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不意にメガサイズ

最近うっすら鬱っぽかった。
「かった」と過去形なだけまだ良いが、大事な書き出しをこんな近況報告で始めるのはそこそこ不本意ではある。
とはいえ、ただでさえギスついてる世の中だ。
やれガースーがどうの百合子がどうのとストレスの出所を探ったり、犯人捜しをするような事はここではしない。
考えてみれば世間の嬉しい楽しい大好きコンテンツが片っ端から制限を受けるドリーム非カムトゥルーな昨今で、やれ「病んだ/鬱った/もうムリぽ…」と声高にメンタル白旗宣言をする僕のような人もいるだろう。
ただ僕に関していえば元々そんなにテンションが高くない。
基本的に[20%/40%/80%]の3チャンネルのテンション感で省エネに生きてるので、その軸足の置き所が40%から20%にやや寄ったくらいで、超ポジティブ人間が絶望野郎に変貌したような衝撃は我ながら特にない。

そんな(どんな?)最近である。
かくして日常の大半を20%顔で過ごしていた最近の僕は、「自分の弱った姿を親しい人に見られたくない」という変なプライドもあり、あえて知り合いに遭遇しそうな場所を避けつつ、ほぼ会社の人としか話さない生活を2~3ヶ月ほど送った。
その期間中、映画鑑賞がマイブームになった。
というのも、しばらく寝ても覚めても20%だった事もあり、会社の人とも話す必要のない休日は「今日は誰とも話したくねぇ!オラ、尼になる!」と脳内社交スイッチを完全にオフり、単身フラっと訪れれば2,000円弱で約2時間の非現実を提供してくれる映画鑑賞にのめり込んだのだ。
一時期は忙しなく劇場を回りながら、1日2~4本の映画を観る休日を毎週のように過ごした。

そんな時期、いつも通り「誰とも話さず映画を観て過ごしたい休日」が訪れたある日。
午前中から早々に一本目を観た僕は、次の映画までに昼食をとると、更に時間があったので酷暑を避けるようにチェーンの喫茶店・ヴェローチェに入った。
すぐに荷物を置いて冷房の効いた奥の席を確保。
次いでレジ前に並び、数分して自分の番が来た。
僕はこの会計時の店員さんとのやり取りに思う事がある。
それは自分の番が来てからメニュー表を見て商品を選ぶ奴、これはもう論外だという事だ。
並んでいる間に商品を選べるよう各所にメニュー表が掲示されているのに、それらを無視してノープランで列に並び、あまつさえ自分の順番が来てから悠長に選ぼうなどというのはバカな貴族の発想であり、控えめに言って「土に還れ」と思ってしまう。
ここでは事前に商品を決めて列に並び、会計時のやり取りは最小限に短く済ませるのがベストだ。
そうすることで自分も店員さんも後ろに並ぶお客さんも全員気持ち良く過ごすことができ、店内にはプチ世界平和が訪れる。
このプチ世界平和の創造に一人一人が協力することが重要であり、間違ってもレジ前でモタついて、性格の悪い他の客に「土に還れ」などと人知れずブログで呪詛を吐かれるような存在になってはいけないのだ。
かくして僕は「アイスコーヒーのL」と事前に決めて列に付き、スムーズに注文できるよう心の準備を整えた。
更にいえば先述の通り、この日の僕は「誰とも話したくねぇ!」というささくれメンタルだったので、余計な言葉を交わさない事について誰よりも意識が高かった。

『お待たせしました。ご注文をどうぞ』
女性の店員さんがマスク越しでも分かる笑顔で爽やかにそう言った。
対して僕は「アイスコーヒーのLを1つください」と簡潔に告げる。
ここまで不自然な間は一切ない。
しかも右手には料金分の小銭を既に準備して握り込んでいる。完璧だ。
まるでF1のピットインのような、一切無駄のない流れが今まさに完成する。
そう思った次の瞬間、店員さんの口から予想外の言葉が飛び出した。
『あの、いま期間限定でアイスコーヒーのメガサイズがあるんですけど、よければいかがですか?』
メガサイズ?
およそ喫茶店で聞くことのない単語に困惑し、僕の思考は一瞬止まった。
かくして予想外の選択肢を提示されるも、引き続き(速く注文を済ませないと世界平和が…)と使命感に駆られる僕の脳は、それでも即座に回答せねばと再び回りだす。
天からのギフトに卑屈と天邪鬼だけを授かって生まれた僕なので、今までこの部類の提案には(お前の思惑通り動いてやるもんか!)という謎の反抗心から反射的にNoを返し続けてきた。
なので、いつも通り今回もNoで返して自分の意思を貫こう。
そう思った矢先、僕の返答を笑顔で待つ店員さんと目が合った。
考えてみればこんなに対照的なことはない。
いい歳こいて「人と話したくねぇ!」と自分本位に心を閉ざす僕に対し、この店員さんは(店側のマニュアルにせよ)「メガサイズを勧める」というコミュニケーションを積極的かつ能動的に取ろうとしてくれた。
この「見ず知らずの人に何かを勧める」という行為にどれだけ勇気がいる事か。
かつて「自分が良いと思えないものを人に勧めたくねぇ」という舐めくさった理由から営業職を秒でドロップアウトした僕には痛いほど分かる。

「あ、じゃあそのメガサイズにしてください」
気付くと僕はそう言っていた。
それはマスク越しでも分かるほど店員さんが可愛かったからとかでは断じてなく、やんわり気落ちした今の僕でも、彼女の提案を前向きに受け入れてコーヒーをメガサイズにすることで人生が何か変わるかもしれない、そう反射的に思ったからだ。
決して目の形が好みだったからとか、綺麗な声だったからとか、口調が可愛かったからとかでは断じてない。断じてだ。
そうして僕は事前に用意していたよりやや多くの小銭を払い、店員さんに勧められるままメガサイズのアイスコーヒーを購入した。
出てきた瞬間その存在感ある立ち姿にややひるんだものの、それもこれも僕が「メガサイズで」と言った時の店員さんの嬉しそうな笑顔で帳消しになった(チョロい)。

やはり自分を思って勧めてくれた提案には積極的に乗った方がいいと改めて感じた。
その結果もし不本意な事があったとしても、「誰かの思いやりに心を開ける自分」に出会える人生と出会えない人生、どちらが良いかは明白だ。
そうして人の提案に心を開けた時点で、後で何があろうと決して後悔はない。
僕はそんな悟りのような境地に達しながら、冷房の効いた店内でメガサイズコーヒーを堪能した。

そこから数十分ほど読書をしたのち、気付くと次の映画に向かう時間になっていた。
ふと机上を見ると、中身が1/3ほど残っているうえに氷が溶けて薄くなったメガサイズコーヒーが、申し訳なさそうに容器に水滴を付けている。
「やっぱメガサイズは多かったな」
僕は少し後悔した。

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