「ゴミ拾い」というギフト

ゴミに関する問題は非常に複雑だ。
自国で生産されたものでないゴミの集積所として使われ、
そのゴミの中から換金できるものを拾うことで生計を立てている人(子ども)のいる国もある。
ゴミ問題を解決するということは
その人たちの職を奪うことだという意見もあるだろう。
しかしそうすることでしか生きていけない状況というのは
本当にそのままにしていていいことだろうか。
そして、道端に捨てられたゴミは
その人たちの生活を支える場所にはたどり着かないという点も
認識しておく必要がある。
他にも議論はいくつもあるが、
今回は「自分のもちものを譲る」ときの具体的なアクションとして
「ゴミ拾い」を紹介したい。

「譲る」のに「拾う」とはどういうことか、
と思った方もいるだろう。
ゴミを拾うということは、自分の時間と労力を
自分と周りの人、自分とは面識のない人、
まだ生まれていない子どもにまで提供するギフトだと私は思う。
プラスチックをはじめとする人工物が
生き物全てに関わる問題である。
誰かが不精して打ち捨てたゴミを
その人に代わって拾う。
その誰かができなかったことを代わりにすることで
環境汚染を遅らせることに少しでも貢献する。
誰からも「ありがとう」とは言われないかもしれないけれど
(むしろ嫌悪の目を向けられることもあるかもしれない)
そんなギフトが増えたら
私たちの生活は好転していくかもしれない。
これを偽善だと思う人も世の中にはいるだろう。
ものごとはどんな角度から見るかによって映る姿が変わる。
自分の考える尺度でギフトを探していくのも
贈与経済だと思う。

ゴミを拾う人のためにわざわざゴミを捨ててやっている
という声を耳にすることもある。
けれど社会において
なくてはならない職やビジネスになる事柄は移り変わっていく。
そして本来ゴミ拾いなどという動作は
人間が自然分解されるものしか使わなければ必要ない。
自然分解されるものだけで生きて行くことはもはや叶わないので
それは非現実的だが、
私たちには「ゴミを拾う」以外にするべきことがもっとたくさんある。
道端に捨てられるゴミが減らなくては
そちらに着手する時間も限られるだろう。
他人の生産性を侵害しているという点でも
ポイ捨ては罪深い所業だと言える。


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