白髪の話

幼いころ、白髪があった。
耳と耳をつなぐように、縦5センチ幅で頭の後ろが白髪だった。
大人たちは「若白髪があってよかったね」といった。将来お金持ちになるよ、と言う人もいた。祖父母が理髪店をしていたから、ずっとバリカンでのスポーツ刈りだった。「短くすると気にならない」といい、友人や周りの人からいじられることもなく、私自身も正直気にしていなかった。
白髪がなくなったのは、大学生になり一人暮らしを始めてからだ。
白髪の原因の一つにストレスがある。
30歳になったいま、白髪だった理由が少しわかった気がする。

私は人の顔色を伺って生きてきた。今もそうかもしれない。
お父さんとお母さんが悲しむこと、叱られることはやめよう。
両親から3歳上の兄についての不満を聞いたら、それと正反対のことをしよう。
学校の先生が怒らないようにしよう。
先輩の言うことは理不尽なことでも絶対聞こう。
とにかく、「怒られない」ために生きていた気がする。
そして、自分の感情をおさえ、「いい子」を演じていた。

例えば友達と食事にいくとき。
「何食べに行こうか」に答えられない。
それは、自分が提案した内容に好意的な反応じゃない場合を恐れている。
「あ、嫌われた」って思ってしまう。
お店でメニューを注文するときも、一番はじめに注文できない。
「それ食べるの?」って思われそうで、怖い。
だからいつも、誰かが注文したものと似ているものか、連続で同じものを注文していたら合わせている。ひとりだけジャンルの違うものは注文しない。
だから居酒屋でみんなが自由に好きなものを注文するときが最もつらい。
それは、先に書いた相手の反応が気になるのもあるが、正直なんでもいいと言う思いもある。自分が嫌いなものを友人が「頼んでいい?」と聞く。みんないいよという。苦手な私が食べなければいいだけと思っている。

私はネガティブ思考だ。いじめられたことはないが、自分には存在価値がないと思っている。
小学校の国語の授業で自分の感じたことを発表したとき、先生が言った。
「変わった視点だね」「なるほど、そういう考え方なんだね」
悪いことではないが、私は「みんなと同じことに気づけない、考えることができない」と捉えた。
それ以降、発表することは減った。ノートに書いた「自分の感じたこと」が発表したクラスメイトと違っていたら、それに書き直していた。そうしていくうちに、自分の考えを隠し、否定し、考えなくなった。

きっと、こういう生活が自分にとってはストレスだったと思う。
課外活動も、電車の時間も、トイレに行くタイミングも、なにもかも人に合わせていた。嫌われないようにしていた。


大学で関西に出て、世界が広がった。
何もかも人に合わせていたクセが、出会った友人が変えてくれた。
時間割を決めるとき、ある友人は「Aの講義を受けたい」、もう一人は「Bが気になる」、私はCに興味があったけど「あ〜その二つで正直迷ってる」。そしたら二人とも「じゃあこの時間はそれぞれ自由に」といった。衝撃だった。田舎はみんないつでも同じだったから。これが大きい出来事だった。

都会の人は自由で、自分を持っていた。かっこよかった。
人に合わせる人生だった私は、初めは怖かったけど「今日はこれから予定がある」とか「○○に行く」と言えたり、誘いを断ることもできるようになった。
自分を犠牲にせず、自由にのびのびとした生活ができるようになった。
それから白髪が減った。

田舎が嫌い、というわけではない。
ただ、都会に出ていなければ、今も自分を殺して生きていたと思う。
それが苦痛だったのかは、わからない。
そういう風に生きて行くと決めて、それに従っていたら楽でもあった。
でも、髪の毛は正直だった。

こう振り返ると、自分の過去がすこしかわいそうに思える。
でも、楽しく過ごしてきた。
いい思い出も、嫌な思い出もある。
幸せと思える日々だった。

自分のDNAを受け継いだ子どもがうまれ、白髪が生えていたら
また考えよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?