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小説「バーチャル孫遊び」

 広く豪奢な屋敷の中、椅子に座る老人に対し男が立ったまま話しかけた。

「VRChat、というものがございまして」

 そういった近藤の声には少しの緊張が含まれていた。

「ぶいあー…………何だ?」

 目の前の老爺、富永福蔵(とみなが ふくぞう)七十八歳は、近藤の言葉を聞き取れてもいなかった。

 富永は主人、つまり近藤の雇用主だ。

 近藤はバトラー、簡単にいうと執事だった。五十五歳という年齢ながらも仕立ての良い黒いジャケットに白い手袋を付け、それなりの威厳がある。少し痩せぎすではあるが健康で頭もよく回り余計なことは言わない、そこが富永に気に入られていた。この屋敷には、住み込みで働いている。

「ぶいあーるちゃっと、です」

 事の発端は、富永が孫の誕生日をサプライズで祝いたいと言い出したことだった。富永には孫が何人もいるが、その中でも健太という孫を特に可愛がっている。そして、彼の二十歳の誕生日はもうすぐだった。老年ながらサプライズ好きな富永は、ここは祖父としてひとつお祝いのプレゼントでもと思ったのだ。

 車かな、と富永が最初に提案した。ベンツかBMWか、適当な車を送れば喜ぶのではないかと思ったのだ。

 しかし、近藤が調べたところ孫の健太は免許を所持していなかった。車をプレゼントしてしまうと逆に迷惑になってしまう。そう富永に伝え、車をプレゼントというのは取りやめになった。

 さらに、健太は富永と近藤の居るここから遠くに住んでおり、簡単に会える距離ではなかった。これではなんらかのサプライズというのも難しい。

「近藤、何か良い案はないか。考えろ」

 結果、そういう指示が出た。

 そこで近藤は考えを巡らした。孫である健太について調べ、そこで彼が最近VRChatというゲームに熱中していることを知ったのだ。

 VRChat…………近藤はそのゲームのことを知らなかったが、どうやらオンライン上で他者と喋ることができるゲームらしい。

 これを使って孫にメッセージを送るというのはどうだろうか? なかなか面白いサプライズになるだろうと思ったが、富永が機械やデジタル製品の操作を苦手としていることが気がかりだった。

 近藤自身はデジタルに苦手意識はなかった。むしろ同世代の中ではできる方だとすら思っている。最近携帯からスマートホンに乗り換えたし、電子メールはもちろん、グーグル検索もLINEアプリも使っている。エクセルを使って大量の数字の平均値を求めることだってできる。

 しかし富永にこのゲームはできるだろうか? 少し調べてみた結果、どうも少し複雑なゲームであるようだった。まずもって日本語のゲームではない。公式のウェブサイトを覗いて見ても英語が並ぶばかりだ。パソコンでやるゲームということは分かったが、どこでゲームソフトを買えばいいのかもわからなかった。

 だがしかし、詳細は後で考えればよいと思い、近藤は提案したのだった。

「それで、その"ぶいあーるちゃっと"ってのはなんなんだ?」

「健太様が現在熱心に遊んでいるゲームでございます」

「ゲームっていうと、マリオみたいなやつか」

「左様でございます。最近ではオンラインで一緒に遊べるゲームというのも沢山ございまして、そのゲームで旦那様と健太様が一緒に遊ぶというのはいかがでしょうか」

「ほう、なんだかわからないが面白そうだ」

 思ったより好感触なことに近藤は内心安堵していた。

「しかし、旦那様はゲームなどをやった経験はおありでしょうか?」

「やったことはないが、昔息子がマリオをやっていたところを見た事がある。ファミコンという奴だろう」

「左様でございますか」

 マリオブラザーズの時代からだいぶ変化はしているが、苦手意識が無いのは良いことだ。

「考えてみればますます面白そうだ。わしのような老人が最近のゲームで遊べば健太も驚くだろう。それで健太に誕生日おめでとうと言ってプレゼントを送る。なかなか良いじゃないか。よく考えたな近藤、それでいこう」

