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#7 写真

 ”ぼくは、自分にいま見えるものを描くのではなく ― ぼくが見たものを描く。写真機は画筆とパレットに張りあうことはできない ー 地獄か天国で使うのでない限り。”

『エドヴァルト・ムンク【自作を語る画文集】生のフリーズ』 八坂書房 2009年

 ”真実であれ、若き人々よ。しかしこれは平凡に正確であれという事を意味するのではない。低級な正確というものがあります。写真や石膏型のそれです。芸術は内の真実があってこそ始まります。全ての君たちの形、全ての君たちの色彩をして感情を訳出せしめよ。”

 『ロダンの言葉抄』 高村幸太郎訳、岩波書店 1960年

 かつて芸術家にとって、カメラや写真は(感心しないという意味で)あまり面白くない存在だったろう。そもそも、写真の持つ芸術的ポテンシャルを既存芸術と同列のものと考えていなかったことは、ムンクやロダンのこうした言葉からもうかがえる。
 けれども、この画期的な文明技術の登場と普及は、既存の芸術表現手法や技法への挑戦、もっと言えば「禁じ手」のように映っていたかもしれない。
 芸術に携わってきた人々が、芸術活動とそこから生み出される作品によって独占してきた創作表現機会と生活手段の多くが、「写真を撮ること」に取って代わられることへの脅威を感じていたとしても不思議はなかっただろう。
 20世紀にテレビの普及によって、映画産業が次第に衰退し、21世紀に今度はそのテレビがインターネットに取って代わられていると同じように、19世紀におけるカメラや写真の登場は、いわば泰平の時代の眠りを覚ます「黒船来航」であったのかもしれない。

 写真は、現実世界や対象細部の正確でリアルな描写において、絵画を圧倒する。そこで、その後の絵画芸術は、より人間と生の本質的・根源的真実を求めようとした。現実や細部よりも、表現性豊かな全体性や視点の多様性を追求し始め、印象派やキュビズム、抽象画芸術への道が開かれていった。一方写真芸術・文化は、20世紀以降現在に至るまで、映画と並び新しい芸術表現形式としてのゆるぎない地位を得ると同時に、一般的娯楽や記録手段として日常の市民生活に深く根を下ろしてきたのである。

 Aさんは数年前に結婚し、二人の子をもうけ家族にも仕事にも恵まれ順調な人生を送ってきた。が、あるときからさまざまな心身の不調を次第に訴えるようになった。医療機関をさまざま受診したものの異常は見当たらず、薬も服薬したが症状はなかなか改善しなかったため、カウンセリングを求めた。
 彼女は、仕事も家庭も順調で、特段のストレス因の見当がつかないにもかかわらず、今の生活を続けることができないという焦りやむなしさ、不安をなぜか抑えることができないのが苦しいと訴える。「順調すぎて逆に怖い」というAさんの言い方にどこか引っかかるものを感じたものの、どこに問題があるのかをなかなか見いだせないまま、カウンセリングを何回か重ねたある時、Aさんが「見せたいものがある」と言って、スケッチブックを何冊か持参してきた。それは、Aさんが幼い頃から社会人になるまでの時期、時折描いていた絵画だった。
 きっかけは、その前のカウンセリングの合間の雑談にあった。私が「でも、お仕事と子育とでいろいろとお忙しいでしょうね。好きなことで今はできていないこととか本当はやってみたいことなんてありますか?」と質問した。すると、彼女が実は自分は芸術系の学校へ進みたかったほど絵を描くことが好きだったことを話した。結婚のため新居への引っ越した際、実家から送られてきた荷物のなかにその絵が入っていたのを思い出したのだという。

 カウンセリングを終えしばらく後、私はAさんから一時預かったスケッチブックを一枚ずつ丁寧に見ていった。確かに小さなころからなかなか上手で、年齢とともにその腕をあげていることもわかったものの、シャガールを連想させるファンタジックでメルヘンチックなモチーフや構図が共通した特徴を持っているな、ぐらいを読み取る程度の感性しか持ち合わせていなかった私は、あきらめて最後のページをめくり閉じようとしたしたとき、背表紙の裏になぜか大きな写真が一枚留めてあることに気づいた。
 それはAさんのご両親二人を写したスナップ写真だった。年老いたお二人の姿は、たとえて言うなら田舎の農家の働き者ご夫婦といった感じで、とても実直な表情を浮かべ仲良く正面を見つめて写っていた。

 けれども、なぜかそのとき私は、わずかに違和感というか重たいものを感じた。写っているAさんのご両親に不審な点があるということではなく、それまでページを綴り見てきたAさんの夢見がちで奔放な絵画と、なまの人を写した写真とのあいだの、素材や表現形式の単純な違いとは別な異質の、なにか不協和というか混乱が感じられたのだ。ご両親が向けるAさんへの視線とAさんのご両親への眼差しの行き違いのような、そんなものといったらいいだろうか。

 その次にAさんにお会いした時、私はAさんに失礼に当たるかもしれないと思いつつ、自分の根拠のない主観と感想を率直に話してみた。驚いたことにAさんはすぐに何かを理解したようだった。後に、今の生活への「順調すぎて逆に怖い」と表現された苦痛の背景に、Aさんの現家族というより「原」家族環境のさまざまな事情があることが見えてきたのだった。
 けれども、こころが不調をきたす場合、ひとつや二つの原因や背景、直線的因果関係で説明できるものはまずない。それぞれに独特で多彩な要因なり事情が複雑に絡み合って私たちのこころは病んでいく。すべての謎を紐解くことなど本当は誰にもできない、そういっても過言ではないだろう。

 もしも、Aさんの絵画を見ることもなくあの写真一枚だけを見せられていたら、私が何かを感じることは難しかっただろう。発見は置き物のようにそこにあるのではなく、それを見つけ感じる目や心に訪れる。大切なことを見逃さない眼、感じ取る心をまだまだ養っていかないと、そんなことを痛感した。

 写真の中の人々はまぶしいほど輝いているが、みながいい人だったはずはない。ずるい人も腹黒い人も怠け者もいただろう。でも写真を見ているときに、そういうことは頭に上らない。みんなそれぞれの事情を抱えながら生きていたその尊さだけが心の中に広がっていく。良き時代などどこにもない。良きものを見つける眼だけがあるのだ。

大竹昭子 写真集「青森」(みすず書房)書評より 週刊新潮21’10/21号

 

 

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