仕事⑦〜幸せの再定義〜

長かった仕事編もこれが最終章。2020年4月29日、僕はコーラを飲み、大好きなDaniel Powterを聴きながら台湾でこれを綴っている。台湾へ来て間もなく2年が経過するが、来てよかったと思っている。20代終盤のこのタイミングで自己と向き合う時間を持てたこと、前章のとおり情けない自分にも出会ったが、自分をより知ることができた。それはかけがえのない財産だ。

幸せとは何か。それは「自分がどうあれば幸せなのか」それを知っていることに他ない。人の価値観なんて千差万別だ。その価値観交差点の上を人は皆それぞれ縦横無尽に歩んでいる。まだ信号待ちしている人は今のうちだ。目的地を見つけて歩みをはじめてほしい。

台湾での2年間、僕は「結果」と「従業員の幸福度向上」を大事にしてきた。結果はとても分かりやすい。会社としての利益計画を達成すること。結果として2年連続で計画を達成した。だが1年目は従業員の賞与を削ってのことだ。この1年目の経験は本当に無念だ。従業員に賞与を渡せなかった、その1点においてその1年間は仕事をしていないに等しい。一生懸命やろうが、過程は関係ない。

2年目はその悔しさを胸にどうすれば支給できるのかを考え続け、実行しては修正してを繰り返した日々だった。別に誰かにやれと言われたわけではない。自分で考えて「やる」という結論に至った。義務感ではない。使命感に近い。本来仕事というのはこうあるべきだと思った。そしてCOVID-19の未曾有の危機を受けながらも「結果」と「賞与」の両方を勝ち取れたのは自分にとってのこの2年間が報われた気分だった。

台湾人は労働に対する対価にシビアだ。だからこそ賞与は重要だ。自分の時間を切り売りしてお金に変えている、ということを強く認識している。日本のように新卒一括採用もなければ転職が履歴書の傷になるわけでもない。対価に見合ってないと判断されれば見切りをつけて次へ進むのである。その証拠に台湾に来てからの2年間はほぼ残業をしていない。18時になれば皆が次々帰っていく。たとえ締切前でも時間内に終わらなければ帰る。そして人手が足りないから回らないと会社に主張する。

日本では考えにくいが実際にそうして要求に応える。できないことはできないと言う。仕事に重きを置きすぎない。これは正しい社会だと僕は思う。多くの人が自分の時間・家族・ペットが一番大切だと知っているからだ。夜、街へ繰り出して飲み歩く人も少ない。給与水準は日本の約半分だが、物価は日本と同等。それでも幸福論が明確だ。幸福指数は高い。

一方で日本は本当に幸福指数が低い国だ。労働環境はストレスフルでその鬱憤を晴らすかのように夜は酒を飲み、可愛い洋服やコスメが沢山あって週末は充実した娯楽に興じる。仕事も家族も遊びも何か1つでも充実していないと嘆く。それは当然といえば当然で、求める幸福度が高く、広すぎるのである。幸福論を問うてみても明確な答えを持っている人は少ない。やはり日本人のライフスタイルは仕事中心にあると思う。仕事が充実しているかがキーになる。だからこそ多くの人がもう一度仕事について振り返り、どうあるべきかを考えて欲しいと僕は思っている。

僕がこれまで綴ってきた仕事に関する備忘録。すべてを読んでくれた方には心から感謝だが、僕は別に自分だけ特別、とか頑張ってる、とかそういうことが言いたいわけではない。社会に出れば誰でも似たような経験をしている。良い事も悪い事も含めて。重要なのはどんな経験をしたか、ではない。そこから何を学んだのか、だ。情けない自分に出会って、負けを知って、でもそれで絶対に終わらせない。どんなマイナスの経験をしてもそこから学びを得たならその経験はプラスだと思う。

そしてその学びを通じて生きるための指針を見出す。すでにやっている人には釈迦に説法だが、「自分がどうあれば幸せなのか」を問うてみてほしい。僕にとって労働の対価はお金ではない。経験である。この先も前例の無い環境に飛び込んで莫大な経験を得る予定だ。そして僕は自由でありたい。限りなく自由な時間と空間を求めている。自由を得るためには我慢も痛みも伴う。

潰れかけた会社。理不尽な先輩。去っていった人々。なくなった店舗。取引先。手を差し伸べてくれた常務に三方良しの精神。偶然出会ったそのすべてが過去から今を繋いでいる。そしてここからまた物語は続く。未来へと。

仕事をして、会社に出会い、人に出会った。
挫折をして、それを克服し、人が変わった。
これは僕の人生の1ページ。

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