日本教パトリアーキー#1

日本の文化論で、各幕府や政権が、皇室を権力への権威付けに利用してきたっていう観方があり、これは反対だろう。

天皇という、フェミニンなひきこもり中高年パトリアークがいて、これが、政府を母親代わりに使ってる。 魔術を行う天皇の下に、魔術としての芸能・芸術・工芸・文芸界が存在する。

魔術を、西洋言語では ART という。 

日本で発展したテクノロジー主眼の現代の自然科学は、工芸であり、そのばしのぎの問題解決や論評の連発が主眼の人文科学は、文芸である。 サイエンスになっていない。 

政府はいつも、中高年ひきこもりパトリアーキーに尽くす永遠の母親で、ゆえに日本の民主主義は、悪質クレーマーのようになっている。 

だから、日本政府のやっていることはいつも、あっちのクレーマーとこっちのクレーマーの両方の言うことを聞いて、なんとか治めることであり(兄弟間に亀裂が生じないように、必死になる母親のようである)、外交においては、東の陣営とも西の陣営ともなんとなくうまくやることである。

なので、理性が支配する、自由で多様性を認める社会を達成するためには、天皇制と神道に、真っ向から挑んでいかないとダメだということだ。 
 
歴史的に日本の幕府・政府がしているのは、統治ではなく、世話である。 空気読みによる無言の支配の頂点に立つのは、やっぱり天皇である。

日本社会は、敬語システムを使って、言葉を話すだけで統治がなされている。 たったひとり、いつでも尊敬語を使われているのは誰か? 天皇だ。

結局、この人が、日本のパトリアーキーの頂点であり、その配下が、芸能・芸術・工芸・文芸の文化界である。 各種アーティスト、作家、学者たち、批評家である。 これが、日本教パトリアーキーを構成している。

天皇制も皇室も無害ではない。 我々の魂を蝕んでいる。

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