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ハマった沼は文字でした。憧れの方に本を作ってもらったあの日。

推しという言葉にほんとうは
まだ馴染んでいない。

わたしがはじめて「推し」という言葉に
触れたのは、芥川賞を受賞された小説
宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』だった。

これを読んだ時わたしは世の中にこんなに
アイドルに心血注いでいる人生の方が
いるのかと、正直リアルさを感じなかった。

それは単に世間知らずだったのだが。
noteにやってきたら、この小説とは
違うけど「推し」の方たくさんいらっ
しゃった。

想えばわたしは推しに燃え上がった
こともほとんどないので
「推し、なし」の人生だったなぁと
思っていたのだが。

唯一これ今でいう「推し」過ぎな体験
というのがひとつだけあった。

わたしはただただファンだった。

見上げていた。

好きだった。

その人の作品に目に触れる度に
世界がちょっと素敵に見えた。

くるりんとしていて、楽し気で。

鬱のわたしでも、ちゃんと受け入れられた。

それは、雑誌でタイポグラフィーを
手掛けられていた方だった。

立花文穂さん。

はじめて目にしたのはこの作品。


『月刊カドカワ』・詩人の三代目魚武濱田成夫さんの
連載の扉のページ。

このタイポグラフィーを眼にした時に

ひとめぼれした。

で、まじまじとみていた。

わたしはジフェチなので(字フェチ)
好きな文字に会うとじっとみてしまう
癖があるのだけれど。

この字の成り立ちは、立花さんが雑誌
などで出会った文字の一部をカッコよく
カッティングしてまた新しい字に生まれ
変わらせているところに、しびれた。

かつてあったもの。

もう読まれてしまったものが、また違う
命を吹き込まれて、あらたな字として
そこにあることが、なんて美しい考え方
なんだってひとり感動していた。

好きな世界をみつけたって思った。



月カド詩人で選ばれた作品のタイトル①



月カド詩人で選ばれたタイトル②



月カド詩人で選ばれたタイトル③


そして立花さん責任編集のもと
プロデュースされたマガジンが
刊行された。

『store』マガジンの表紙。



こちらは『store』マガジンの目次(左)
カレンダー(右)



こちらも同じく『store』の表紙。
なんとワンピが紙でできてる!



そしてこれは東京タイポディレクターズクラブの
ポスター。

そして、いつしかわたしは
無謀な野望を抱いていた。

それはないよ。

それはちょっと夢だよ。

でも、やってみたいだろ?

すごくやってみたいって
夜ごと、自問自答していた。

その頃、やめたりつくったり迷ったり
しながらわたしは短歌を作っていた。

ひとりで楽しむだけで。

今のようなSNSとかもなかったから
じぶんでワープロして、印刷して
ファイリングしていただけのほんとうに
あそびみたいなものだった。

でもいつかは、

そういつかは、短歌集を出してみたいと
思っていた。

そして出すのなら、だれもがまだやって
いない立花文穂さんに一冊をおまかせ
したいと。

そして月日はめちゃくちゃ流れて、

あまり覚えていないけれど。

わたしは破れかぶれになっていた時に
過去をぜんぶそれこそゼロにしてくて
歌をすさまじい速度で詠んでいた。

とあるコンテストのためだった。

そのコンテストは一番になった人にだけ
本が出版されるという、ご褒美が用意
されていた。

そして、神様は時々いたづらをして、
どや? って驚かせてくれるらしく。

こんな冴えないわたしにもその番が
いちどだけまわってきた。

歌集をだしてもええよってことになって
わたしはすぐに立花文穂さんを思い
浮かべて
いた。

表紙のイメージを聞かれたときに
ほんとうは
第一希望は最初から立花文穂さん
だったのだけど。

憧れは、てらいもまじるから。

他の方の名前を言ってみたりして。

ぐずぐずしたりしていた。

でも照れてる場合やないと、あたって
砕けろって思って立花さんじゃなきゃ
本は出なくても、かまいませんと
のたまい。

新人だというのになんという、傲慢
かましたんやと思うけど。

そうやって、立花さんを紹介して
くださった歌人の方などのご尽力を
経て、お目にかかる
ことになった。

その時、ただ情熱だけで立花さんにプレゼン
した。

いつから立花さんのことを知っていて
どこが好きで。

もし一冊を引き受けて頂けるのなら
こんなイメージを抱いていますと、
口下手なわたしが語っていた。

その時のダミー
(こんなふうな本のイメージで
というスタイルを説明するための試作品)
がこちら⇩



これはタイトルのイメージ。


歌は1ページに一首がいいとお願いした。


歌集は、1ページに1首ずつが好ましいと
思っていた。

そしてできるなら一首ずつのイメージを
全ページ展開して頂きたいと。

そして、だめもとでお願いしたいと思って
いたから、だめでもショックは受けない
ように、心の準備をしていた。

そして。

あの神様がわたしのもとにやってきて
くれて、ええですよという返事を頂いた。

わたしは、短歌を198首全作を立花さんに
お渡しして、1年お待ちしていた。

そして出来上がってきたのが以下の
作品群です。

望み通り全ページ立花さんの作品で、
こしらえられていた。

泣きました。

頬ゆがませてアスファルトで眠りたい酔いがほどけてゆくまで


うつ伏せでTを待つ待ちくたびれたなら胎児になってしまうけど


ページを濡らしてしまったよ言葉が闇夜のあわいを泳いでいるよ、ほら



うえすとについているガードルの跡 ぐるぐる朱く線路のように(右)
あらかじめ失われたままの姿で生きてきたのだからいっそ愛して(左)


これは今でもわたしの宝物です。

この時のことは今も信じられない。

今日、俵万智先生のツイートを拝見していた。


やっぱり、第一歌集は神様からの贈り物
だったんだって。

わたしはこの一冊のことをかみしめながら
生きてゆくんだろうなって思います。

これはわたしの人生に訪れた最初で最後の
忘れられない「推し」体験だったかもしれない。

そして立花文穂さんは今も素晴らしい活動を
されています。


今も、立花文穂さんの情報に触れると
あの日のことがすぐに蘇るほどに
わたしは心がきゅんとするのです。

きゅんとかっていうと、やめてください
って仰るような方だから。
ここだけでつぶやきます。

立花文穂さんの世界をずっとわたしは
追いかけてゆくことが幸せです。

その節はほんとうにわがままを聞いて
くださりありがとうございます。

最後にひとつだけ。

あの時、立花文穂さんが仰いました。

ぼくの作品、地味なのに一生懸命頑張って
いたらどこかで見てくれている人はいるん
だなって思って、これまでやってきて
ほんとうに、よかった。

わたしもその言葉を贈ってくださったこと
今もずっと心の宝箱にしまってあります。



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