「ありがとうございます。それでは私のほうで一通り準備させていただきます」

「ああ、頼む。金に糸目はつけなくてよい」

「承知いたしました」
 そういって、近藤は部屋を後にした。


「Steam…………蒸気のことではないのか……」

 近藤はぼそりと呟いた。あれから三日ほどが経過していた。

 どうも自分は考え違いをしていたらしい。最近のゲームというのは想像よりも相当進化しているようだ。そもそも、ゲーム機とカセットではなく、VRChatというのはダウンロードしてパソコンで遊ぶタイプのゲームらしい。そしてVRゴーグルという機器もあった方が楽しめるらしく、またパソコンにもある程度の性能があったほうが良いとのことだった。今この屋敷で使用しているノートPCではダメらしく、近藤はそれらの製品を手にいれるため、知り合いの業者に電話し配達させた。

 電話の中で話に出たグラフィックボードというものもよくわからなかったため、とりあえず一番良いものを注文した。そこそこ値段が張るが良いかと言われるが、近藤に、いや富永の資産にとっては誤差のような値段だった。

 一連の製品が到着し、業者にお願いし執務室の一角にパソコンを設置する。パソコンの設置が終わっても、まだ大きな箱が未開封のまま残っていた、どうやらこれがVRゴーグルというものらしい。箱を開けると、なかなか重厚感のある装置が姿を現した。傍らには変な形の棒のようなものがふたつある。どうもこれがコントローラーらしい。思っていたより仰々しいアイテム達に、近藤は素直に驚いていた。テレビにケーブルを繋げてコントローラを握るイメージだったため、この黒くてゴツいゴーグルを頭に着けるというのは想像の埒外だった。

「最近のゲームはこんな複雑なのか」

 引き続き業者にお願いし、環境の構築を行う。ベースステーションやトラッカーと呼ばれる何に使うかもわからない装置を説明書の通りに設置し、セットアップを進めた。

 そしてVRChatをインストールしアカウントを作成し、VRゴーグルを接続。業者も作業完了して帰り、準備完了だ。富永を呼び出す。

「旦那様、先日お話したVRChatを始める準備ができました。執務室に来ていただけますでしょうか」

 まだ孫の健太の誕生日までには期間があったが、テストはしたほうがよいだろう。

「はあ、パソコンでやるゲームなのか」

 案の定、富永も近藤と同じレベルの理解だった。

 ゴーグルをつけろというと、さらに驚く。

「これを付けてやるゲームなのか? 映画みたいだな!」

 流石に驚いてはいたが、富永はやる気まんまんでゴーグルをかぶった。近藤はマウスを操作してVRChatを起動した。

 のびのびとした起動音がして、画面が表示された。

 ”TOMINAGA”と表示された初期アバターがバーチャル世界に立っている。

「おお! これは凄いな!」

 ゴーグルをつけているので顔が見えないが、富永は驚いているようだ。

 デスクトップにも、富永が見ている画面が表示されており、近藤はそれを見ていた。まずはチュートリアルが行われるらしい。

「ほうほう、ここを押せば前に進むのか」

「酔わないようにお気をつけください」

 富永はチュートリアルを進めていた。順調とは決していえないが、なんとか近藤の手伝いもあって操作を覚えることができた。そのことに近藤は少しほっとする。ゲームとはいえVRだとコントローラを実際の手と同じように動かして操作する分、やりやすいのだろうなと思った。

「見ろ近藤、空中に線が描けるぞ!」

 富永はその後少しプレイし、チュートリアルを終わらせた。そして、いよいよパブリックワールドといわれる様々な人が接続しているワールドに移動することになった。

「これはスゴイな。今の若いものが夢中になるのもわかる気がするわい」

 すごいすごいと驚く主人を前に、近藤はとりあえず一安心していた。ゲームなどけしからんと切り捨てられる可能性もあると思っていたためである。

 後ろから画面を見ていると、画面内の奥で人型のものが近づいて来た。

「おい、何か来たぞ。敵か? ジャンプはどうやるんだったか」

 富永は少し焦ったように言う。

「敵ではございません。どこかでこのゲームをプレイしている人でありましょう」

 近藤は事前に調べた知識で説明する。人影は洋画の登場人物のような姿をしていた。派手な色のジャケットを着た男性のアバターだった。

「안녕하세요」

 声をかけられたが、日本語ではなく、驚いていたこともあり二人は声を出せなかった。するとその男性アバターは遠くに行ってしまった。

「あれはどこの国の人だろうか」

 富永は男性がどこかに行ってしまったのを確認してから言った。

「多分韓国人かと……」

 近藤も自信なさげに答えた。

 富永が少し疲れたと言うので、今日のところはこれでゲーム終了となった。富永はゴーグルを脱ぐと、老体には少し辛いなと愚痴をこぼす。しかしその顔は満足げだった。

 

