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不器用な、自分とずっとつきあってる。

不器用だなって思う。

カッターナイフの使い方がどうも
みていて危なっかしいとか、

お箸の持ち方がどことなく変とか
そういうことじゃなくて。

人とひととの付き合い方みたいなもの。

昔短歌を書いていた時、ある編集者の方に
言われた。

あなたはなにか新しいことがあるごとに、
そのことに戸惑いを覚えて、戸惑っている
ことさえ、その想いが表現できないところが
あるでしょう。

それは悪いことじゃないけど。

私生活ではたぶんきっとあなたはずいぶん
損をしている。

そうじゃないって言えなかったり。

じぶんの言いたいことの半分以上も言えない
ままくよくよ悔やんでしてしまうことが
多いんじゃないかな。

それを言い当てられた時、当たっているが
ゆえに傷ついたけど。

信頼している方に言われたこともあって。

とてもほっとした。

むっとしなかった自分に、気づいていた。

そしてこう続けておっしゃった。

でもたぶんあなたは書く時には、その不器用な
ところが活きて来るんだと思う。

だからどんな形でもいいから書いていくと
いいよって。

ある年の夏。

思いがけなく宅急便が届いた。
箱の内側にはぷちぷちに包まれた
とてつもなくこころ浮き立つような
輝きを放つビー玉がめにとびこんでくる。

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とある夏の日、その方のお宅におじゃました時に
リビングにあったビー玉に目をうばわれて
しまった。

その後、お礼の葉書に瞬間で、すきになって
しまったビー玉のことを思わず綴ったら、
どうぞもらってやってくださいと送って
くださったのだ。

潮のにおいのする場所で、いつも彼の家族に
囲まれていたビー玉が、わたしの手元にある
ことがふしぎでうれしかった。

後に彼が、あのビー玉は贔屓にしている
横浜の骨董店でみつけましたとメールを
くださった。

そしてふざけた口調で、あれは
「狼は天使の匂い」っていう映画の中の
ビー玉かもしれませんよと書いてあった。

それはフランス生まれのビー玉のようで。

その映画をまだ見てなかったらいつか見て
くださいって、ひとこと綴られていた。

時折気にしていたのだけれど、70年代の映画
らしくて。

なかなか機会に恵まれなかったのだ。

でも、そのいつかはいつまでたっても訪れなかった
のに。

ついにこのあいだ、ずいぶん時間も経ってから
出会い頭のように、であってしまった。

冒頭のシーン近くで、少年の持っていたたくさんの
ビー玉が、破れた網のすきまからどんどんと
こぼれおちてゆく。

子供同士のすこし残酷な精神と、意地悪な行為。

はじけてしまう階段の上をいたづらにころび
つづけるビー玉がとてもうつくしくて、
目に焼き付いてしまった。

その映画の中で引用されていた

ルイス・キャロルの言葉がいつまでも
残像のように響いてくる。

<いとしき人よ 我々は眠りに就く前にむずかる年老いた子供にすきない>


年老いた子供ということばをじっと見ていた。

わたしもやがて年老いた子供になってゆく。

もう十分年老いた子供かもしれないなって。

あのとき頂いたビー玉は、今もわたしの部屋で
八の字型の瓶の中で眠ってる。

そして。

あの映画には、原作があることをこの間知った。

ミステリーと名のつくものをあまり読んで
こなかった。

彼が、くさらずにまっすぐ書いてゆきなさいと
勧めてくれたあの言葉を最近とくに思い出す
ことが多い。

彼はもう編集者を引退したらしいことを
風の便りに聞いた。

ある時期を境にそれこそわたしの不器用さ
故に

まわりの方にも迷惑をかけてしまって
会うこともなくなってしまったのだけれど。

ふいにこの夏はあの本を読んでみたいと思った。

風の便りって言葉。

想えばその方が好きな言葉だった。

どこか宙に浮かんだような、美しい螺旋を
ガラスの中で放っている、

部屋のすみの本棚の中のビー玉のひかりを
ぼんやりとながめていた。

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 朝の陽が こぼれつづける 階段のうえ
 ビー玉が はるか彼方を 連れて来るから

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