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イラク・チグリス川上流の平原は、宗教的少数派の天地だった

 イラクの北西部、チグリス川の上流域には「ニナワ平原」と呼ばれる大平原が広がっている。下のツイートした英語記事の地図で示されているのが、その場所。

チグリス川の支流、大ザブ川のを遡行すると、流れが速くなるあたりで平原は尽き、「クルディスタン」と呼ばれる少数民族クルド人が暮らす山岳地帯に入る。

少数派宗教の聖地

この山岳地帯の入り口に、ラリッシュと呼ばれるなだらかな渓谷がある。この渓谷に沿うように、城塞のような建物群がある。


谷間を埋め尽くすように築かれた要塞のような石造りの建物。三角すいの塔が6本そびえる。トルコやイランにもあるキリスト教の一派、アルメニア正教の教会建築に似ているところもあり、イスラム教の礼拝所(モスク)の尖塔をずんぐりさせたようでもある。塔には縦に幾重にも溝が刻まれており、開き始めの傘のようでもある。この地域の他の宗教建築と似ているようで、似ていない。この建物は、「ヤジーディ」と呼ばれる人々にとって最も重要な聖地だ。ヤジーディは、イスラム教徒が多数派を占める中東世界にあって、「少数派の中の少数派」に位置づけられる宗教集団である。

ヤジーディが信仰するのは「ヤジード教」という独自の宗教だ。ヤジーディはクルド語を話し、民族的にクルド人に分類されることが多い。クルド人はイラク、イラン、トルコ、シリアの四か国を中心に総人口は3000万人以上いるといわれる。クルド人が多数派を占める国家はなく「国家を持たない世界最大の民族」とも言われる。

世界に約100万人

ヤジーディは、そのクルド人の総人口の数パーセントにあたり、約100万人を占めるとみられている。居住地域は、イラク、トルコ、シリア、アルメニア、グルジアなどだ。

中でもイラクが最も多く、ロンドンを拠点とする国際NGO「少数派人権グループ」によると、2014年初頭の時点で約70万人が暮らしていた。だが同年の8月、ヤジーディ最大のコミュニティがあるイラク北西部シンジャール地方がイスラム過激派組織「イスラム国」に軍事制圧された。数十万人のヤジーディが流浪の民になった。ヤジーディという少数派宗教集団は今、存続の危機に立たされている。

「クルド人本来の宗教」


ヤジーディたちは、「ヤジード教」こそが、クルド民族が元々信じていた宗教であると信じる。現在、クルド人の多数を占める宗教はイスラム教だが、それは、征服者であるアラブ人によって改宗させられた結果であって、クルド人にとっては、しょせん借り物にすぎないのだとヤジーディたちは考える。


 「ヤジーディ」という名称は、「ヤジード教」とイスラム教の長い緊張の末に定着した呼び名だ。元々、自分たちが名乗った名称ではない。ヤジーディたちは元々、自分たちを「ダースィン」と呼んでいた。ダースィンとは、トルコ・ハッカリ地方にあったクルド人王朝の名前だ。ヤジーディという呼び名は、ウマイヤ朝第二代カリフ、ヤジードを支持する人々という意味でイスラム教徒側が使い始めたものとみられている。
この「ヤジーディ」という呼称が、イスラム教徒側のヤジーディに対する偏見、差別意識が色濃く投影されている。

この宗教の名称を「ヤジード教」、ヤジード教を信仰する人々のことを「ヤジーディ」と表記することにする。「ヤジード教」をイスラム教の一派とみなすという考え方に立って「ヤジード派」と表記するケースも散見される。だが、独自の教義、儀礼を持つと言えることから他宗教の亜流ではなく、独立した宗教であるという考えに立つことにする。

「中興の祖」は神秘主義者

ヤジーディたちは、ヤジード教は古代メソポタミア文明期に起源を持つ古い宗教であると信じているが、その歴史は実のところ、不明な点も少なくない。歴史に明確な足跡が記されたのは、12世紀になってからのことだ。現在のレバノンからイラク北部にやってきたというシェイフ・アディという人物が、この宗教集団の「中興の祖」といわれる。ラリッシュの谷にある神殿にはこのシェイフ・アディもまつられており、「シェイフ・アディの神殿」とも呼ばれる。アディはイスラム神秘主義者だったとされ、メソポタミア起源の信仰を守り伝えていたヤジーディたちにイスラム神秘主義の教義を注入した。ヤジード教を、イスラム教の一派とみなす人もいるのは、そうした経緯も影響している。

ISの標的に

ISに攻撃されたヤジーディが暮らしていたのは、ニナワ平原からは西に外れた、シンジャール地方。少数派が多く暮らすニナワ平原と、アラブ人イスラム教徒の居住域との境界に位置していたこともあり、真っ先に狙い撃ちされることになったのだ。

シンジャール地方のヤジーディの受難は、イラク戦争(2003年)によるフセイン政権崩壊で、イラク国内が混乱した時期にさかのぼる。イスラム教スンニ派系の過激主義者たちが、宗教的少数派を「異端」だとして、攻撃するようになったからだった。ニナワ平原に暮らす、キリスト教徒、ヤジーディなどの宗教的少数派も標的にされた。

ISが2019年3月に実効支配地域をすべて失い、ニナワ平原やシンジャール地方でのイスラム過激派による攻撃は沈静化の様相も見せているが、故郷を追われた人々の帰還は進んでいない。

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