見出し画像

【辞めトヨタ】入社エントリ)トヨタを退職して、外資コンサルを経て、スタートアップへ転職した話

こんにちは!この度4/1にキャディへ入社した河野です!

入社エントリーということで、私の経歴を振り返りながら、なぜトヨタを辞め、現在キャディにjoinしたのか?について共有できればと思っています。

大学時代

■神戸大学 国際文化学部に入学 ⇒アメフト漬けの毎日へ

当時は英語が得意だったため、英語力を高めて留学ができる学部を選びました。

いざ留学へ!と思いきや、一方で高校時代特に何もせず不完全燃焼感が強かったため、「何か打ち込めるコトがしたい!」ともひそかに思っていました。

そこに友人の誘いもあり、何を血迷ったのか、大学ではガチ体育会系で知られるアメフト部の門を叩くことに!

画像1

不慣れかつ運動神経も大して良くない自分はいつも走るのも筋トレも最下層、練習でも失敗ばかりで、2回生が終わるまでは毎日辞めたい気持ちでいっぱいでした笑

今回はアメフトがメインの記事ではないので相当割愛しますが、それでも続けていき、4回生時はオフェンスラインのパートリーダーとして、それまでの人生で一番エネルギーを注いだ時間を過ごすことができました。その中でも、4回生の秋シーズン初戦で強豪校を撃破できたことが一番の思い出です! 勝てるともわからない相手に、チーム全員一丸で知恵と体力と勇気を振り絞り挑み、勝利できた。

十数年ぶりの勝ち越しでシーズンを終えることもできました。

この経験から、私の中では

「チームプレーは難しいがそれ以上に素晴らしい」
「支えてくれているスタッフ、後援会、ファンの皆様がいてこそ選手が頑張れる」
「頑張れば、報われないこともあるが、報われることだってある!」
「仲間っていいな」

という信念に似た思いが胸に刻まれたのかなと感じています。

ちなみに、その時撃破した強豪校は翌年社会人チームを破り日本一に輝いています。

社会人~トヨタ自動車~

■トヨタ自動車へ入社

アメフトでの経験と、残っていた海外志向から、就職活動では

チームプレーで成果を出せる企業
日本の良いところを世界へ広げることができる企業

という軸を持って臨みました。

もちろん何十社と不合格通知をもらい、めげそうにもなりましたが、縁あってトヨタ自動車に内定を頂き、入社させて頂く運びとなりました。

画像2

寮は田舎でオンボロながら、同期だらけで楽しい日々を過ごさせてもらいました。隣人が開く食事会?に皆で参加し、未来について明るく語った日を今でも覚えています。

■調達部~バイヤー時代~

初期配属は調達部。自動車は原価の約70%を外注部品が占めており、その発注と値決めを司る調達部は会社の収益に直結する、トヨタの中でも主流中の主流の部署。そんな部署に配属されて頑張ろう!という気持ちとともに、優秀な諸先輩や同期を見てやっていけるのか不安になったことも、今でも覚えています。

実際配属されて3年目までは失敗ばかり。資料がきたない、4Sができない、報連相ができない、飲み会で気遣いができない、などなど生まれてきてすいません!レベルのミスばかり笑 で、上司や職場先輩に迷惑ばかりかけていました。

その中でもトヨタではおなじみの「トヨタの問題解決研修」では最後までうまく思考して表現することができず、最後は職場先輩に連日ファミレスで深夜まで付き合って頂き書き直していました。(今でも職場先輩には感謝で頭が上がりません)。

画像3

でも、トヨタの問題解決で得られたことは、今でも脳に焼き付いています

A3で問題の背景から対策、その後の展開まで1枚で可視化し書ききる(いわゆる8STEP)
トヨタお家芸の「なぜなぜ」はもちろん、その手前でどこが問題なのかを特定する「どこどこ」も重要
持ち時間内に濃淡付けて発表するプレゼン力

本当はもっとたくさんのことを学びましたが、こういう基礎訓練を会社の時間と先輩方のリソースまで割いて行って頂けるのは、あとでコンサルに行った際に各企業を実際に見て気づいたのですが、他の企業ではそうそうないことでした。今でもトヨタに入れて良かったと感じています。

少し前置き長い感がありすいません笑 続けます。

バイヤーでも慣れてくると、徐々に上長や他部署(主に設計部)の支援も頂きながら成果が出せるようになってきました。主要なところでは

グローバルコンペを仕掛け、設計構造変更の効果も織り込み価格約-30%を実現
トヨタ関連サプライヤー様の海外進出をガイドし、本部長決裁を通し海外進出を実現

などが挙げられます。(チームプレーの賜物であることは何度も述べておきます!)

