ことばのゆくえ、こころと社会のあいだ#3
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ことばのゆくえ、こころと社会のあいだ#3

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沈黙

 ”トラウマとは、心的外傷という言葉の示す通り、「心のケガ」である。日常生活で人間が感じるストレスと比べて、心身への負担が桁違いに大きい有害なストレス状況の体験であり、自然治癒をもたらすレジリエンス(復元力)が機能しないほどの衝撃的で受け入れがたい非日常的な体験を指す。それらは過去の記憶や体験に基づいていながら決して過去にならない「今」もって続いている精神的肉体的危機である。”

(野坂祐子 ”臨床に活きるトラウマインフォームド・ケア(2) 時を超えるトラウマ”、こころの科学No.197/1-2018 日本評論社)

 近年、著名人から一般にいたるまでさまざまな世代や立場に身を置く人々が、何らかの手段媒体を通じてそれまで誰にも打ち明けることなく秘密にしてきた、自身に起きた過酷で直視しがたい出来事や体験を公にする機会が増えたように感じます。そうした行為の背景には、時代と社会構造の急激な変化や価値観の多様化、ITやソーシャルメディアといった誰もが効果的で影響力ある告白を可能にする簡便で多彩な手段や機会が増えたこと、深刻化する社会的な格差や矛盾、利害対立が顕在化する中でいわゆる生きづらさにあえぐ人々の存在、などさまざまな要因が関係していると考えられます。

 そうした言動は、同じような苦しみを抱えながら物言われぬ長い時をなんとか必死にやり過ごしてきた人々に、体験を共有する仲間の存在を知らしめ勇気を与えるものであり、彼らが孤独の闇から抜け出すための強力な後押しとなる力強いメッセージでもあるでしょう。後を追うように同じく声をあげる人びとの波が社会を動かす原動力ともなりうるのです。

 その一方で、沈黙を破り声をあげることのできる人はまだ幸運なのかもしれない、とも感じます。つらい経験を経てきた本人にとって幸運などとは随分と無神経で酷な言い方に聞こえるかもしれません。けれども、口に「できるようになった」こと自体がすでに大きな前進であることは間違いないと言えます。
 なぜならそれは、逆境的体験が今の現実生活に影響をもたらす可能性の少ない、距離の取れた「過去」としてすでに本人に受け止められているか、あるいは自分が体験した不幸について語る覚悟や欲求といった決断と冷静さが少しずつ心に醸成されつつあることを示してもいるからです。もちろんすべての人にあてはまるわけではありません。けれども結果として見れば、声を上げる人にとっては、告白する「機は熟していた」と言えるのではないでしょうか。
 今の人生におおむね幸せを感じていたりそれなりに満足感が得られていれば、つらい「過去」も角が取れ丸みを帯びた「思い出」に書き換えられることもあるでしょう。良くも悪くも今を生きるに懸命で精一杯であれば、思い出すいとまだってないかもしれません。
 逆にそれがいまもって過去にならず、苦しみがいまだあまりに大きく生々しい人にとって、沈黙するよりほかに手立てがないのです。

 私は少なくとも二つの沈黙あることにある時点で気がつきました。ひとつは打ち明けたいがなかなかその勇気が出せない、苦しみがあることを周囲に知られることに対する恥やためらい、どう言葉にすればよいかわからず逡巡する、といった意味での沈黙です。これらもまた容易には語り難いにしても、ひょっとすると打ち明ければ今よりずっと楽になるかもしれない、という期待なり欲求がかすかにでも心の奥底にはあります。そうであれば、外からの心理的援助や社会的支援といった努力の効果が実を結ぶ期待値も高くなるでしょう。
 だが、いま一つの沈黙とは、本人にとって到底口にすることができない恐怖ゆえのもの。助けて、と声をあげれば、暗く得体のしれない過去に確実に見つかりそれに襲われるような恐怖。だから物陰に必死に隠れ口に手を当て生きるしかない。口を開いたら最後なのだ。上の引用で的確に表現されるようないまだ終わらない恐怖から自分を護るためには、心に自動シャッターをおろすほかありません。

 ”人間は秘密を持つ必要があります。しかし本当の秘密は、無意識の深みから彼を襲うのです。(中略)
 私たちが秘密を所有しているのではなく、本物の秘密が私たちを所有しているのです。”

(カール・G・ユング『心理療法論』 林 道義 編訳 みすず書房 2016年)

 カウンセラーやセラピストといった職業の人間は、ときに相手の言葉以上に沈黙に「耳を傾ける」ことを求められます。重たい沈黙や間に耐えながら、その意味を慎重に深く探ってゆかねばならないのです。なぜなら沈黙する人の多くは、自分の過酷な運命について周囲に対して怒りや恐怖を抱えながら、一度もそれらを表現できず、したがって理解されてこなかった人たちだからです。
 沈黙のすべてが同じではない。沈黙の醸し出す厳しい重苦しさ、不穏な緊張感に気づくようになるとそれがいっそう強く感じられます。
 

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メンタルケアとカウンセリング専門相談室C²-Wave六本木けやき坂のアカウントです。仕事現場や日常出会う人々の発する言葉にどう向き合っていくか日々模索しています。https://www.c2-wave.net/ ブログ:https://c2waveblog.exblog.jp/