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事業会社を始めて、そして閉めた話(その6)事業の終了確定。

前々回の続きです。

昨晩、AmazonビデオにFukushima 50があったので見ながら、当時を思い出しました。この間、震災もあった。その頃の話です。

原発は吹き飛び、街には一時期、子供だけで親の母国に返される大きなリュックを背負った外国人の子供が溢れました。写真は当時の近所のスーパー。当然利用も減ってゆく。このまま2度と昔の日常は戻らないのではないかという不安もあった。

数ヶ月経って、家財が流されてしまったユーザーの解約などの連絡がCSに入り始め、段々利用が盛り返してきた時は嬉しかったものです。
ショップの方でも、少しでも楽しんでもらう為に色々工夫をした。

でも現状のユーザー2万人の為だけの、サステイニングでしか最早ない。自社も株主も投資はできず、新しい対応端末も増えることがない。

黒字転換はしたものの、少しづつ減って行かざるを得ない中で、市場台数と見込みユーザー数を鑑みると、その年末には、綺麗な身で畳む事を考えれば、クロージングを具体的にプランせざるを得ないのでした。

創業時はもはや遠くなりにけりとはいえ、明確な目的で集まった会社であってそれは変わらない。生き延びるにはなんだってやったれー!という企業ではないんです。

この時期の株主各社代表にVOCなど無いわけで、何もなく穏便に自分の役の期間が過ぎて、いい人脈でも得られればいいという方が大半。でも一旦閉める話に転じると、情報交換のサロン的に使っている取締役も「閉めるんならすぐ閉めろ!残っているうちに金返せ」という方に反論せず、横並びの動きをとります。

もはや法人として、閉じる方向以外選択肢は無く、そして自分の非力さに悔やみながらも、それをまた受け入れるしか無いわけです。

取締役会で、提示されたコスト条件で、ユーザーサービスを締める期間の正当性を提示しながら、期間を確保してコミットする。臨株か何かでついに決定しました。

事業閉塞まで1年、サービスの閉塞まで、10ヶ月を確保。ここからは放射能除去装置のない、宇宙戦艦ヤマトみたいになって行くわけです。ユーザサービスのCSを満たす側面も勿論ですが、何より考えたのは、長く一緒にやってきた社員の時間的猶予です。

こんな最後窓なしオフィスまで付いてきてくれた社員さん。

どう言い出したものかと思いつつ、Yと相談。まずは、さすがに社長の口から伝えて貰う。事業の芽が摘まれた話などを少しづつはしてあったので、皆さん十分に解ってはいました。暗い雰囲気なのはどうしようもないけど。

でYと私はここからです。

事業閉塞日程の決定。カスタマーへのアナウンス、Web, メール、ショップの製作から事業閉塞まで線を引いていって、プランニングを始める。

その間の有料、無料のユーザー施策、関連パートナーとの接続の解除、契約解除、そして、それぞれの施策に応じたCS対応の準備、対応機器メーカー側での告知とCSの線引きの交渉。CPさんへの収束のご連絡と処理など。

結構忙しい。

皆これまで、大会社のサービスでトラブルを封じ込めてきていますから、漏れが無いようなマインドセットで良く事業閉塞準備に当たってくれました。この時期に抜けられたら綺麗な事業の閉塞、終了はとても無理でありました。

YはYで、人事総務経理、株主対応、法人としてのスケジュールを株主と決めて行く。

で、社員さんです。
続きます。

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