そんな中で、バイヤー以外の経験もしてみたいと、当時調達本部内で新設されたサプライヤー改善の部署へ異動することとなりました。そこで見たものとは・・・

■調達部~サプライヤー改善時代~

今までのバイヤーは現場も見に行くものの、どちらかというと複数案件掛け持ち、事務処理も多く、超多忙によりオフィスにいがち。一方の改善部署は、よりサプライヤー様の現場へどっぷり入り込み、現場改善だけでなくサプライチェーンスルーがスコープであり、図面変革・工場変革までも行おうという遊撃部隊のようなイメージです。

そこで私が目にしたのは、バイヤーの価格低減要求にHowが生み出せず、泣く泣く外国人研修生や派遣社員を雇い、レートを下げて生産しているサプライヤー様の姿でした。(トヨタのtier1でも全てではないですが、起こっている事象です。)

製造現場の原価は、語弊を恐れず超シンプルに言うと

原単位(作業秒数、人数など)
レート(時間当たり労務費、設備レートなど)

この2点の掛け算です。原単位を低減するHowがない以上、レートを下げるしか価格低減の方法がないのです。

私が所属した部署は、この原単位低減のHowをトヨタも一緒にがっつり入り込んでやっていきましょう、というところでした。

その中でも一番思い出深いのが、某機械加工の部品サプライヤー。

赤字続きで改善要請有り、私が入った加工ラインは

加工機500台近く有るが、キャパ余りで余剰設備が目に付く。設備だらけでレイアウト変更もできない
そもそも正確な原単位が把握できておらず、余剰かも数値で示せない
技能員は改善を諦め、日々のオペレーションで精いっぱい


画像4

(↑写真はあくまでイメージです)

という状況でした。何よりも、加工担当の課長さんと話しても、二言目には「それはできない」「忙しくてできない」「やったことがない」など後ろ向きな発言ばかり。初めはバイヤー時代のくせで、目標スケジュールから逆算してタスクを割り振り、進捗フォローの繰り返し。でも当然のごとく宿題をやってこない課長さん。

初めはそのギャップに戸惑いましたが、同じ部署のトヨタ製造生技出身の大先輩に助けて頂きながら、一歩ずつ、一歩ずつ現状を見える化して、自らがまず率先して改善していくことを繰り返すことで、徐々に相手も現場も変わっていきました。

私が担当した2年間では、ムダな加工機を数十台廃却でき、フロアのスペースが空き、レイアウト変更ができるまでになりました。また、段取り替え時間短縮や、動作改善など各種改善も成果が出始めました。

そこで実感したのは

現場が変われば人のマインドが変わる!
マインドが変われば人そのものが変わる!

ということです。その時の課長さんはその後改善班を組織して頂き、二言目には「とりあえずやってみよう!」「変えてみよう!」と言ってもらえるようになりました。

とはいえ、トヨタの中では

「改善は下りエスカレーターを登っていくようなものだ」

と言われます。いくら改善しても、ほっとけばすぐに悪化していく、それが現場だと。

そういう世界なので、私が携わった改善も一瞬の輝き?なのだと重々承知していますが、その中でも改善のやりがい、苦しい中に越えた先の楽しさを実感できたことは、アメフトでの経験とも共通したものでもありました。

もっとその領域を突き詰めたいことを上司にも伝え、その後TPSの本丸・生産調査部に2年間修業に行かせて頂けました。(が、分量多くなってしまったため、詳細はまた次回とさせてください!)

父の病気と、進路転換

そんなこんなで不器用なりに調達・生産畑で突っ走ってきた私ですが、転機が。父親の病気が発覚。大腸癌で、発見が1年遅れ、転移の可能性が高い。

元々世界的大企業の中で、個人の裁量が狭い中でも、比較的自分は自分が引いたレバーの影響代が見える恵まれた領域にいれた社員だと思っています。それでも、大事な家族の変化に気づけず、救えない可能性もある、それを悟った瞬間、無力感とともに名古屋の名城線のホームのベンチで座り呆けていた自分がいました。(↓は大げさすぎるイメージ)

