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凡人のカフェ開業 ~天才のカフェ経営を真似てはいけない~ プロローグ

プロローグ前編はこちら


プロローグ 後編

『Wi-Fiさん』と名付けたのは
SAKIcafeのアルバイト『徳山菜美恵』
紗季はナミちゃんと呼んでいる。

『Wi-Fiさん』はお店に来るといつもPCを開くのだが
Wi-Fiの感度がSAKIcafeの入り口近くだといいらしく
入り口横の棚にお店の景観を壊さないように
そっと携帯型Wi-Fiルーターをおくのだ

まだ来店して初めのころは
『ここにWi-Fi置いていいですか?』
と毎回聞いていた。

その仕草がナミにはなんだか面白かったらしく
『Wi-Fiさん』とあだ名をつけたのだ。

来店頻度は2週間に一回。
高円寺に仕事でその頻度できているらしかった。
頼むのはどんな暑い時期でもコーヒーのホット。
ただし銘柄はいつも悩んでから決める人だ。



2017/1/8
閉店する1ヶ月前
紗季の心は折れていた。
バキバキに折れていた。

紗季がいるこの場所が1年前のオープニングレセプションであれほど賑わっていた空間と同じとは思えなかった。

暖房がきいているはずの店内は
どこかシンシンと冷え込んでいるようで
その冷え込みに紗季の体はおろか心までは少しずつ凍てつかされているようだった

『動けない』が『動きたくない』に変わっていくのをひしひしと感じている。
まさに『真綿で首を絞める』の表現がぴったりだ

厨房機器買取業者から提示されたこちらの足元を見られた金額や
閉店することを大家さんに伝えなければならない現実が
紗季を感度をさらに鈍らせていた。

ランチが終わり、お店から紗季以外の人気が消える。
また店が冷え込みだすのか・・・・
と思ったところで『Wi-Fiさん』がきた。

冷え込みが止まり、またお店が温まりだす。

ちょっとだけ心がほぐれたその勢いで
『Wi-Fiさん』にSAKIcafeを閉めることを伝えた。
それを聞いた『Wi-Fiさん』の寂しそうな顔に促されるように
紗季も話し出す。

『あんなに手間もお金もかけて作ったお店も、売る時は100万程度なんですね・・・』



次の日の閉店1時間前に『Wi-Fiさん』が来た。
しかも20代後半くらいだろうか。
下北沢の古着屋さんでスタッフをしてそうな
ちょこんとした女性を連れていた。
立ち居振る舞いや仕草からサービス関係の仕事をしているのが見て取れる。

『Wi-Fiさん』が2日続けて来るのは初めてだし
誰か連れてきたのも初めてだった。

『本城佳苗さんです』

『Wi-Fiさん』はなぜか連れの方を紹介した。

紹介もいいけどそもそも『Wi-Fiさん』の名前をまだ知らないんだけどな

とか考えていた紗季に思いがけない言葉が届いた。

『このお店、佳苗さんに譲るってどうですか?』


そこからはとんとん拍子だった。
『Wi-Fiさん』は紹介だけするとあとはノータッチで
佳苗との打ち合わせになったのだが
SAKIcafeを5年の減価償却に基づいて資産を計算し
買い叩くことをせず、適切な買い取り金額を提示してくれた。
また大家さんも次に引き継ぐ相手がいることと
佳苗があの『green cup coffee』が
清澄白河に日本初出店際の店長だったことを伝えると
拍子抜けするほどスムーズに話が進んだ。
なにやら大家さんが昔働いていた銀行が
green cup coffee日本進出の際のメインバンクだったらしい

スムーズに進みすぎて紗季は罪悪感を覚える。
それはまるで佳苗に不良債権を押しつけて逃走するような感覚だった。


2017/4/1 本城佳苗は『B-saison』(ビーセゾン)をオープンする。
紗季もお店のその後が気になってちょくちょく足を運んだ。

まるで養子に出した自分の子供の様子を見にいくように。



『2回お店を潰したみたい』

と紗季が呟いたのは
1度目はSAKIcafeの閉店の時で
2度目はB-saisonが無くなりスケルトンになった今である。

そして今『Wi-Fiさん』とここで出会った。

『お店無くなったんですね・・・』

紗季が寂しそうに呟くと『Wi-Fiさん』は意外そうな顔をした。

その顔に『?』な顔で答える紗季

『移転したんですよ』

『?』な顔に言葉で返した。

『オファーがあったんですよ。出資するからもっと大きなハコでやってみないかって。大きな古民家をリノベーションしたらしいんですけど。
名前もB-saisonからY-saisonに変えるみたいですよ』

そうなんだ。私と違ってお店をつぶしたわけじゃないんだ。
そりゃ元green cup coffeeの店長ならスポンサーもつくよな・・・
ただ・・

『大家さんに悪いことしたなぁ・・・』

思わず言葉になっていた

自分みたいな若い人に快くお店を物件を貸してくれたこと
佳苗に引き継ぐ話をした時も嫌な顔1つせずに
何かやる時は声かけてよ、応援するからといって賃貸契約の時に貰ったものとは別の名刺をくれた。

なのに2年ちょっとでテナントが空いてしまうなんて・・・

『それなら大丈夫ですよ』

なにが大丈夫なのよ

『だって、オファーしたのが大家さん本人なんですから

。。

。。。

え?

そうなの?

でも、それって・・・。

同じテナントで紗季と佳苗を比較して
そして佳苗を選んだということだ
あの大家さん、『山下文七』は。

選ばれた佳苗への尊敬と嫉妬
選ばなかった山下への判断の適切さとなのに湧き上がる矛盾する悔しさ
いつになっても『選ばれない』ことに慣れない
過剰に感情が昂ってしまう。
そしてなにより今もう一度この場所でカフェを始めてもうまくいくイメージが沸かない、失敗した理由がわからないふがいないこの自分

言葉にならない感情が紗季を取り囲む。
凍てつき震えていた心に暗い灯がともる。
暗い灯りを情念の炎に変えて
折れた心を溶かして無理やり繋げた。

『話聞かせてもらっていいですか?』

黒い炎を隠すことなく『Wi-Fiさん』に言い放つ。
まるでそのすべて元凶が『Wi-Fiさん』であるみたいに。
『Wi-Fiさん』はなんも悪くないのだが
自分の感情をオブラートに包む余裕が今の紗季にはなかった。

ただそんな余裕がない紗季でも
これを聞かなきゃいけない、ってことだけは忘れなかった。

『あの・・・・名前なんていうんですか?』

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