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わたしは宗教で結婚した家の子だ


うちの親はカルト宗教の信者だった。

父が日本人、母が韓国人で、合同結婚式で結婚している。つまりわたしは2世だ。父の実家は入信してないが、母の家族はみな入信している。母の兄は教会の運営側に入っていた(数年前亡くなった)ので、わたしとしては逃れようのない立場である。

しかし、たぶん過去形でいいと思う。家にいろいろモノ(教祖夫妻の写真とか本とか)はあるものの、長いこと教会に行っていない。わたし自身も、教会についてあまり教えられていない。両親がどういう気持ちだったかはわからないけど、彼らが結婚した直後くらいに世間的にニュースになったはずだから、彼らとしても距離を置きたい気持ちがあったのかもしれないし、単純にうちは3人きょうだいなので、そっちに金を落とす余裕がなくて離れたのかもしれない。

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写真は1歳の頃のわたしである。自画自賛するレベルで可愛いし遺影にしていただきたいレベルで盛れているのだが、後ろに教祖先生の御本がバッチリ写ってるせいでなかなか表に出せない。

今思うと、よく運営側に身内がいるのにこれだけ離れていたもんだなと思う程度には、全然教会について教えられなかった。

その宗教(以下教会と呼ぶ)は、キリスト教をベースとした新興宗教だが、キリスト教側からは異端認識されている。「家庭」という最小単位を通して世界を平和に統一していこうというテーマの宗教だ。まあ理念は悪くないと思う。血のつながった家族はそう簡単に無下にできないよね、ということで「結婚」が活動の大きな柱になっている。その結果が「合同結婚式」であり、「日韓国際結婚」だ。そしてうちがそれだ。

ちなみに母のきょうだいはみんな日韓国際結婚で、「えっ叔母さん日本にいるの?母方だから韓国人だよね?」「あ~叔母さんも国際結婚で…」みたいなこと話すとわかる人にはわかっちゃうだろうなあと思ってそういう話はなるべく避けている。結婚の直前、両親ともに1週間の断食の修行をしたらしい。2日目くらいまでがすごいキツイとか言ってたのを小さい時に聞いた。

まあわたしは宗教についてほどんど教わっていない2世なので、この内容がどれくらい正しいかもわからない。

わたしが小学校4年くらいまでは教会のコミュニティとの付き合いがあったけど、礼拝するとかでもなく集まって飯食ってぺちゃくちゃしゃべってた。教会の人というよりは韓国人コミュニティという認識のほうが強かった。

小学校6年くらいのとき、夏休みに教会に子どもが集められて聖書の勉強会のようなものがあって、わたしだけ参加した。当時は「よくわかんないけど参加した」って感覚。今から思うと、そこから徐々に教会の教義について内容をシフトしていく、その土台作りだったんだなあと思う。まあそういうの置いといて、旧約聖書の内容をしっかり解説してもらえた普通にいい機会だった。

高校に上がって、携帯電話を持つようになった。うちにはそれまでインターネットも引かれていなかったので、それ以前は学校のパソコンくらいしか使う機会がなかった。持ったばかりの携帯電話で教会を調べた。ていうかそれまでちゃんとした名称を知らなかったので「うちのって****でいいんだっけ?」って感じだった。世間的な悪評と、内部の人からの賞賛の両方を読んで、体の芯が凍るような心地だった。できるだけ、できるだけ、客観的にそれを判断したいと思った。

その頃、末の妹が不登校になった。それで両親はちょっとだけ教会に顔を出すようになった。正直「ダメだろ…」みたいな小さな壺が玄関に置かれた。悪い気を吸い取ってくれるそうだ。

妹が学校に行かないでいる間にわたしは大学に進学し、家を出た。大学は文化全般を学ぶ学科を選んだけど、授業で色んな国の宗教事情なども学んだ。客観的な知識を増やしたったのでちょうどよかった。入った合唱サークルではレクイエムをたびたびやったので、旧約聖書の知識はちょっと役立った。まあなにごとも知識はあって悪いことはない。

二十歳の時だったと思うが、帰省のタイミングと伯父(教会の運営側の人)が家の近くに来るタイミングが重なって、実家で会った。その時に「二十二歳になったら伴侶とのマッチングができるから、写真撮らせて。伯父さんは中の人だからいい条件の人とマッチングさせてあげられるよ」みたいなこと言われて写真撮られた。思いっきりしかめっ面で写ってやった。

たぶんわたしアセクシャルなので(特に子作り必須タイプの)結婚とかお断りなんですけど、そういう自認がはっきりしてなかった当時でも「いやなんで他人に結婚相手決められなきゃいかんねんわたしの自我は無視か」という気持ちでムカつきつつしかめっ面で写真写った。その話のその後の話はないので、しかめっ面は功を奏したのだろう。

そのちょっと前かちょっと後か忘れたけど、母の実家の近くで万博があって、万博を見たいってのもあったし、一人で海外に行ってみたいというのもあり、一人で韓国の祖母の家に遊びに行った。だいたいは普通に親戚の家に行った子どもとして過ごさせてもらった。

