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エンドロールが、終わるまで。

もう、好きな人がなくなって7年経つ。

彼は演じることを生業としている人

だった。

愚直にっていったら叱られるかも

しれないけれど。

演じることも人と出会うということにも、

愚直に向き合っているひとだった。

わたしには、到底まねできない彼の

心根のまっすぐさに惹かれていた。

出会いは、大阪のラジオ局だったけれど。

ラジオ局の警備員の方の名前もちゃんと

覚えていて、かならず会話をしていた。

長い間ずっと大部屋俳優だった。

それでも、階段をひとつひとつのぼって

いった人でもあった。

わたしがまだ若かった頃に、彼が

話してくれたことが忘れられない。

エンドロールに名前さえでないような

そんな時間が長く続いて。

それでも、ある日彼はかつての現場の

スタッフの方たちにあの映画に出て

いたでしょうって声をかけられた

らしい。

名前も出てないのに顔も正面は映って

いないのになんでわかったの?

ってたずねたときに。

あの背中の演技は○○さんじゃなきゃ

できませんから。

って言ったらしい。

いつも斬られ役だったバイプレイヤー。

そんな背中の演技をスタッフだった

彼らはずっと覚えていてくれていたと、

わたしにうれしそうに話してくれた。

役者やっていてこんなにうれしいことは

ないよって。

なぜかその話が忘れられない。

あとひとつ演技に関する好きな話がある。

いつだったかのアカデミー賞で受賞

俳優がスピーチしていた。

主演賞も助演賞もほんとうはありえないと。

主演を演じる人間は映画の中でずっと

主演であることはない。

そのワンシーンのなかでは、ふだん名もない

誰かであっても、誰かが必ず主演で、

あるのだと。

そして主演の人間もその時ばかりは

ほかのものたちと同じ助演であると。

その助演するにんげんがいるから、

主演が輝くのだと。

みんなだれかの助演だから、主演賞は

どこにもいないとも言えるねって。

彼のあの背中の演技のはなしと、この

スピーチの助演であるというはなしは、

もしかしたら仕事でも同じかもしれない。

たったひとつの背中だけのシーンでも

覚えてもらえるような、そんな手を

抜くことのない文体を持っていたい。

そして、たとえばキャッチフレーズを

書かせて頂くという仕事においても

わたしは助演でしかない。

オーダーしてもらった方々が主演なの

だと思う。

切実な声に耳を傾けながら、最終的に

たったひとつの言葉にたどり着くために、

いつも誰かを助けられる助演者の言葉を

もっていたい。

そんなスタンスで仕事に取り組んで

いきたいなと思うこの頃です。

どうぞこれからもどうぞよろしく

お願いいたします。










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