次の日、近藤は電話をかけていた。

「もしもし、黒田さんか」

「はい、黒田ですが」

 この黒田という男は、民間の探偵業を行っている男である。近藤はこの男を使い、孫の健太がVRChatに熱中しているという情報を得ていたのであった。

「先日お願いしたウチの主人の孫の件、もう少し調べてくれないか。具体的には、いつ頃VRChatにログインしてどこのワールドにいるのか知りたい」

「はあ、そんなことですか」

 黒田は気の抜けた返事をした。

「調べられないのか」

「いいや、そんなに難しいことではありませんよ。以前調べさせていただいたときに、twitterのアカウントを発見しましたので、それを調べればすぐだと思いますけど。近藤さん、twitterは知ってますか」

「ツイッター……個人が日記みたいなのを書く奴だろう」

 利用したことは無いが、テレビのニュースで聞いた事がある、青いウェブサイトだった気がする。

「それを見ればわかるのか」

「はい、以前調べたときのを送りますよ。VRChat用と日常用で二つアカウントがあったようなので、あとでメールでURLを送ります」

「助かる。報酬はいつもの口座に」

「ありがとうございます」

 ほどなくして、黒田から送られてきたメールを確認すると、@tommy_VRCというアカウントのtwitterページがあったのでそれにアクセスする。この"とみー@VRC"というアカウントが、孫である健太のアカウントらしい。彼のつぶやきを眺めると、どうやら毎晩VRChatをプレイしているようだった。

「だいたい十時以降にこの集会所というところに居るんだな……よし」

 近藤はそれをメモした。


「お孫さんと会えそうです。今夜からですが、体調はいかがでしょうか」

 富永の年齢からすると、なかなか遅い時間だ。普段なら既に休んでしまっていることもある。

「そうか、体調は大丈夫だ。健太のためならたまの夜更かしくらいなんてことはない」

 予定の時間になり、富永はVRChatにログインした。もちろん、傍らには近藤がついている。

「旦那様。このワールドでございます」

 近藤のサポートもあり、富永はなんとかメニュー画面から目当てのワールドを見つけることができた。「GO」と書かれたパネルに標準を合わせ、トリガーを引く。

 ワールドへの移動が済むと、富永のアバターは集会場の入り口付近と思われる場所に立っていた。ちょうど木造の飲み屋のような建物で、バーカウンターや長椅子とテーブルのようなものがいくつかある。奥にはたくさんの人がめいめいに話している姿が見え、楽し気な声が聞こえてきた。だが、そのほとんどが日本語だったため富案と近藤は一安心した。どうやらここには日本人が多いようだ。

 建物の中にいるそれぞれのアバターの上には、プレートがあり文字が表示されている。どうやら、それがそれぞれの名前のようだ。

「旦那様、頭上に『Tommy』と書かれているのが健太様でございます。まずはそれを探しましょう」

 近藤が小声でそう言うと、

「わかった」と富永は返事をした。

 しかし、そこまで広いワールドではなかったため、富永はすぐに『Tommy』と表示されたプレートを見つけることができた。しかし、孫である健太を見つけた富永は思わず立ち止まっていた。

 探していた彼が…………彼女だったからだ。

「あれが…………健太なのか?」

 思わず口からそう漏れる。それもそのはず、『Tommy』と書かれたプレートの下に居たのは、小柄な猫耳の少女だったのだ。可愛らしい表情の彼女が身に着けているのはフリルのたくさん着いたドレスで、その臀部には円状の穴が開いており、そこから柔らかそうな尻尾が垂れていた。

