海外とのオンライン会議 (3) よくいる「困ったちゃん」
前回、前々回でヨルダンと日本の事例を出しながら、海外とのオンライン会議について考えてみました。
現地駐在員として「いつも泣かされる」と言いますか、いい加減、「ちょっとは相手のことを理解してくれたらなあ」と思うことは他にもたくさんあります。
オンライン会議中に頻繁に現れる「困ったちゃん達」を整理してみたいと思います。
オンライン会議に遅れてくるヨルダン人
エリン・メイヤー著『異文化理解力』によると、世界には時間に厳しい国と、時間感覚が緩やか(いいかげん)な国があるとのことです。
日本はもちろん時間に厳しい方で、そういう厳しい時間感覚を持つ人達が多い文化を専門用語で「モノクロニック文化」と呼びます。
この文化圏では時間を貴重な資源と捉え、それを無駄にすることを忌避します。一般的には欧米諸国や、日本もこの「モノクロニック文化」に当てはまります。
一方、
ヨルダンは時間に対して柔軟で、「時間厳守」「締切り厳守」「遅刻厳禁」は理解されません。このような文化を「ポリクロニック文化」と呼びます。
そうした文化では、時間とは海の水のように常に無限にあるものと考え、物事を進めるのに時間はそれほど重視されません。中南米、中東、アフリカや南欧などで一般的だそうです。
(※時間感覚の違いについては別の投稿でも書きましたので、ご興味がありましたらこちらも参照してください。)
さて、
オンライン会議では、ヨルダン側は「多少の遅刻は全然オッケー」という感覚なので、参加者は遅刻しても悪びれるところがありません。
いくら駐在員の私が言っても、どうしても5分は遅れて会議にログインするのが普通になってしまいます。
私も苦し紛れに
「こちらのネット回線がヨワくて、なかなか繋がらなかったんです、すみませ~ん」
などとウソの言い訳しながら、いつも日本側に
平謝りです。。。
会議に集中していないヨルダン人
この時間感覚がユルい「ポリクロニック文化」の特徴として「同時並行で複数のことを実行する」ということがあります。
前述エリン・メイヤー氏の著作では以下のような説明があります。
様々なことが同時に進行し邪魔が入っても受け入れられる
(出典/『異文化理解力』エリン・メイヤー著、英知出版)
どういうことかと言いますと、例えば会議中に自分のスマホに着信があったとします。
日本人なら慌てて着信音を消したり、よほどの相手でなければ電話に出ませんし、基本的にオンライン会議に集中しています。
しかし、ヨルダン人は、こともなげに電話に出るのです。
そして、ここからが大変不思議なのですが、
電話で会話をしながら、オンライン会議の画面を見つつ、オンライン会議で相手が言っていることも割としっかり聞いているのです。
そんなことなので、ヨルダン人はあっさりと電話に出て、オンライン会議とは別の会話を電話の相手に向かってし始めます。
そこには「ごめんね~」などというオンライン
会議の相手への配慮はありません。
それを受けて日本側は、話はじめていたことも
一旦中断します。電話に出てしまったヨルダン人を画面越しに眺め、「おいおい~」「やれやれ」と思いつつ、「電話が終わるまで少し待つか」という感じになるんですね。
しかし、それを見た、電話に出ちゃっているヨルダン人は、オンライン会議の参加者に向かって
「え?なんで話やめるの?
続けてよ、ちゃんと聞いてるから」
と、サラっと言うのです。
日本人から見ると「ホントかな」と思ってしまうのですが、わりと「ホント」です。あまりにも
細かい話となると別ですが、電話に出ながらでもちゃんとオンライン会議の話も聞いています。
そんなヨルダン人の特技はさておき、
日本人から見ると、こんなヨルダン人は集中力のない、ヤル気のない、会議を軽んじている人間としてしか映りませんよね。
一方、
ヨルダン人としては、オンライン会議ももちろん重要だけど、電話の相手も大事な人間関係の中にいるので無視できないようです。
せっかくかかってきた電話に出ないのは相手に対して無礼と考えており、だから同時並行で複数のことをやるのも日常生活の一部としてしみついている感があります。
ラマダン中のオンライン会議で水を飲む日本人
イスラム教のラマダン(断食月)がどのようなものか、またラマダン中にイスラム教徒のヨルダン人がどんな風に仕事するかは別の投稿で記しました。
ヨルダン人はラマダン中、日中は一切飲み食いができません。
それなのに、オンライン会議中に画面の前で平気でペットボトルの水やお茶をグビグビと飲む日本人出席者が意外に多いのです。
しかも、個人のパソコンで会議に出ている人は、お茶や水を飲むときに顔が上がり、ペットボトルやコップの下側と、飲むときに微妙に動く相手の口元・喉元なんかが画面を通して丸見えです。
日本人として本当に情けなくなります。こんな人、一緒に仕事する仲間と思いたくなくなるほど私は嫌悪感を覚えます。
会議していれば、のどが乾くのもわかります。
しかし。。。。
何か飲みたいなら、画面消してから飲め!
ヨルダン人の参加者は、画面越しに水を飲んでいる日本人参加者を見て、私の横で
「チッ・・・・・」と舌打ちしています。
こんな状況で日本側が「ヨルダン側の事情に配慮して・・」なんて眉間にシワ寄せて言ったって、ぜーーーーんぜん説得力、ありません。
短縮語、専門用語、変な英語、ローカル地名の乱発
海外との会議で難しいのは、馴染みのない短縮語、専門用語、地名が頻繁に出てしまうときです。特に関係ができて間もない頃などは、これがコミュニケーションの障害になりやすいです。
簡単な例でいえば、
「人事部」を
「HR(エイチ・アール)」
※Human Resource Divisionの略
「社長」を
「DG(ディー・ジー)」
※Director Generalの略
「クアラルンプール(マレーシアの首都)」を
「KL(ケー・エル)」
※Kuala Lumpurの略
と言ったりすることがありますが、英語圏の相手ならいざしらず、その他の国では「HR」「DG」「KL」と言われてもわからない人も大勢います。
地名にしても
「ヨルダン」は英語で「ジョルダン」ですが、
日本人の中には「ヨルダン」と言う人も多く、ヨルダン人は一瞬「は?」という表情になります。
またヨルダンの地方の名前はヨルダン人にとって馴染みがあっても、現地事情をよく知らない日本人がそれを聞いて、すぐにそれが「地名」とわかる人すら少ないです。
その他、
和製英語の「パソコン」を「パソコン」と言っても海外の人には伝わりませんし、「エアコン」も「エアコン」でわかる外国人はいません。
ヨルダン人は「He(彼)」と「She(彼女)」、「Teach」と「Learn」をゴチャまぜに言うので、途中でHe、Sheが誰のことを指しているのか、
誰が何を教えるのかがわからなくなります。
また私のいるヨルダンの組織では、「教科書」のことを「カリキュラ」と言い、日本語にもなっている「カリキュラム」は、ここでは「フレームワーク」と言わなければ通じません。
そんなとき、日本側が「カリキュラム」というと、ヨルダン側は「教科書」のことを話しているという前提で日本側の話を聞くのですが、途中で話の筋がおかしくなっていくのです。
現地駐在員として、言葉の対照表みたいなものを作って日本側、ヨルダン側に渡したこともあるのですが、それでも普段の口癖でついつい言いなれた言葉を使ってしまうんですね。。。