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LeicaM8が好き。【クラシックカメラ】

 クラシックカメラ、というとやはり古いフィルムカメラを思い浮かべるのではないだろうか。LeicaM3、NikonF、ローライなどなど。

でも私はLeicaM8というデジタルカメラをクラシックカメラとして推薦したい。Classic・・・即ち、古典的な、古い、あるいは一流のものを我々はそう呼ぶ。LeicaM8は上記の一般的な定義のどれにも当てはまらないかもしれない。確かに古いといえば古いが、一流のカメラかと言われると素直に首肯することはできない。

LeicaM8がお披露目されたのはおよそ15年ほど前。15年前のデジタル機器は、”クラシック”ではなく”型落ち”である。低性能で鈍くて扱いづらい。最新のカメラの便利さを知っている方々にとっては、このM8は型落ち以外の何物でもないだろう。

M8は、画質も良くないし、操作性は最悪、フリーズは日常茶飯事というダメダメなカメラなのである。世間に言われる”一流”からは大きく外れているのであるが、それでも私がM8をクラシックと呼ぶのには理由がある。すなわち、このカメラには、滋味がある。このカメラを使うことでしか味わえない楽しさと深遠な世界が存在しているのである。そんな趣がM8をクラシックたらしめる。

 道具の品格というのは、使いやすさや背景に潜む歴史によってのみ備わるのではない。その道具を使うことによってのみ感じられるエクスペリエンスが肝要なのだ。それは単に使い易い事とは違う。便利かそうではないかという議論ではない。

自ずと手をしてその道具に向かわせる何かの存在に気づかなければならないだろう。それは一体何であろうか。ずばり言い当てる事は難しい。細部に備わる意匠、デザイナーの拘り、手触り、操作感、感触、音・・・。ざっとそんなところだろうか。この様な点でLeicaと国産カメラは格が違う。たとい型落ちのM8であっても、この観点においては汎ゆる国産品に勝る。「ああ、矢っ張りこいつはLeicaのプロダクトなのだな。」その耽美主義的なボディは、手に取った瞬間うちに潜むトキメキ、ワクワク感を誘発せしめ、我々を写真撮影へと駆り立てる。そしてシャッターを切ると、そのあまりに甘美で魅力的な感触・音に深い官能を感じるだろう。

 ここからはM8にのみ備わった性質をご紹介したい。と言っても禁止事項なのであるが。

第一に、書き込みが終わる前に撮影以外の操作をしてはいけない。結構な確率でフリーズするのである。そして運が悪いと撮影データが吹っ飛ぶ。

このカメラにおいてはJPEGで撮影してはいけない。内臓の画像処理エンジンがあまりにも貧弱なため、JPEGの質が有り得ない程低いのであるから。この事は即ちRAW現像の必然を意味する。

SDカードは適切にフォーマットしてやらねばいけない。そうしないと直ぐに機嫌を悪くする。即ちフリーズや書き込みエラー、データ破損など。

 おもだった性質を述べてみたので、次は画質について言及してゆく。

本機のそれは正に、高解像度・高SN・広ダイナミックレンジに対するアンチテーゼであり、それらの遥か彼方、より高次の写真世界への誘いである。

 画質は、勿論最新カメラに比べれば最悪そのものであろう。なんせ画素数は1000万画素しかない。(1億画素のカメラがアマチュアでも手が届く価格帯に下りてきている昨今である。)また、暗所性能は極めて悪いし、ダイナミックレンジは非常に狭い。ISOを少しでも上げると忽ちノイズまみれになるので100固定が基本である。だが、手間暇を掛けてRAW現像してやると、驚く程美しい画像が出来上がることもあるのである。夜中でも市街なら問題はない。現像の技術とちょっとした工夫が有れば、暗所も乗り切れるだろう。(以下に提示する写真どもが下手なのはご愛嬌ということでお願いしたい。)

