3.

ちいさな幸せをみつけに行く。

空を見上げる。同じようで違う空。私は朝方と夕方が好き。グラデーションになっていると色々な表情を一気に見れる気がして嬉しくなる。雲がところどころにあると光が映って鮮やかだ。雲の隙間から差す陽の光は、周りの暗さとのコントラストでまぶしく見える。

空を飛ぶ鳥。軸がぶれなくてすごいなぁ、と。だからこそ飛べるのだけど、自力では飛ぶことができない私にはやっぱりすごいことだと思う。一定のリズムで羽を動かす鳥。燕は時々空中で羽ばたきが一時停止するのが面白い。小さい鳥の羽の動かし方は細かすぎて肉眼でとらえるのは難しいけれど、興味を持って見続けていたら大分見えるようになった。そんな気がするだけかもしないけれど、見えると思っている。鳶はゆるやかに気流に乗っていて、舞っているような優雅さを感じる。そんな鳶が暴風に煽られながら気流を掴んでいるのを見ると、羽ばたきたくないだけなのかも…なんて思ったりもする。

木々、草花。誰かが手入れしている木々の恩恵にあずかる。今は梅。淡い優しい雰囲気の花も、赤くはっきり強さを感じる花も、どちらも好き。他にも綺麗な花をつける木がたくさんあるのだけれど、私には名前がわからない。気になるな、と思って早数年。いつもの黄色い花に「今年も会ったね」と声をかける。いつの間にか蕗の薹が咲いていた。満開だ。苦くて私は得意じゃないけれど、花を見たら食べそこねたと嘆く人が近くにいるのでこのことは黙っておこう。

月。帰りがけに見上げるもの。最近は金星が近くで光っていてなんだか楽しい。お友達がいるね!と月に言いたくなるような、そんな気分。日が延びていくうちに帰りがけの空が紫色になってきた。今の季節の帰社時の空は、紅掛空色(べにかけそらいろ)。『日本の色辞典』なるものが家にある。大好きな場所の本棚にあるのをみつけて、我が家にきた本だ。細やかに分けられた色の名前を見るだけであたたかな気分になる。眺めているだけで、まだ赤・黄色・橙…と大雑把にくくることしかできないけれど、少しの色の差にも気がつけるような丁寧な生活をしてみたい。

最近はどこか閉塞感を感じることが多くあった。大好きな本を読んでも物語の世界を頭の中にうまく描けない。ひねくれた見方をしてしまう。顔を上げて景色を見ているつもりでも、生活の中の背景として脳内を通り過ぎてしまっていた。
疲れか、ストレスか、何ものかが視野を狭めていた。視野が狭くなると自分しか見なくなる。「私は」「私は」と前面に出てくる自分を止められずに誰かにぶつけてしまう。いつもなら優しさで包める言葉を投げつけてしまう。いいことなんて、多分ない。

わがままな自分に振り回されていたことに気づき始めた。自分にとって大切なものを見つめて、視野を広げる。誰かに優しくするならまずは自分から。たくさんのちいさな幸せをみつけに行く。自分にとっての幸せを重ねていく。そうしたら、少しずつ優しくなれる。だから、少し無理をしてでも目を向けていこう。ちいさな幸せは、見つけようとする思いがあればたくさん見つけられる。いつも見ていたはずの景色が違って見えたら自分の中の好奇心を褒めてあげよう。

明日の空は私の目にどう映るのか。なんだか楽しくなってきませんか?