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さびしくならないサラダを探して<第二話>

デパートの屋上にあるこのグリーンショップ<グリーンサム>が、まるで終の棲家のように思ってしまうのは。それは、そこに住んでいる観葉植物の緑たちのせいでもあるけれど。
 血は繋がらないのに親代わりみたいに接してくれたオーナーの斉藤四葉さんのお陰でもある。

 四葉さんは未亡人になってから、海のそばの駅の近くのここ<天神屋デパート>の屋上でグリーンショップを経営していた。このデパートはもともとは横浜の呉服店から独立したと聞いたことがある。とある商人がほんのささやかな貯蓄を元手に始まって後々海軍にも人気があったことを古い社員さんからも聞かされたことがあった。

 うちのデパートの従業員さんは年齢が若干高めだった。

この屋上のフラワーショップは四葉さんのご主人が始めたものだった。

 それは彼女が20歳の半ばごろだったから勤続およそ40年ということになる。
 それはそれで壮大な歴史なのだけど。25歳って聞くとわたしの今の年齢とほぼ同じであることにめちゃくちゃびびる。
 今じぶんがここを切り盛りしてるなんて想像がつかないからだ。
 まして結婚なども。
 甘ちゃんのわたしは働くということさえ自覚がなさすぎる。いつか痛い目をみるぞと自分で自分を脅している毎日だ。

売り手市場という名に甘んじていたわけでもない。就活もそれなりにしていた。でもそれなりだったのかもしれない。そんな時に恋人の透が死んでしまう。両親の死を経験したのは幼い頃だったので悲しみの色をまとったことは忘れてしまったけど。生身が引き裂かれるようないちばん好きだった人の死を体験してわたしはどこかがいつもさびしくて、すこし病んでいた。その期間は2年にも及んだ。

 グリーンショップの店名の<グリーンサム>。その名前には理由があることも四葉さんから聞いた。
 まんまに訳すと「緑色の指」だけど。
 園芸をこよなく愛する人たちのことを敬愛をこめてそう呼ぶらしい。自分の仕事にちゃんと愛すべき名称がついているなんて。ほんとうにすごいとわたしは思う。そこまでの仕事に出会えた四葉さんが羨ましくもある。そしてわたしはそんな仕事に一生出会えるのかと、ちょっと不安に駆られる。

 その店名に託した思いがよく伝わってくるような、観葉植物たちの品ぞろえ。そしてまるでそんな指を四葉さんは携えていた。
 
 観葉植物の鉢やコンテナがたくさん並んでいる。
 赤い如雨露でひとつひとつの花に話しかけながら水をあげる姿は、デパートでもちょっと有名で、お店を後にする時はたとえば「カラジウム、クロトン、ドラセナ、コンシンナ、モンステラ。おやすみ」って挨拶をする。

<屋上の四葉さん>って呼ばれてみんなから愛されていた。

 ゴールドクレストの葉に霧吹きで水をかけているまるく婉曲した背中がみえた。四葉さんは人の気配に鋭い勘を働かせる。

「しおちゃん?」
 レシートの次にバ先の注意事項の紙を無心でちぎっていて名前を呼ばれて少しびくっとして振り返る。
 ねえあたらしいこれって、でっかい親指を立ててから、嬉しそうにわたしに訊ねてくる。
「そういうおとこんひと。まだみつからないの?」
 
 その指はものの見事に緑色に染まっている。
 懸命に土と庭を愛する人たちの敬称、緑色の指を持つ人、グリーンサムそのものだ。ほんとうに緑色に染まった指をわたしはもう何度もみているのにじっとみつめてしまう。

 大学の一年生の時から透と付き合いはじめて、永遠に逢えなくなるまで、ふたりの待ち合わせ場所はここ<グリーン・サム>だった。

 テラコッタのカバーを四葉さんの指示どおりに移動させている透の中腰の姿が見えたこともあった。
 あら、来たのしおちゃんって笑顔で四葉さんが迎えてくれた。おまちかねよ、透ちゃん。
 彼女はわたしに席をすすめながら、「透ちゃんつかっちゃった」って笑う。
「テラコッタのカバーってすごく重いでしょ、素焼きだからね。だからちょっと動かしてもらってたの。バイトの遠藤君いなかったからすごく助かっちゃった」
 ねぇって四葉さんは透に視線をあわせる。透もうれしくてしかたなさそうに「いつでもいうてください」って答えていた。
 
 観葉植物をずっと好きだった透。いつだったか大振りの葉が印象的なモンステラを抱えて、四葉さんの店から自分の部屋まで持って帰ったこともあった。あの大きさはちょっとした事件だったんやでって嬉しそうに言っていた。

 あと、恐竜みたいな名前のフィロデンドロンだとか。
 赤紫のおおきな葉がだらりと揺れていて、自信ありげな風情をしている植物だった。ちょっとその表情が透に似ていたかもしれない。

「もういいんだしばらく。透を亡くしてまだ1年だしね」
 たよりなげな親指をわたしもたててみる。
 四葉さんはスプレーを空中に向けてミスト状の水を放ちながら、しおちゃん、透ちゃんのことでまだ一度も泣いてないでしょって言う。
 
 そういえばあの時も言ってくれた。

「ちゃんと泣かないと、とつぜん壊れちゃうよ、しおちゃん。そのために初七日とかさ、四十九日とか回忌とかがあるのよ。あれはどう考えても生きてる人のためのものだからね、わかってると思うけどそれとちゃんと食べるのよ」
 
