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今の気持ちのゴミ捨て場

「いやぁ、色々あって帰国しちゃいましたぁ」
って得意の愛想笑いを振りまきながら職場で再会した(してしまった)方々に報告した。
こんな帰国報告にするつもりは無かったんだけどなあ苦笑
(診断書を提出しに行かないといけなかったのだけど、ひっそり上司とだけ会うつもりだったのに暑すぎて職場に逃げざるを得なかった。)
そもそも、送り出してくれて、マダガスカルにいる間も応援してくれていたにも関わらず帰国報告すら出来ていない人が沢山いる。
ごめんなさい。

長年の夢として追ってきた割には、中途半端な形で終わってしまった協力隊生活。
だからか、たらればが本当に尽きなくて、「私がもっと強かったら、あまり周りのことは気にせずマイペースにやれる人間だったら、マダガスカルでまだ生活できてたのかな」とか、
「もうちょっといたかったな」とか、
本当に無い物ねだりの人間で困る。
あれだけ日本が恋しくなっていたのに。

だがしかし、もう帰国してしまったのが現実で、これからどう生きていくかを考えるしかないのも頭では分かっている。
今はまだ心は追いついていないし、SNS(特に同期)を見るのは辛いしで、自分が情けないなあとたまに思ってしまう。
時間が解決してくれるでしょうか。
してくれ(他力本願)

私の協力隊生活の闇を知らない方に話すとき、
人生で1番濃ゆかったこの1年間を「色々あった」の7文字でまとめてしまう。ヘラヘラ笑いながら。
それが自分を偽ってるようできつくて、まだ人と話そうっていうエネルギーは無い。
だから、実家で隠居生活を送っている。
思い描いていた、会いたかった人に会いまくるという華やかな生活はしていない。なんなら、親知らずのせいで日本食もまともに楽しんでいない。

だけど、この7文字には、人生において何にも変え難い、糧になる経験と時間が含まれている。
言葉通り本当に色んなことがあって、その一つ一つが少なからずこれからの私を強くしてくれるものだと思う。誰もが出来るわけではない経験を、私はすることができた。
任期を全うすることは出来なかったけど、マダガスカルという途上国の田舎で生活したという事実は朽ち果てない。結果的にこの一年で色々と体に犠牲は出てしまったけど来たことに後悔はない。

結果論、マダガスカルに戻るには早すぎた。
体のことを考えれば日本に残った方が正解だったんだろうけど、戻ったのは正しかった。
戻って良かったと思えてるから、私の協力隊生活は幸せなものだったんだろうと思う。

体と心(特に心)は、壊れるのは一瞬でも、治るのには本当に時間がかかる。だからこそ、自分で判断できるうち、体のSOSを自分がちゃんと気付けるうちに体を守る行動を取らないといけないんだろうなという気づきも得ることができた。
数年後、何かに挑戦したいとなったとき、身軽に動ける自分でいるための今回の判断。

だから、いつかは「いやあ色々あった1年でした大変でした〜」
って晴れやかな気持ちで、心からの笑顔で話せるようになりたいし、そういう日が来ると信じている。

まずは自分を癒して、少しずつ元気になるぞ〜、。

ちゃんちゃん

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