 しっかり周りを見回してみれば、ほとんどがそういった美少女のアバターを使用しているのだが、孫に会う一心の富永にはあまり目に入っていなかった。それだけに、なかなかの動揺……が彼を襲った。別に悪いことはしているわけではないのだが、なかなかの衝撃だ。

「最近は……こういうものなのか」

「どうやら…………そのようでございますね」

 近藤も少し遅れて返事をする。

 しかし、どんな姿でも健太は健太だ。そう思い直すことにする。富永は気持ちを切り替えた。バーチャル上とはいえせっかく久しぶりに会って話せるのだ。思えば話すのはかなり久しぶりだ。自分の血を引いている孫と触れ合うというのは、祖父である自分の最大の楽しみのひとつである。それを前にして姿形など些細な問題だ。

 富永は心が弾むのを自覚しながらコントローラをぐっと握った。そして、『Tommy』に向かって移動を開始した。


 『Tommy』こと、富永健太は、その日も楽しくVRChatライフを送っていた。先日のバーチャルアバター即売会で見つけたお気に入りのアバターに身を包み、いつもの集会場でネットで知り合った友人達と談笑していた。

 今も三人のフレンドと輪になって会話している。内容はくだらない与太話だが、それが楽しかった。

 ふと、遠くから見知らぬ初期アバターのユーザーが近づいてくるのが見えた。ここはなかなかアクセスの多い集会場のため、初期のアバターのユーザーも珍しくはない。

 だが、そのロボットを模したアバターのユーザーはこちらに向かってきて、自分の前に立ったかというとこう言ったのである。

「健太か?」

 そう言われて、思わず声が詰まった。ゴーグル内の目が見開かれ、身体が凍り付く。悪寒がする。

 VRChatに彼のリアルの知り合いは居ない。ゲーム内で話すのは全てネットで知り合ったフレンドだ。もちろん、本名を教えたりはしていない。ここでは自分は『Tommy』だ。健太などというリアルの本名で呼ばれることがあってはならない。

 しかし、目の前のアバターは明らかに自分の方を向いている。無機質なロボットの顔面から放たれる視線が、彼の身体を硬直させていた。それでも健太は震えるからだで上を見上げた。ロボットのネームプレートは白、つまり新規のユーザーということだ。そして、その中には『TOMINAGA』と表示されていた。

 フルネームがバレている!

 彼の脳内で様々な思惑が駆け巡った。この目の前のユーザーは誰だ? 友人にこんな悪質なイタズラをする奴は心当たりがないし、その掠れた声は少なくとも同世代の声ではない、ボイスチェンジャーの可能性すらある。

 彼はパニック寸前で何もいえず思わず後ずさった。周りに居たフレンドも何事かと対応に困っている。

 すると、目の前のロボットはこう続けた。

「中央大学は楽しいか? 健一と美和子さんは元気か?」

 所属大学と両親の名前まで抑えられている!

 もはやパニックを超え恐慌状態に陥っていた。何も考えられない。得体の知れない恐怖だった。思わずメニューを呼び出し、弾かれるようにログアウトのボタンを押していた。視界が暗転し、VRChatが終了する。健太はVRゴーグルを取った。髪の毛が汗で張り付いていた。冷房の効いた部屋内だというのに、脇の下に汗をかいてしまっていた。

 健太は一分ほど呼吸を整えると、Twitterにアクセスし、自分のアカウントを鍵付きアカウントに変更した。


「なぜ健太は何も言ってくれなかったんだ?」

 豪奢な屋敷の執務室の一室、富永は落胆していた。怒りより悲しみが勝っている。VRゴーグルも既に外していた。

「申し訳ありませんが私には…………」

 近藤も肩を落としそう答えた。

 悲しいことに、この二人にはネチケットと呼ばれるものが無かった。匿名文化というものに馴染みなどなく、ネット上でみだりにプライベートなことを言ってはいけないというルールも知らなかった。

