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椿

落ちた椿が丁寧に並べられている光景を何度か見たことがある。

それは誰かの家の塀の上だったり、道路の隅だったり。

写真の椿は、駅から家までの帰り道に通る遊歩道で見つけた。
垣根の上にぽつんと乗せられた椿がとても不自然でやけに気になって、通り過ぎること3回目くらいでついに写真を撮ってしまった。

雨が降ったある日、息子と夫と一緒に散歩へ出かけた。
TSUTAYAまでの道のりには立派な椿の木がある。
一斉に花開いた椿がぶら下がっていてとても重たそうに見えた。
木の足下には水溜りがあり、そこに一輪の椿が落ちていた。
息子は地面にぼたぼたと落ちていた椿の中から一輪を手に取り、水溜りの中の椿の隣に並べた。

何を思って取った行動なのかな?と思って聞いてみたけれど、これと言った返事はなかった。
3人で「椿きれいね」と話しながらTSUTAYAへ向い、私は漫画を借りた。

降りしきる雨の中、水面に映った椿はたしかにとても美しかった。

他の花は散ったところでこんな風に並べてもらえない。
せいぜい散り散りになっていく桜に見惚れるくらいで、あとの花なんか散っていく姿さえ覚えていない。

だけど椿は違う。
ぼたりと落ちて横たわるその姿から「私のこと、忘れないで。」という執念深さを感じる。
まだ咲けたかもしれないのに間違えて落ちてしまった感じがいたたまれない。
綺麗なのにかわいそうだね。
綺麗だからかわいそうだね?
だから見ず知らずの誰かが拾って並べたりする。

いずれにせよ、あなたたちは旬が過ぎても大事にされていいね、と思ってしまう。

花屋の店先に並んだ色んな花はどれもみんな綺麗だと歌う歌があるけれど、そりゃ花屋に並べるために選ばれた花なんだから綺麗で当然だろう。
選ばれし種類の花の、さらに折れたり萎れたりしていないものだけが並ぶ。
選ばれなかった花たちが不憫で、こんな歌を歌いたくないと中学生になった私とはーちゃんは文句を言っていた記憶が蘇る。(そういう意味の曲じゃないのに。)

もしも生まれ変わらなければならないとしたら、人間以外の生き物がいいと常々思っているのだけど、花の世界もルッキズムが相当強そうなので、花になるのはいやだなと思った。

こんなこと考えていても何の役にも立たないけれど、ふとした光景が忘れられなくてその意味を延々と考え続けてしまうことがある。

息子と夫とした雨の中のお散歩から数日後。
水溜りはすっかり乾いて、並べた椿もどこかへ消えていた。

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HAHA PROJECTのライター担当。1児の母。 体内のチョコレートを切らすと手がふるえてきます。好きな言葉はファビュラス。