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「もういいよ」と「まあだだよ」。おとなになっても揺れている。

シンデレラじゃないけど今日ははじめて

午前零時を過ぎて投稿しています。

誰も読んでくれなくても書いてみます。

いま仕事でこどもたちの俳句のような

短い詩を選ぶ仕事をしていて。

幼稚園生から高校生まで。

わたしがつくった問いかけに子供達が

答えてくれるというそんなスタイルで。

いつも選ばせて頂くたびに。

子供ってなんだろうおとなとの

境目はいつだったんだろうみたいな

不思議な気持ちになる。

じぶんが子供だった時には、こんなの

書けないってものばかりに出会える

こともあって。

それはちょっと得した気持ちになります。

今日も外でこどもたちがマスクしながら

遊んでいた。

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(なんとなく星の王子さまの紙袋と一緒に)

もういいよ、まぁだだよ、って子供たち。

きっと、ずっとまぁだだよって言いたくなって

のばしのばしに、いまいる場所から離れていく。

声がどんどんちいさくなって、目隠ししている

人はふあんになってゆく。

それって、たぶんちいさいころのじぶんの記憶

かもしれないけれど。

もういいよってじぶんは思っても、たぶん大事な

ひとにはもういいよって思ってほしくないん

だろうなとか、思ってみたり。

それは大人になってからのわたしの気持ち。

もういいよ、まぁだだよって。

よくよく考えてみると、いろんなものがつまった、

ことばだと思う。

もういいよって、ほんとうはなにがいいだろうって。

まぁだだよだって、なにがまだなのか。

子供がなにげなく遊んでいる時のむかしからの

遊びの言葉って、すこしだけ遠くてこわい。

そこにはちゃんと待ってくれている人が

いるっていうことの証だから。もういいよのあと、

まぁだだよが、聞こえなくなったとき、突然の雷

みたいにおそろしくなるんだと思う。

かぎかっこの中に住んでいた、ことばたちが、

かぎかっこをはずして、どこかにゆきたくなるとき。

もういいよが、言葉を脱いでそこから離れる。

まぁだだよも、言葉であることをやめて、

ふらっとどこかへと、とびだしてみる。

子供たちは、すぐに飽きるからもうその遊びは

やめにして、ふしぎなステップを踏んで

ふりつけごっこをしていた。

風のまにまに聞こえるのはどこかで誰かが

呼んでいる、だれかの名前だったりして。

夕刻チャイムの鳴るころ、きまって、

いっしゅんさびしいなにかが追いかけて

くるような気がしてしまう。

わぁすごい遅刻した気持ちで書いている

noteです。

読んで頂きましてありがとうございます。

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