 二人して頭を悩ませる。

「何か向こうにトラブルでもあったのかも知れませんよ」

 近藤は富永を元気づけるためにそういうが、やはり原因はわからない。

「うーむ…………。まあ今日は、ここまでにするか。近藤、原因を考えておけ」

 そうぶっきらぼうに富永が言って、その日は終わりとなった。


「見た目が良くなかったのではないのか?」

 次の日、朝の挨拶もよそに富永は言った。

「昨晩のことを考えていたのだが、あの場所に居たのはお嬢さんが多かっただろう。女性が多かった場所だからこそ、健太もああいう姿を取っていたのかもしれん。それでいて、私の見た目は武骨な機械だったではないか。あれで驚かれて、逃げられてしまったというのは考えられないか?」

 その説明を聞いて、近藤もなるほど一理あると考えた。確かにあの場所には女性が多かった。もしかしたら何か身なりにルールがあったのかも知れない。自分達は知らない文化に入っていく身だ。郷に入っては郷に従えともいうし、そういったドレスコードのようなものがあっても不思議はない。

 二人は知らなかった。昨晩あの場所に居たユーザーのほとんどが見た目は美少女だが中身は男性だということに。孫の健太に気を取られ過ぎて、そこまで観察することに気が回らなかったのだ。

「なるほど、そうかもしれません」

「どうすればああいった姿になれるのだろうか」

 富永福蔵は美少女になりたがっていた。ならば近藤はそれに応えるのみだ。

「わかりました。調べてみましょう」

 近藤は雑務を済ませたあと、VRChatの美少女アバターについて調べてみた。そういったアバターを使用するには、いくつかの方法があるらしい。ゲーム内でアバターワールドに移動しそれを使用することで美少女アバターに変化する方法、というのがお手軽で良さそうだったが、権利関係的にグレーなアバターもあるらしくそれが気にかかった。何がルール違反かわからない以上、少しでもリスクのある選択肢は避けたかった。

 次に考慮したのはアバターを購入しゲーム内で使用する方法だ。特定のウェブサイトがあり、そこではおびただしい数の美少女アバターのデータが販売されていた。

 近藤はそこにアクセスすると、富永を呼んで一緒にカタログのような画面を眺める。

「旦那様、どれか気に入ったものはありますでしょうか」

 富永は老眼ながらも画面を凝視し、真剣に悩む。

「ミーシェちゃん…………キッシュちゃん…………量産型のらきゃっと…………。うーむ…………よくわからんな」

 富永は困った。実際、よくわからないのだ。美少女の姿になるというのが未知の体験過ぎて、何が良くて何が悪いのか判断の基準がない。どの姿も可愛らしいと思うが、富永の視点ではそこまで違いがあるとも思えない。

 しかし、適当に選びたくはなかった。孫の健太とのことだ、妥協する気持ちは全くない。

「お気に入りのものが無ければ、発注するという手段もありますが」

 近藤はそう言った。発注、ワンオフでゲーム用モデルを作成するということか。自分が着る服を作ってもらうと考えれば、そう不思議なことではないと富永は得心する。

 そして、発注すれば細かい注文をすることができるという利点がある。

「なるほど、そういう手があったか。健太に会うにはどんな見た目が良いだろうか」

 健太に好感を持たれる見た目、それだけが富永の注文だった。

「であれば、調べてみます。健太様の誕生日まで日も近くなってきましたので、差し支えなければそのままモデルを発注してみてもよろしいでしょうか」

「ああ、頼む」

 そういうことになった。


「もしもし、黒田さんか。健太くんの好みを調べてくれないか」

「はあ、お孫さんの女性の好みですかい?」

「何を言ってるんだ。女性じゃない。美少女アバターの好みに決まっているだろう。猫耳とか尻尾とかそういうのだ。あと、3Dのモデルを作れる人間を紹介してほしい」

 近藤は探偵である黒田に電話し、健太の好みを探った。その結果、彼がとても気に入ってるイラストレーター兼モデラーを知ることができた。

「こんなところですかい。ところで近藤さん、差し支えなければ教えていただけませんか。こんなことを調べて何をするんですかい?」

 クライアントに余計なことを聞かないのは黒田の探偵としてのルールだった。だが、今回ばかりはどうしても気になり聞いてしまった。

 近藤は毅然として答えた。

「当然、旦那様を美少女にするのだ」


 "こな雪ぱんだ"は三十歳の男性でイラストレーター兼同人作家だった。彼の描く美少女キャラクターの人気は高く、毎年のコミックマーケットで彼のブースには長蛇の列ができる。

