歴史と由緒ある廟だ。

1239年に建立

イラク北西部モスルを拠点にしたザンギ朝滅亡後のモスルの支配者、バドルッディーン・ルールが1239年に建立したとされる。

このルールという人物は実は、ヤジーディと因縁の深い人物。モスルの支配権を確固なものにしようとルールは、ヤジーディを攻撃する。ヤジーディの中興の祖、シェイフ・アディの墓を暴いてその骨を焼き、シェイフ・アディの継承者のシェイフ・ハサンを殺害した。

シーア派住民の支持を取り付けるためルールが建設したとされるゼイナブ廟。時代は下り、2014年8月、この地に攻め込んだIS戦闘員によって破壊される。シンジャールのヤジーディが多数殺害され、拉致されるという中で、この廟も標的にされた。ISは、シーア派をイスラム教と認めず、信仰を棄てた「棄教者」とみなしていたからだ。

シーア派施設だけ再建

その後、廟は再建された。米ジャーナリストのリジー・ポーター氏が米シンクタンク「アトランティック・カウンシル」に寄稿した2019年8月掲載の記事によれば、個人からの寄付3万5000ドルでまかなわれた。廟の管理人アミール・アイユーブ・フセイニ氏は、ポーター氏に「前より、きれいで立派になった。(イラク南部の)バスラからも参詣に訪れた人がいる」と語ったという。シンジャール地方にシーア派住民は、IS侵攻以前からほとんど住んでいない。

廟で働く30人の従業員の給与を支払うのは、イラクのシーア派団体だ。今後、尖塔や庭園、周辺道路などを整備する計画があるという。破壊されたままの住宅地の復興が進んでいないのに、シーア派の宗教施設だけが再建されている状況は明らかに奇異である。

廟を見たポーター氏は、イランの影響を感じたと記した。「レバノンのバールベックにある、サイエダ・ハウワ廟のカーボンコピーのようだ」という。サイエダ・ハウワ廟は、ゼイナブ廟と同様、シーア派の女性聖人をまつる霊廟。イランが創設したレバノンのシーア派民兵組織ヒズボラが警備にあたっているという。

イマーム・アリー旅団

ゼイナブ廟を警備するのは、イラクの民兵連合組織「人民動員軍」(PMU)を構成する部隊「イマーム・アリー旅団」。イマーム・アリーは、先述の通り、シーア派信徒が最もあがめる7世紀の人物でゼイナブの父親の名前である。

人民動員軍は、ISがイラク北西部モスルを制圧直後の2014年6月13日に、シーア派最高権威のアリ・シスタニ師が、「首都バグダッド防衛」を訴えるファトワ(宗教見解)を発したのを契機に結成されたイラクの民兵連合組織。約60個師団からなり、総兵力は10万人以上。その中でイマーム・アリー旅団は人民動員軍結成時から参加している7部隊の1つ。

司令官はイランとの仲介役

イマーム・アリ旅団のシブル・アルザイディ司令官は元々、シーア派指導者ムクタダ・サドル師配下の民兵組織「マフディ軍」の司令官を務めていた。その後、イランとのつながりが深めていく。前出のリジー・ポーター氏の記事によると、イランの精鋭軍事組織「革命防衛隊」コッズ部隊と人民動員軍全体との財政面での仲介役を務める重要人物という。

同旅団は、シリア内戦にも参加し、世界遺産パルミラ遺跡で、ISと戦ったと言われている。イランがあからさまに自軍を派遣できないイラクやシリアで、イランの別動隊として戦闘に参加している民兵組織、という見方ができるようだ。

2015年11月にISがシンジャールから撤退して以降、シンジャール地方の治安維持の中心は、クルド地域政府の部隊「ペシュメルガ」配下のヤジーディ民兵部隊だった。だがその後、2017年7月に人民動員軍を主力とする部隊がイラク北西部の主要都市モスル奪還に成功すると、人民動員軍のシンジャールへの浸透が活発になる。

クルド語テレビ局「ルダウ」のニュースサイト(2017年10月17日付)によると、「人民動員軍」に加わった4000人近くからなる2個旅団のヤジーディ部隊がシンジャール南部の12か村に駐留していた。

「関係ない」やつら

イランやイラクのシーア派勢力にとって、シンジャールのゼイナブ廟の警護が、どれほど重要なものなのかは分からない。ただ、ISの占領、撤退という、シンジャール地方を襲った激動をきっかけに、シーア派勢力が、自らの勢力拡大を狙う意図を持っていることは確かだろう。

トムソン・ロイター財団のニュースサイトによると、ヤジーディの民兵組織を率いるカーシム・シャショー氏はイマーム・アリー旅団のシンジャール進駐について「あいつらはこの土地と関係ない。ISを再び呼び戻すことがあいつらの目的だ」と怒りをあらわにした。

ヤジーディがコミュニティー再建に取り組むシンジャールに、イラクのシーア派勢力とその背後にいるイランの「影」が浮かび上がっている。

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