ただ、そこには母の弟と結婚した日本人の叔母がいて「教会で結婚はするの?」「わたしも昔は結婚まで考えた人がいたけど、最終的に今の状態になって良かったと思ってるよ」みたいな話をされた。何度も言うが、わたしは両親から教会のことをほとんど教わっていなかったので、こういう風に直接的に話をされるのはそれはそれで新鮮で興味深かった。

教会のことがあったからかどうかわからないけど、わたしは民俗学や神話、宗教などに割と興味を持つ人間に育った。卒論は神話をテーマに書いた。そうやって色んな国のいろんな信仰の例を知ることで、いつか真面目に教会の話をされたときに論破できるようになりたかったのかもしれない。

それはわたしにとって、わたしの存在に大きくかかわることなのだから。

まあそんなことがありつつのらりくらりとかわしながら生きており、なんだかんだ言って、うちの3きょうだいの中ではわたしは割と情報が多かった方だと思う。長子なので教会のコミュニティの人たちと関わった記憶も結構残ってるし、聖書の勉強会も結局参加したのわたしだけだったし、わたしが一番親戚にも会っているし、結婚うんぬんの話をされたのもきっとわたしだけだ。

不登校だった妹は、なんやかんやあって高校からは学校に健康的に通うようになり、大学進学で家を離れたが、そこでまた心を閉ざした。

大学で「カルト宗教」というものを知ったのである。

妹がそれまでにどれくらい教会のことを知っていたのか分からないが、いきなり「マインドコントロール」「教祖によって配偶者を決められる」「合同結婚式」「それによって生まれたのが自分である」ということに直面したら、ショックが大きいことは察してあまりある。わたしは高校生の頃携帯電話を得たことでそれらの情報を知ったが、それまでに教会の人に会った経験とか、なんとなく察したこととかがあったから、まだ冷静でいられた。その上で、自分の考えをはっきりさせるために大学で勉強をすることもできた。妹はそうでなかった。

とにかく、うちの両親は、全然全く説明をしてこなかったのだ。

末っ子の不登校に家が大嵐だった頃、父が母に対して「わたしは哲学に共感して教会に入っただけだ」みたいなことを言っていたのを覚えている。要するに、理念には共感するが生活をそれに捧げるつもりはないということなんだと思う。両親の入信の動機について、わたしはこれ以外のことを聞かされていないし、この言葉だって子どもに向けて言ったものではなかった。

両親は、わたしたちに説明をまったくしてこなかった。意図的なのかもしれない。「カルト宗教」というものに関わっていることすら知らないで、憂いなく暮らしていけるようにするためだったのかもしれない。母に「なんでわたしに韓国語教えてくれなかったのさ?教えてくれてたら就職とかでも有利だったのに」と言ったら「差別されちゃうといけないと思って…」と言われたので、割とその説はある気がする。でも、あんたたちはそれで済むかもしれないけど、わたしたちはそうはいかなかった。だって嫌でもかかわりがあるから。生まれた要因なのだから。それがなければ生まれていないのだから。

子どもの頃、一度くらいは「自分は愛されていないのかもしれない」と考えたことがあるだろう。でもそんなときわたしは「わざわざ国際結婚をして生まれた子どもなんだから、きっと大丈夫だ」と思っていた。その「国際結婚」が「カルト宗教」というよくわからんものによって引き起こされたものだと分かった時、(当時はもう高校生だったけど)自分の足場が崩れる心地になったものだった。

幸いなことにうちの両親はよく支えあって暮らしており、彼らの関係の強度についてわたしは疑いを持っていない。その点、うちはガチャに当たった家だったんだろう。教祖様が選んでくれる配偶者ガチャに。だからまあ、そこは恨んでいないし、心の支えとして「信仰」を持つことは非難されるものではないはずだ。日本には信仰の自由があるし、それで生活がぶっ壊れるのはアレだけど、うちはそうなってないし。

ただ、説明をしてこなかったことについて、それについては非難する。

両親に信仰があるのならそうあればいい。わたしはいろいろ見て知って、わたしに合う宗教ではないと判断した。別の信仰を持つ人間として共存していけばいい。父と父の実家がそうであるように。だから話してくれたら、話してくれていたら、わたしたちはちゃんとそれぞれの答えを見つけられたと思うのに、両親はいまだに、わたしたちに教会について説明をしていない。

こうなったらわたしが妹と話さなければとは思うけれど、どうしたものかと思いながらこれを書いてるわたしもまた、非難されるべきだろう。

この記事は、「「向こうで映画見るけどあなたもどう?」元カルト信者の私が『ミッドサマー』に覚えた既視感」を読んで、「なーんだうちのじゃん!笑」ってなり、なんか今なら書けそうだと思って書いた。「笑」できて良かった。客観的にいきたい。良い文章をありがとうございました。


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