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「ミニコミ」という言葉の初出を探す(2016年『アイデア』372号)

ローカル新聞とミニコミ誌の誕生

「ミニコミ」という単語はどのように生まれたのだろうか。もちろん先に「マスコミ」があった。敗戦後の日本がアメリカの占領から解かれたのはサンフランシスコ講和条約が公布された1952年4月28日。それ以前からマスコミは言葉だけ先に輸入され,『世界評論』1950年1月号の座談会「二十世紀思想の性格と展開」で鶴見俊輔が「マス・コミュニケイション」を議題に出し,井口一郎が『マス・コミュニケイション どんなふうに大衆へはたらきかけるか その理論とその実証』(光文社,1951年)を出版したのを先駆けに,戦後の民主主義は「大衆(マス)」が中心の時代であると予測されていた。

1951年9月に初の民間の商業ラジオ放送が,1953年2月にNHKが初の地上波テレビ放送を開始し,戦後日本における「大衆伝達」がいよいよ具体化する。「レジャー」や「消費革命」といった言葉が踊る時代に,マスコミ論は本格化していく。それは大衆操作の技術としてのマスコミに対する危機感の表明でもあった。ラジオとテレビによって「一億白痴化運動」が展開されていると大宅壮一が論じたのは『週刊東京』1957年2月2日号。経済企画庁が「もはや戦後ではない」と宣言した約半年後のことである。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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