 そして今日、彼は電話のコール音で眠りから覚めた。時刻は午前10時だったが、彼は昼夜逆転気味の生活をしていた。

 音を鳴らすスマートホンの画面を見る。知らない番号だ。

 電話を取った。

「もしもし、あなたがこな雪ぱんださんでしょうか。いきなりですまないが、私は近藤というものです。突然ですみませんが、3Dモデルのキャラクターデザインというものの仕事をお願いしたくお電話差し上げた次第です」

 彼は訝しんだ。仕事の発注は基本的にメールで受け付けている。電話番号は親密なクライアントにしか教えていない。どこから番号が漏れたのだろうか。

 しかし、一応は仕事の依頼のようだ。電話を続ける。

「そうですが、どういった内容でしょうか」

「VRChat用にモデルを作りたいのですが、そのデザインをお願いしたいのです」

 彼もVRChatのヘビーユーザーで、モデルを作成しBoothで販売したことがある。しかし個人からのワンオフでのモデリング依頼は初めてだったため、少し慎重になった。

「ワンオフでの依頼となると、初めてのことですのでこちらもノウハウが少ないのですが」

「それでも構いません。あなたに依頼したいのです」

 そうまで言われて、嬉しくないといったら嘘になる。"こな雪ぱんだ"は少し上機嫌になって続けた。

「ちなみに、どんなモデルが良いかなど希望はありますか?」

「あなたの好きにしてほしい。"こな雪ぱんだ"さんの趣味をふんだんに盛り込んだモデルというのがこちらの希望です」

 この発言にはさすがに驚いた。こちらの趣味で作成したモデルを求めているとは、本当にファンらしい。

 しかし、上手い話には何か罠があるはずだ。気を抜かず、訪ねてみる。

「それはありがたい話ですが、納期や予算などは決まっていますでしょうか」

「納期はなるべく早くがありがたいのですが、可能なら三週間後。予算は五万ほどです」

「…………」

 彼は思わず大きなため息をついてしまった。先ほどまで少し上機嫌だった分、一挙に徒労感が全身を襲う。納期も短いが、3Dモデルを発注するのに予算が五万円というのはどう考えても安すぎる。有り得ない金額だ。その十倍は欲しいところだ。

 幻滅した気持ちを隠すこともなく、彼は返事した。

「納期はともかく、その金額では絶対にお受けできません。失礼ですが、安すぎます」

 電話口の近藤という男は、困ったような声を出した。

「どうにかなりませんでしょうか。私なりに下調べした金額なのですが」

 どこで下調べしたというんだ? "こな雪ぱんだ"は呆れてしまう。それとも、自分自身ならばこんな金額でよいと判断されたということだろうか。たしかに3Dモデリングの経験は少ないが、そこまで馬鹿にされる謂れはない。彼は憤った。

「どこで下調べしたのかしりませんけどね、モデリングってのはそんな簡単な作業じゃないんですよ。他をあたってください」

「3Dモデル作成を受けている『テムソフト』さんに大体の見積りをお聞きしてその金額に少し色を…………」

 近藤という男はなおも食い下がっていたが、彼は最後まで聞かずに電話を切ってしまった。

 スマートホンを放り投げ、再度ベッドに横になる。二度寝してやるつもりだった。

 しかし、なんとなく寝付けない。電話の男が言っていたことを思い出す。

 『テムソフト』というのは3Dモデルの開発もしている超大手のゲーム会社だった。あそこに聞いておいて五万円という金額を提示してくるのは明らかにおかしい。しかし、見積りを聞いたというのは疑わしいが、何より男の口調がなかなか真剣だったということを思い出す。

 そしてたまたまその会社には"こな雪ぱんだ"の知り合いが居た。一緒にオフ会をしたこともあるほどの仲だ。

 彼はPCをスリープモードから立ち上げ、Discordを起動した。当の知り合いがオンラインというのを確認し、通話をかけた。

「久しぶり、いきなりかけてくるなんて珍しいね」

「ちょっと聞いていいか。最近3Dモデル発注について何か聞かれなかったか」

「ちょうど昨日聞かれたよ! しかもそれもすごいところから聞かれてさ、ぱんださんも知ってるでしょ? あの世界的大企業『富永商事』の役員関係者からでさ。びっくりしちゃったよ」