画像6

祖父は大工で、父も職人気質で口下手、偏屈、手先は器用だが社交は苦手、人付き合いに不器用な田舎おじさんな雰囲気。それでも新卒で入った企業で働きとおし、オーナー一族に寡黙に忠誠を誓う昭和サラリーマンの典型のような人。有給もろくに取らず、家族旅行も数える程度。反発したことも多々あったけども、父の病気を機に父を好きでいる自分にも気づくことに。

手術は無事終了するも、術後は衰弱しきった父。病室まで見舞う私。

父「後悔ないようにお前は生きろ」

そう言って、ヨロヨロの術後の体でリハビリに去る父がいました。

私には2つ上の兄もいましたが、今の仕事で手一杯。私の気持ちは固まっていました。

父の仕事の手伝いをする。近くにいれるように地元の関西に帰る

父はその時オーナー一族の資産管理の仕事を専任で行っていました。自分の本心に従い、父の意志を継がないと、なんだか一生後悔してやるせない人生になるな、という直感が勝りました。つまり、トヨタを退職することを入社8年目で決心しました。

そこからはあれよあれよと時間が過ぎ、職場の皆様には私のわがままを聞いて頂き、在籍期間9年6か月となる2019年6月末をもってトヨタ自動車を退職しました。

■トヨタ退職時の思考

よく聞かれるのは

「なんで超安定のトヨタを辞めたの」?
「会社にしがみついとけば、楽できたのに」

など、トヨタ辞めたの信じられない!?という内容です。

トヨタは日本のため、製造業のために熱く真剣に働いている人が多く、素晴らしい会社だと今でも思うとともに、一方でマスコミ対策もうまく、実態以上に良いイメージを世間の人が抱いている点も、辞めてから気づきました。

この辺りをどう感じるかは個人差はあるともちろん思いますが、私が思うに

人生は一度きり。最後の病室で後悔する姿が目に見えているなら、自分でレバーを引いて変えるべき
自分の人生であって、他人の人生ではない

という考えを辞める際、強く抱いていました。

画像5

自分も散々考え抜いたのでよくわかるのですが、辞めにくい理由として

親が、嫁が、彼女が、上司が、先輩が~

という他者の目を気にした考えが脳裏にまず浮かびます。でもこれってよくよく考えると、自分の人生でなく、他者の目線に縛られてるんですよね。。。他者の人生を生きているというか。

自分は幸か不幸か、父親の病気をきっかけに進路を変える決断をした、ただそれだけと言えばそれだけなんですが、今では自分の人生生きてる感が満ちているので、楽しいです。トヨタの時は正直そんなに感じなかったかな笑

その点では父に感謝しています。あ、ちなみに父は幸いまだ元気に生きていますよ!(流れ的にそっちかい!て人いたらすいません笑)

話を戻すと、父の容態も少し戻ったのと会社の都合もあって、すぐ継ぐというよりかは1,2年様子見した方がいいよね、という結論に至る。とはいえ、父と母の面倒が見れる近い関西にとりあえずすぐ戻ることができ、かつトヨタでの経験を活かせる仕事、で悩んで選んだのが外資コンサルファームでした。

外資コンサルファームへ

外資コンサルファームでは1年9カ月在籍し、製造業クライアント様向けの開発・生産業務改革や社内の研修作成・運営などに参画させて頂きました。

コンサルと言えば、ドライなイメージがありますが、私が所属した製造セクションの方々はウェットな方も多く

お客様に最高のサービスを提供しよう!
足しげくお客様のところに行き、先方の期待値とこちらの提供価値の重なり合うところを見極める
ファームのメンバーへの教育も徹底して最強ファームを目指そう!

といったスキルセットとマインドセットを織り交ぜたドライ&ウェット的な?戦い方はすごく勉強させて頂きました。

画像7

ただ、事業会社出身としてはプロフェッショナルファーム特有の課題感も見え隠れてしてしまい、

ファームとしてのミッション・バリュー・カルチャー(Behavior)は掲げているものの、全員がハラオチ(心の底から納得している状態、トヨタでよく使う言葉)しておらず、一丸で成し遂げる熱気が醸成されにくい

といったことを悶々と考えるようになりました。この点、自分がなんだかんだアメフトやトヨタの影響が色濃く、チームワーク・仲間で何かを成し遂げることが好きなんだなと再認識しました。