 葉の湿り具合を確かめながら、まるでその葉に声を掛けているように四葉さんは呟いていた。

「観葉植物ってさ、部屋の中の空気の汚れとか、もっと言うとみんなの折れてしまいそうな負のエネルギーとかを、ぜんぶ受け止めちゃうところがあるんだって。嘘みたいでしょ?そういう時って、葉の表面が湿っぽくなるのかな?なんかよくわからないけど、すぐにホコリを吸収しやすくなるみたいなのね。これうちのお店だけなのか、海が近いせいなのかわからないけど。あたしはそう感じてるの。」

 観葉植物が人々の負のエネルギーを吸い取るってはじめて聞いた気がした。わたしの今の負のエネルギーを彼らは瞬く間に吸い上げそうだなって思っていたせつな。

 ふいに四葉さんは事務所の冷蔵庫を開いてちいさな丸いラップに包まれたそれを、数秒レンチンしたら。つかつかとそばにやってきてわたしの口にツッコんだ。ちいさなおにぎりだった。のりたまの卵の粒々が舌の中に突然ひろがって、ほどよいしょっぱさだったはずなのに、それはみるみるうちに喉の奥までしょっぱくなるようなそんな味に変わっていった。

 油断すると泣きそうだった。泣きながらご飯を食べたことがある人は生きて行けますという、大好きなドラマのセリフになぞらえると。わたしは泣きながらごはんを食べ損なったので、それは相当な死活問題でもあった。

 四葉さんはあの時おにぎりをツッコまれた状態のわたしをぎゅっと抱きしめた。その時四葉さんもおにぎりの匂いがしていた。わたしは四葉さんの肩に頭をあずけて、口のなかのおにぎりをゆっくりと喉がしょっぱくなるほど咀嚼していた。

 抱きしめてくれながらその時四葉さんが、植物への限りない愛を語ってくれた。わたしの背中を時々ぽんぽんと撫でてくれながら。
 その言葉が今も忘れられない。

「ここを始めた時にね、思ったの。植物をこよなく愛する緑の指を持つ人間としてね一生を捧げたいって。植物って惜しみないでしょ。虫や鳥たちににただ与えるのよ。どこにもあるいてゆくことなく、生まれた場所だけでいきゆくしかない植物は、その成長のゆるやかさにおいて、その偉大さを忘れがちだけれど。ただ命の源を手渡すという行為は、なんだかね大きな掌みたいだなって思ったの。植物はただ植物であって、あの太陽を存分に吸い込む行為も、それはただほかの生き物に手渡すだけで、けっしてじぶんじしんのためではないところがとても、うつくしいじゃない? もっと植物はずるがしこいとか研究が進んでるのは知ってるけど。これはあたしが考えてる植物たちへのラブレターだから、学者さんの話とかはどうでもいいの。
 かっこつけてるんじゃなくてさ、みんな今は傷ついているひとばかりでしょ。無駄に傷つけられて、傷つけて。正しいことだけを求めようとしている。だから、そういうなにか自分の居場所のような存在にしたいと思ったのよここを。世の中にそんな場所が一つぐらいあってもいいじゃないって」

透を亡くしたばかりのわたしには、四葉さんがずっと働いてきたことがその時どこか救いとなっていた。そのことをちゃんと言葉で説明するのは難しい。こうみえても、わたしは働くことに憧れていたのかもしれない。

 わたし自身は働くということに確固たる自覚も何もなかったのに。確かな輪郭をもって仕事する人たちのそばで働くことができたら、わたしは大丈夫なんじゃないかと。そんな気持ちになっていた。おにぎりの味がまだ舌の上に残りながら、四葉さんが働いてきたことへの想いの欠片をわたしも授かりたいと思った。

 その時突然四葉さんが言った。
 しおちゃん、あなたデパ地下とか興味ある?もうこのデパートで働きなさい。それがいいわ。あなたのその頑なな悲しみを消すにはそれしかないわ。

 そして、運よくデパ地下に拾ってもらってわたしはここにいる。

あの日がありありと鮮やかによみがえりながら、今四葉さんをじっとみていた。視線に気が付いたのか四葉さんが話しかけてくれる。
「おばちゃんね、よく透ちゃんの夢見るのよ」
「嘘?」
「あいつはほんまに薄情なんです。俺のために涙の一粒も落としてへんなんて。そんな涙ひとつぶぐらいねぇ、ケチなおんななんですわって」
「うそ? 四葉さんほんと? その夢」
「うそよ。うそうそごめん。透ちゃんってこんな喋り方だったっけ。でも夢を見るのは本当よ。透ちゃんらしき人がでてくるんだもん、あれはまぎれもなく透ちゃんだわ」

 下手な大阪弁で透の真似をしているのを聞いていたら少しだけこみあげてくるものがあったけどわたしは堪えた。

「余計なお世話だろうけど言っちゃうね。泣きたいのをがまんしないで。透ちゃんの為に泣いたら先に進めるようになるんだから。ああ、透ちゃんの為でもあるけど、しおちゃんの為でもあるのよ。ちょっと耳にいれといて」

 わかった、ありがとうって言いながらも、まだぜんぜんわかっていないことに気づきながら、わたしは屋上の出入り口のドアに向かって小走りになる。

 いつか四葉さんには言ってみようか。
 透、いまもわたしと時々一緒に居ますって。
 心の名づけられない場所になんか透はいるような気がする。

 四葉さーんセロテープもらっていい?
 いいよ、勝手に使いな。
 ありがとう。

 なんの意味もないかもしれないけれど。わたしはばらばらの紙片をセロテープでつなぎとめていた。セロテープは引っ張る時のあのピーっていう音の長さで、そのものの長さがわかるようになったのも、妙な奇行の副産物でもあった。

 その時ふいに、ベンチで遅いランチをとっている女の子が目の端に映った。


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