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おじさんの時間、星野道夫さんの時間。

(ソーシャルディスタンスな日々よりずっとむかしの日記より)

目の前に座っていた人が、はらりと新聞の読みかけを置いて、
バスを降りていった。なにげなく、立ったままその人が
残していった新聞の記事を、俯瞰しながらのぞいていたら、
くねくねの赤い線が引いてあった。

あんまり気になるのでそのラインが引いて
あるところを、ちらっとぬすみ見る。

結果が、自分の思惑通りにならなくても、そこで、過ごした時間は
確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく
過ごしてしまったかけがえのないその時間である。

経済でも国際でもなくて文芸欄の言葉だった。
それは、1996年に亡くなられた写真家、星野道夫さんの著書の中の
ことばらしく。


偶然、わたしも星野さんの写真を眺めるのが好きだったので、
そんなバスの座席で、こんな形で邂逅できたことに、驚きながらも
バスの揺れとともに、こころがどこかふわっとなる感じがした。

家にもどってから、本棚で星野道夫さんの作品を探してみる。
雑誌「SWITCH」に掲載されていた
<二つの時間、二つの自然>と副題されたエッセイと写真を
ひさしぶり目にする。
 
高校生の頃、北海道にあこがれていた星野さんが東京で電車に
乗っている時も、北海道にいるクマが、そこで生きていることの
不思議をひしひしと感じたらしく。

すべてのものに同じ時間が流れていること

を、心に深く刻まれた様子が、綴られていた。 
それが人々にとっての<二つの時間>であり、そこに包まれて
いるのは<自然>であると。
 

この文章に触れながら、あのバスの座席の新聞のページを
重ねてみたりした。

アラスカ暮らしの長かった星野道夫さんの思う時間と、
おもわず新聞に赤い線を引いてしまいたくなった
おじさんの時間が、この場所で交差して。

すこしばかりふしぎのむこうを垣間見た気がしていた。

ここは空 オーロラがいま 折りたたまれて
ふたつめの 呼吸を想う 遠くて寒い
(むかしの日記より)

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