また、トヨタ以外の大企業と一緒にお仕事をする中でも

大企業となるとどんなに熱意ある優秀な人がいても、どうしてもセクショナリズムに支配されてしまう(相手部署と協力してコトを成せばいいじゃん!というようなことも、縦割りの弊害で思うように進まず。まさにサイロ化)
会社の規模がでかすぎて、自分が行っているコトがどう世の中や人々に影響を与えるか見えず、フィードバックが得られず自分が正しいコトを行っているのか?わからなくなってしまう

こともわかり、大企業どこも同じような悩みを抱えていることを理解しました。

以上のようなやりがいと課題感を内包しながら仕事をしていたところ、環境に変化が。

父の所属する会社がホールディングス制に移行、かつオーナー一族の退任が内々に決定。父の仕事も外注化され、お役御免が間近に。

「あれ?どうしよ?」といった感じです。拍子抜け感半端ない。

父は「好きにしろ」と言うだけ。

このままコンサルファームを続けるか、少し携わりだした地域でのプロボノ活動にもうちょっとコミットするか、どうすべきか・・・

そんな時に出会ったのがCADDiでした。

スタートアップの世界へ~キャディ~

■キャディ入社までの道のり

初めてキャディの話を聞いた時は

どうせただのマッチングでしょ。つないで終わりの軽い奴らだ

と思い込んでいました。(これキャディの人ディスってないので誤解しないでくださいねw)

ただ、話を伺う中で

顧客への納入責任を負っている。キャディの拠点で加工会社様に作ってもらった部品を検査して、責任を持って納入している

ことがわかりました。これって製造業出身者はわかると思いますが、ものすごい重たいことです。

納入責任を負うということは、納期遵守はもちろん、加工会社様の品質にも責任を負うことになる。シンプルに言っちゃうと顧客に対し、生産から納入までのサプライチェーン全てにキャディが責任を追う、管理をする、改善も推進する、ということ。

こいつら本気だな

と瞬間的に悟ったとともに

ここまで本気で新業態にチャレンジしているところに、自分もフルコミットしてみたい!

という気持ちになりました。

また、会社のミッション・バリュー・カルチャーに共鳴したのも大きいです。このMVCのもとでなら、自分もぶれずに頑張れるかな、と。

あと、今まで述べてきたアメフトやトヨタ、コンサルで得た自分としてやりたい方向性と合う・課題感を払拭できるという意味でもここしかない!と思うように。

ちなみに会社の詳細は公式HPや他の社員の方々のnote記事に譲ります!(文量使いすぎたので、許して!w)

https://s2.kingtime.jp/independent/recorder/personal/

その後は社員の方々との座談会(通称キャディバー)や選考を通じて熱意あり、誠意あり、でも謙虚なキャディの人々と話す中で、30代最後のチャレンジをこの会社でしてみたい!という思いと覚悟が生まれ、ご縁あって入社させて頂けることになりました。

■キャディでの職務と成し遂げたいこと

キャディでは志望したSCM(サプライチェーンマネジメント)部に配属頂きました。この部署は、主に部品を作って頂く加工会社様の新規開拓や生産管理の支援、品質や生産性向上など、ものづくりの現場とどっぷり関わるところです。

私が経験してきた調達や生産改善の領域を発揮できる!とともに、一方で自動車などの大量品とは違う「少量多品種」の世界、かつ加工会社様も数十人規模が多く、勝手が異なり最適解を導くロジックが複雑難解で、戸惑うことも。

でもこれって、見方を変えればこうとも思えませんか?

まだ誰も見つけていない方程式を解いて、少量多品種の世界を変える黎明期に自分が真っ只中で奮闘できる

すごい刺激的ですよね。少なくとも成熟した大企業ではまずチャレンジすらできないこと。

画像8

もちろんめちゃくちゃ難しいことは承知の上、そこは今まで得たスキルセットと覚悟というマインドセット+新たに学び続ける柔軟性をもって乗り越えるしかない!と思う今日この頃です。

あとはキャディの掲げるバリューの一つである「一丸」をもってチームプレーで高い山を登っていける仲間が揃っています。

このあたりはアメフトや他スポーツとも一緒でしょうが、誰か一人抜けても勝てない、全員で勝ちに行く、これができるのがCADDiだと思っています。

画像9

最後になりましたが、キャディはまだまだ、いや、まだまだまだまだ!一緒に荒野を切り開くメンバーを募集しています!!!

少しでも気になる方いらっしゃいましたら、まず私にご一報をw

(記事にいいね🤍も押して頂けると幸いです!)


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
94
トヨタ→PwC→CADDi