 思わぬ返事に、思考が停止する。

「…………え?」

「3Dモデル一体あたりの発注の金額とか聞いてきたよ。うちの会社の株も持ってる人らしくてさ、海外からの電話だったし、今後何かしらの大きな動きもあるのかなってこっちは盛り上がってる」

 冷や汗が流れる。

「…………もしかして、その人『近藤』って名乗ってなかった?」

「そうだけど、よく知ってるね。知り合い?」

「いや……ありがとう。ごめん、もう切るね」

 それだけ言って通話を切った。

 嫌な予感がする。自分は何か大きな間違いをしてしまったのではという恐ろしい予感が。

 放り投げたスマートホンを拾い上げた。着信履歴の一番上にコールバックする。

 祈るような気持ちでスマートホンに耳を当てた。

「もしもし、近藤ですが」

 相手が電話口に出た。

「こな雪ぱんだです。先ほどは失礼いたしました。一点お聞きしたいのですが、どちらからお電話しているのでしょうか……」

「タイです」

 近藤は淡々と答えた。

「すみません、先ほどの発注内容を確認させていただきたいのですが」

「お好きにモデリングしていただいて、納期は三週間、予算は五万ですが」

「五万というのは……五万"円"ですよね」

 震える声で尋ねた。

 近藤は驚いた様子で答えた。

「いえ、五万"ドル"ですが」

「二週間でもできます!」

 彼は部屋の中で勢いよく頭を下げた。


 
 二週間後、近藤は日本に来ていた。

 発注したモデルは無事完成していた。見事な猫耳美少女で、ところどころパンキッシュな装飾が施されているのが特徴的だった。それは『トミーナ』と名付けられた。

 しかし、データを納品されても、近藤にはそれをVRChatで使用する方法がわからなかった。

 通常、入手したアバターをVRChatで使用したい場合、Unityを利用してVRCSDKを使用しSteamとアカウントを連携しVRChatにアップロード……という手順を行わなければならない。

 だが、近藤にはそれがさっぱりできなかった。

 何もわからない。調べてみたがとにかく複雑で、とても独力では達成できそうにない。

 そこで近藤は、モデルを作成した"こな雪ぱんだ"に事情を話してさらにお願いし、アップロードの方法を教えてもらうことにしたのだ。屋敷と富永の面倒は現地のメイドに任せ、単身での来日である。五日間という期間で、近藤はアバターのアップロード手段を習得する気でいた。

 ずぶの素人の近藤だ、レクチャーは順調とはいえなかったが、根気と真面目な性格が幸いし、五日経つ頃にはなんとかVRChatにアバターをアップロードできるようになっていた。

 "こな雪ぱんだ"も喜んでいる。

「良かったですね、近藤さん!」

「はい、ありがとうございました! あとはタイに戻ってアバターをアップロードするだけです」

 近藤も意気揚々と答え、そして"こな雪ぱんだ"と別れた。明日タイに戻る予定だった。

 しかしその日、世界を大ニュースが襲った。新型コロナ感染症の拡大である。

 この未曾有の災害は世界的なショックとなった。日本政府も外出自粛を訴え、感染症によりお年寄りが死亡した件も報告された。

 この状況で空港に近づくのはとてもじゃないが利口とは言えない。そう判断した近藤はとりあえず飛行機をキャンセルし、富永に電話をかけた。

「旦那様、万が一のことも考えて飛行機はキャンセル致しました」

「そうか、流石にこの事態ならばしょうがない」

 富永もそう答える。

「しかし旦那様、健太様の誕生日まであと一週間ほどしかありませんが、この様子だともう流石に……」

 一週間やそこらでこの感染症騒動が収束するとも思えない。

「でもアバター? とかいうのはもうできているわけだろう? それはまだ使えないのか?」

「ですから、アバターをアップロードするという手順が難しくてですね……」

「しかし近藤、おまえはもうできるようになったのであろう? その方法を私に教えてくれればよいのではないか?」

「…………」

 富永は簡単にそういったが、絶対に無理だ。彼はファミコンのカセットを替える程度の想像をしているのかも知れないが、この手順はその比ではない。せいぜい彼にできるのはパソコンの電源を付けてVRChatのアイコンをダブルクリックする程度、メールのチェックくらいはできるかもしれないが、アバターのアップロードなど絶対に無理と言うしかない。

