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GENIUS

KAZU SUZUKI

広告代理店で働いていた頃。
クライアントに僕を紹介する営業担当が
「このひとが、天才の鈴木さんです」
と笑いながら話すことが、しばしばあった。

正直にいうと「しばしば」ではなく、「日常的」にあった。

気がつくとクライアントが密かに僕のあだ名を「天才」にしている、ということもあった。

「天才」と呼ばれ始めた頃、僕は、もじもじと照れながら、「天才なんかじゃないです」と言っていただけれども、「ちっとも天才なんかじゃない」と自己否定する気持ちが強すぎて、逆に沈んでしまうことから、次第に「ご期待に応えられるように頑張ります」と言うようになった。

何年か時が経ち、この答え方も、なんだか堅苦しいし、自分のことを天才だと自覚している印象になってしまうのも気持ちが悪いので、最近は「『天才』と呼びやすいタイプの『天才』です」と笑いながら答えている。

本当の天才のことを、人は「天才」と軽々しく呼ばない。

実際、僕は「天才」と呼ばれても、天才のような扱いはされていないと思っている。単に、プログラミングからアートディレクション、プロデュースまで、幅広く仕事をしていることが珍しいだけなのだ。

つまり、事実はこういうことだろう。
「何を考えているか、よくわからない変人。ただし、さまざまなことに詳しいことは確か。普通に生きていれば、もっと幸せだろうに」
そういう哀れみの気持ちも含まれた「天才」なのだ。

僕は、この「痛い天才」のことを「呼ぶのに、ちょうどいい天才」と命名した。


GENIUS (天才)── ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウス (genius) が語源。

今日は、僕が本当に天才だと思う、広告代理店時代の上司のことを話したい。

彼は、一流大学出身で、英語力テストのTOEICがほぼ満点で、最先端のクリエーティブ部署のマネージメントをしていた。しかし、そんな高学歴にも関わらず、周りからは、インテリとしては、認知されていないような人だった。

夕方、会社を出るときは、いつも部員全員に「調子はどう?」と明るく声をかけ、それに対し、部員からは苦笑いされる存在だった。

僕は、それでも毎日声をかけてくれる彼のことが大好きだった。僕が何か相談すると「君なら、絶対大丈夫!思ったようにやったほうがいい!」と、いつも目をギラギラさせて、真剣にそう答える。

僕が知る限り、広告代理店にはいないタイプの男だった。


彼が新入社員として入社したとき、彼の外見は、ド派手な紫色のスーツに、紫色の長髪。その髪を、整髪剤でバッキバキに固めていたそうだ。

営業局に配属された初日、部長から「2万円やるから、髪を染めてこい」と言われ、「はい!染めてきます」といって、当日、染めにいったと聞いた。そんなに早く髪を染めるなら、最初から染めてこなければいいのに、と思う。彼は、一体、何がしたかったのか?

尖っているけれど、すべての人の意見を、素直に聞く人だった。上司に対しても、部下に対しても、すべての人の声を真正面から聞く人だった。

趣味は、アマチュア無線。彼がベランダに構築した無線機は、オーストラリアの無線マニアとも交信ができるらしい。(その設備が大規模で、家族から大ブーイングだったと聞いたことがある)
無線のアンテナの如く、彼は、人一倍、人の気持ちを聴くことに長けた人だった。

そんな素晴らしい人格の持ち主でありながら、彼は周りからは、あまり評価されていなかったのではないか、と思う。
その理由はシンプルで、彼に了承をとったところで、さらに上の了承が取れていなかったり、なんらかの理由で状況がひっくり返ったりするので、了承を取ることに意味をなさないような上司だったからだ。

ただ、彼は、部下がやることで、正しいと思うことには、すべて即決で了承した。上司に確認もせずに。

僕が、最新のドローンを学びたいときも、360度カメラを試したいときも、上司に相談すると、その場で彼は財布からクレジットカードを取り出し、個人立替えにして、購入させてくれた。彼の立替えについて、ちゃんと会社に請求できたかは、分からない。
「今、君が必要だと思うなら、今買うべきだ。
 結果的に、会社のためになるのだから」

彼はいつも真剣だった。

部下のために、上司と喧嘩する姿を、何度も見たことがある。

その彼が、僕に話してくれた大切な言葉。
人間の成長は、移動した距離に比例する
 どういうわけか不思議だけれど、移動距離が長いほど、人は、多くのことを吸収して成長するものなんだよ。だから、君が海外に移住したい、と思うことには、大賛成だ。語学力なんか、すぐに身につく。英語の試験なんか、攻略法を見つければ、誰でも点数が取れる。君なら、絶対に攻略できる。」

