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ガラスの心をもっているような気がする時。

ついつい自分の心のことを書いてしまう。

たぶんnoteでもほかの場所でもこころ、

心、ってなんど言ってるかわからない。

あなたの心についてはあまり書いていない

かもしれない。

いつも自分のこころのことばかりで、

時に恥ずかしくなる。

むかし、心が病んでいた時もおびただしい

ぐらいの心を記していた気がする。

好きな詩人の詩の中に。

ガラスという言葉がでてきた。

「座礁船の詩」
ぼくがきみを好きだとしても、きみにそれは
関係がない。割れてしまったガラスは以前よ
り光を反射するから、本当は境界線などなく
してただキラキラとするべきだった。
(『恋人たちはせーので光る』抜粋)


ガラス。

ガラスは砕けるともっと輝くものなのかと

思って。

ガラスの○○で何をあなたはイメージしますか?

と問われたら。

ガラスのグラスでも『硝子の少年』でもなんでも

いいんだけど。

たとえば、

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ガラスの器とか、

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ガラスのしずくとか

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ガラスでできたトンボ玉とか。

わたしはガラスなのにそこに、心と

くっつけてみたくなった。

ガラスの心。

詩を書く人は心って書く時どんな輪郭の

どんな色のどんな要領のものをイメージ

しているんだろうと思ったことがあった。

わたしにとってはガラスは心だと

はずかしげもなく想っていた10代。

いつも粉々になってしまえばいいと

想っていた20代。

そして30代からこっちはこころは

粉々にもならないし、たぶんそのままの

カタチのままわたしの身体のどこかに

あるんだろうと思えるようになった。

そしてこの最果てタヒさんの詩に出会って。

ガラスは砕けると、その断面がきらきらする

ことを思い出す。

ガラスの心をもっていたのって誰だっけ。

そう、ローラだって想いだす。

テネシーウイリアムズの

『ガラスの動物園』

これはテネシー・ウイリアムズの

自伝的小説らしいけど。

ローラは、ガラスでできた動物を愛する

ちょっと内向的な女の子だ。

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ローラは幼い頃の病気が原因で

脚に器具をつけて生活している。

彼女には足に着けている装具がすごい

音をたてているような気がしてそれが

恥ずかしくて学校をやめてしまう。

そして後にローラが好きだった男の子ジムと

再会する場面があった。

ふつうの人は地球上いたるところにうようよしている。きみは、ここにしかいない

君はかけがえがないのだと励ます。

ローラは少し気持ちが揺れる。

瞳の中で恍惚の表情を見せる。

世界を閉ざしていきていたローラに

ひとすじの光がさしこむのは、

愛されてもいいと思える世界がそこに

見えたからかもしれない。

「誇りをもって生きていけばいい」

ジムのことばを受け入れるローラ。

こののち、このままハッピーエンドには

ならないけれど。

わたしは昔この作品を読んだ時にまっすぐ

ローラに感情移入していたのかもしれない

ことを思い出す。

そして我が家もガラスの家族だったなって。

あの戯曲はガラスが砕けたところをじっと

見ていたくなるようなそんな追想劇だった。

この夏もう一度読み返してみたい。

今のわたしが『ガラスの動物園』を読んで

何を思うのかちょっと知ってみたいのだ。

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夏の道 一人歩けば 木洩れ日揺れて
緑葉の 余白がひとつ ひかりと出会う




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