 そもそも、それができないから近藤は日本まで来たのだ。電話での口頭指示で達成できるような手順なら何もこんな苦労はない。

「たぶん……いやほぼ不可能かと」

「なに? そんなに難しいのか」

 富永の声に暗雲が立ち込める。

「はい…………かなり厳しいです」

「それでは来週までにどうにもならないじゃないか!」

 苛立ちを隠そうともせずそう言った。

「この状況ではやむを得ないかと……」

「言い訳をいうな! どうにかしろ!」

 そういって電話は切れてしまった。全くの傍若無人だった。

 近藤は頭を抱えた。この状況でどうにかしろと言われても困る。外出せずに、タイにある富永邸にあるパソコンを用いて、新アバターでVRChatにアップロードさせる方法…………

 不可能に思われた。しかし、近藤は考え続けた。何か糸口はないか……。

 そもそも、アップロードの手順が煩雑すぎるのが悪いのだ。完全に上級者向けであり、プログラム関連のリテラシーの低い者の操作を想定していない。システムが優しくないのだ。。

 そこをどうにかできないか。だが近藤には知識も経験も時間的猶予ない。あるのは金だけだ。

 金。

 …………金ならあるのだ。

 近藤は閃いた。


 四日後、VRChat界隈に大きな衝撃が走った。

 ファンメイドの新しいツールが公開されたのだ。それは簡単にクリックだけで所持しているアバターをVRChat上にアップロードできるツールで、見やすいインターフェース、日本語を含む多種の言語に対応、そして老人でも使用できるようなとにかく簡単な操作性と完成度で、瞬く間に有名になった。

 それはTwitterでも大きく拡散され、そのツールのアイコンから『トミーナちゃんツール』という名前で呼ばれることになり、今後のVRChatのスタンダードとなっていくこと間違いなしとまで言われた。

 そんなツールを誰が作ったのかという話も大きく盛り上がったが、その真相を知るものは出てこなかった。もしこんな高度なツールを発注して作らせるとしたら、大量の優秀なプログラム開発者と莫大な賃金が必要だろうと専門家は述べていた。


 三か月後、やっと感染症騒ぎもやや落ち着きを見せ、万全の注意をしつつも近藤はタイへと戻ることになった。

 富永は無事新しいアバターでVRChatにログインし、孫の健太と楽しく遊ぶことができたと連絡があった。どうやら、前回会ったときは何か勘違いがあったらしい。

 どんな勘違いがあったかはしらないが、富永が目的を果たせたのならそれで良かったと近藤は思った。結局、健太にはトミーナちゃんのモデルをプレゼントすることになり、それでたいそう喜んでいたと富永は嬉しそうに語っていた。今は少し改変したモデルを用いて遊んでいるらしい。

 その後も富永は孫と遊べることが嬉しいらしく、継続的にVRChatをプレイしていた。

「ただ今もどりました」

「よく戻った。さっそくだが今夜から頼むぞ」

 今夜富永と健太が遊ぶ予定のゲームワールドは三人用らしい。なので近藤も人数合わせにVRChatをプレイしろと言われているのだった。

「承知しております」

 その件を事前に聞いていた近藤は新設したパソコンとVR機器のセッティングを行っていた。

 既に作ってあったVRChatのアカウントを確認し、今日のために用意したアバターをアップロードしようとする。

 近藤はトミーナちゃんツールを使用しようかとも思ったが、せっかく前に教えてもらったことを思い出し、全て手動でやってみようと思った。

 しかし、VRCSDKの英語に少し手間取っていると、富永が声をかけてきた。

「もうすぐ予定の時間だぞ。間に合うのか」

「すみません、少しアバターのアップロードに手間取っていまして…………」

 富永は平然と言った。

「なんだ、そんな簡単なこともできんのか」

 近藤は、少しだけ、イラついた。

(終わり)



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