僕が、何かアドバイスはないですか?と聞いても
「君が、何かしたいと思っている、ということは、すでにゴールに到達しているのと同じなんだよ。だって、ゴールをイメージできてるんだから。私からのアドバイスなんて、まったく必要ない」
そういって、ただ背中を押してくれた。

思えば、彼からアドバイスをもらったことなんか、一度もない。
けれども、彼の言葉は、心の中で何度も僕を励まし、自信を与え続けてくれた。

僕は天才には、いくつかの段階があると思っている。

  1. 生きているうちに評価されるヒットメーカー

  2. 死んでから評価される天才

  3. 死んでからも、永遠に評価されない超天才


2番の「死んでから評価される天才」についても、話しておこう。

僕には、優秀な映画監督の友人がいる。

その彼の自主制作の映像作品を観たときに
「この作品は、死んでから評価されそうだな」
と思った。
それは、僕としては最上級の感想だった。

彼は、日本トップの興行収入にランキングされるくらいの映画作品を作っているし、有名なオンライン動画配信サービスでも、世界トップクラスの配信数を誇る人気監督だ。

その彼の、自主制作映像作品は
良い意味で、眠くなるような作品だった。
まるでスタンリー・キューブリックの「2001年 宇宙の旅」のように。(僕は、「宇宙の旅」を観ている途中で、2回寝落ちしている)

本当に良い作品、というのは、そういうものだと思う。
僕のような凡人は、その世界に入り込み、リラックスして眠くなるような作品こそ、名作だと思う。

事実、僕が寝落ちした「宇宙の旅」は、10回近く観ているし、モノリスの形をした高価なアートブックを買ったほどだ。

同様に、友人の自主制作作品も、繰り返し観ている。心に残る画があって、そのシーンを時間が経ってから見直すことで、僕自身の変化に気づいたり、新しい発見がある。そうやって、自分の人生の一部になっていく。

映画に限らず、本や音楽など、誰にでも、そういう作品が一つはあるものではなかろうか。


そして、さらにその先の「超天才」。

超天才、というのは、「死んでからも評価されないような人」だと、勝手に思っている。

お人好しで、変人で、ダメな夫や、ダメなパパだと思われているかもしれない。死んでからも、仏壇の前で、生前の失敗談を語られて、笑われているかもしれない。

そんな人こそ、超天才なんじゃなかろうか。

僕にとっては、あんな最高の上司はいない。まるで芸術のように人間らしく、子供のように純粋で、傷つきやすく、騙されやすく、勇敢な上司だった。超天才とは、彼のような純粋な「守護神(genius)」にぴったりな言葉だと思っている。


天才、天才、繰り返すけれど──

僕は「呼ぶのに、ちょうどいい天才」を卒業したいんだ。
僕は、天才どころか、ヒットメーカーですらない。

今さら、ヒットメーカーなんか興味はないから。
できることなら、死んでから評価されるような人間になりたい。
欲を言うなら、誰かに自信を与えられるような人に。



余談。
最後に、僕が尊敬する上司が作った広告事例を、一つ紹介したい。

とあるスポーツ紙の新規会員登録を促す動画広告を、彼が企画した。

当時、大人気だったセクシー女優に、乳房が露出するほど小さなTシャツを着せて、スタジオでぴょんぴょんと跳ねさせる。
胸を上下に揺らし、彼女は焦らすように、Tシャツをまくしあげる。
するとカメラは、前から横から下から、見えそうで見えない、はみ出した彼女の胸へとフォーカスし、映像のテンションをあげていく。

いよいよ乳首があらわになる、という瞬間に、乳首の上に突如QRコードが邪魔するように表示され、キャッチコピーが。

「セクシー女優と野球拳。続きは携帯サイトで」
つまり、QRコードの先にある会員登録をすれば、すべて拝めますよ、という意味だ。

この広告を見せてくれた尊敬する上司に、僕はこう言った。

「ゲスですね」

「ひょーひょっひょ。これで会員が3倍増えたんだよ!女優さんも素晴らしい人だったから、クライアントも喜んでね、シリーズ化されたんだよ」
中学生のような笑顔で、彼は嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ねていた。

純粋がゆえの、ネジの外れっぷり。
僕が思う超天才の「生前」って、こんなです。


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