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 モノクロ現像してやると凄まじくキレの良い画像が出来上がったりもする。15年前という昔ではあるが、ローパスフィルターを排した設計になっているので、画像の精細さは素晴らしい。

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 しかし、ローパスフィルターを無くしたと同時に赤外線の映り込みを防ぐフィルタも薄くしてしまったらしく、逆光に際しては、以下の写真の様に変色してしまう事がある。(わかるだろうか?)また、平時に於いても葉っぱや草の鮮やかで活き活きとした緑が黄ばむ。

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 だが、そんな色合いの不自然さが寧ろ”味”となる場合もある。フィルムとは元々正確な色ではないが、誰もそれに文句は言わない。それどころか味として楽しむ。

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なんともノスタルジーを刺激するではないか。胸の奥に何かが渦巻いてくる。不思議な懐かしさと郷愁である。古ぼけた色合いが仕舞い込まれていた懐かしさを呼び覚まし、絵には血が通って見える。二度と戻らぬあの頃に暫し思い馳せてみられよ。胸に仄暗さが沈殿してゆくであろう。思い出とは余りにも美しくそして儚いものである。そんな柔らかなニュアンスの斜陽差し込むこのカメラの絵は、哀愁の美学とも呼ぶべきものがある。

現実の色のそのままの再現は、往々にして写真機と人間の目・記憶との差異を徹底的に暴き出し、寧ろ仮想現実的・コンピューターグラフィックス的な印象を与えてしまうものである。機械と人間の間に横たわる”gulf”をうめてくれ、更にドラマチックな感動を与えてくれるものが、アナログ的フィルム的有機的な温かみなのである。

写真趣味をやっている人ならば、誰しも一度は画像に”フィルム風加工”を施してみた経験はお持ちであろう。フィルターを掛けてやると、デジカメの高画質ではあるが味気ない画像が”窯変”する。一層深みを増し、生命力が増し、一層ドラマティックになる。さよう、我々はこういうものをして、”写真”と表象しているのである。これはフィルムが、デジカメ的”High Fidelity"の上位概念であることの何よりの証明である。

現像の場は”darkroom”から”Lightroom”へと変わったが、人々はフィルムの持つ生々しさを懐き続けているのである。SN、DR、resolution・・・合理的な説明は虚しいだけだ。見ればわかる。

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黄昏時の海を撮ってみた。日の沈む方から柔らかな橙、黄、そして白んで東の空は暗い水色になっている。最新機種にも負けぬグラデーションの描き分けと思う。また西より夕日の投光を受けた雲の陰翳の表現も素晴らしい。

波、そして岩に当たって生まれた泡沫のリアリティを御覧ぜよ。ノイジーさが却ってフィルム粒子の様に働き、如何にもアナログライクである。

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このモノクロームの写真は如何であろうか。深い陰翳、グラデーション、そしてシャープさ、立体感。波の表現はものの見事であるし、奥に霞んで見える山々はその前後感がよくわかる。

Kodak製CCDの魅せる魔術的な美である。

(写真の上手い下手はさて置き、描写力に注目して頂きたい。)

 さて、散々こき下ろしたカメラ内JPEGの画質を御覧いただきたい。

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あまり悪い感じはしないがRAWと比較するとかなり解像感が低下している。だが、私がJPEGで撮らない何よりの理由は、補正が効かなくなるからである。上述の通りM8のダイナミックレンジは物凄く狭い。だからJPEGで露出を誤ればリカバリーは出来ないのだ。(内蔵の露出計は馬鹿である。)RAW撮影はこの融通のきかないカメラをまともに使うための涙ぐましい努力の一環である。

実は14bitRAWという隠し技が有ったりするのだが、あれは面倒臭すぎる。余りにも複雑難解な道を経てやっと使える様になった。14bitRAWはまた別の機会にしたい。

 M8の持病についても触れておきたい。五番目の海の写真を見られよ。右下の方に垂直方向の線が見られるだろう。所謂ドット落ちというやつである。これは遥か天空より降り注ぐ宇宙線の影響と言われている。銀座のライカストアに持ち込めば治療してくれるだろうが、再発しないという保証はどこにもない。このドット落ちを補償してくれるフリーのソフトウェアが有ったりするのだが、本記事では割愛させていただく。

 さて、ギャラリーはこの辺りまでにして、私が何故M8を愛するのかを綴ってみたい。

上にご紹介した様にLeicaとそれ以外では世界観が違う。丁度フィルムとデジタルの様に。同じ様にM8と国産最新機種では世界観が異なる。CCDとCMOSでは表現即ち世界観が異なる。また、同じLeicaのカメラであっても、世界観が異なる。各機種はそれぞれ特色の有る世界観を保有している。例えばM8は憂いを含んだ画、M9は重厚な色彩に輝く画、M10は大人しく中庸、といった具合にである。

この様に分かりやすく世界観が異っているのに、良し悪しの評価をするのはナンセンスと言わざるを得ない。この場合には「私にとって良いor悪い」という事のみを言うことが出来る。即ち”好き”か”嫌い”という判断に終着するのである。

 私がM8を愛用し続けるのは、M8の世界観が好きだからという事に他ならない。

Leicaに共通して言えることだが、先ずレンジファインダーでピントを合わせるのが楽しい。じっくりと狙いを定める。そしてシャッターを切る。実にスローな撮影である。昨今のコンマ数秒にも満たぬ速さのAFを使い慣れている方々にしてみれば、Leicaは亀の様に遅いだろう。しかし、遅いことが寧ろ価値なのだ。思案を巡らしながら、確かな技術を以て撮影に臨まなければならない。それはある種瞑想的な体験である。

M8の如くの古きカメラなら、連射は望めない。私からすれば、秒間数十コマという世界は光速巡航の宇宙船の如くである。撮影を確実なものにするために、取り敢えず連射をしておき、その中からベストショットを選ぶというスタイルが確立されているが、こちらのM8は全く真逆だ。一枚一枚を大切にしなければならない。誤魔化しの効かぬ世界である。M8においては、撮り逃しをカメラの所為にすることは出来ない。汎ゆるミスは全て己の技術の不足の所為なのである。これはさながらフィルムカメラの様であり、趣深い。

私の一番気に入っているポイントは、シャッターを切った時の感触と音だ。カチリと押し込まれてゆくレリーズボタンの精密な動作を見よ。スイッチが底当たり、硬いフィードバックが指先に伝わってくる。得も言われぬ気分の良さだ。シャッター音は異常に大きい。ガチン!と何かをぶっ叩いた様な音がする。公共の場ではシャッターを切るのが憚られる程であるが、却って頑固な職人気質のような気がして、好きなのである。だが何にも増して愛すべきはシャッターチャージであろう。シャッターを切ると即座にジーッという音を立てて電動巻き上げが行われる。昨今のカメラでは最早聞かれぬ音であろう。この点もフィルムカメラらしい。「カチッ、ジーッ、カチッ、ジーッ」というリズム。私を撮影体験に没頭させてくれるメトロノーム。

M8の不便さが寧ろ愛おしく、出来の悪い画を手直しする手間さえ楽しい。ご機嫌の悪くならないよう丁寧に優しく扱ってやると、こいつはとんでもなく素敵な仕事をしてくれる時がある。それが楽しかったりするわけ。

わずかな技術とかなりの忍耐が求められる世界である。だが、それが如何にも趣味臭くて良いではないか?

 ただの型落ちと侮ってはいけない。そこには無限に深遠長大な世界が広がっているのであるから。画質の悪さに惑わされてはいけない。合理主義的高画質世界の向こう側に一層豊かな写真表現の領域が存在するのであるから。M8といえどもLeicaゆえ、中古にしても安くはない。だがLeicaの圧倒的世界観、M8独特の世界観を是非ご堪能して頂きたい。

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