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私が「英語を話す勇気」を得るまで。

私は内気な人間だった。今もそうかもしれないけれど。内気な日本の少女は例え英語を話したくても、そして頭の中で一人英会話もできたけれど、決して英語を話すことは無かった。英語科の短大の授業中も自分から率先して英語での発言をすることは無かったし、先生にあてられてやっとボツボツと小さな声で英語で返事をするのが精一杯だった。とにかく私は英語を話すことになると殊に内気になり、照れ、どうしてようもなく恥ずかしくなった。

英語を話す勇気は留学してからもしばらく持てずにいた。アメリカまで行って何を照れているのだ?と思われるかもしれなけれど、恥ずかしいものは恥ずかしいのだから仕方がない。アメリカ人家庭にホームステイをしていたので、家の中では勿論英語を使った。運良くとても優しいホストファミリーと過ごすことができたおかげで安心して英語を話せたし、ホストブラザーは様々ないけない言葉を教えてくれた。それでも自分からペラペラと話しかけることまではできずにいた。

語学学校へ通い、その後現地のコミュニティーカレッジ、所謂日本でいうところの短大を卒業したにも関わらず、私はまだ日本人留学生たちとつるみ、授業や買い物以外で特に英語を使う事もなく、相変わらず内気なまま私は「英語を話す勇気って何?」という感じで過ごしていた。そして危うく、私はこのまま英語を照れずに、恥ずかしがらずに話すことが出来ないまま日本に帰るところだった。

コミュニティーカレッジを卒業すると、1年間だけアメリカで仕事ができるビザが与えられた。私は迷うことなくそのビザを取得し、現地の日本食屋で働き始めた。そして、ついにその時はやって来た。

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私が働き始めた日本食レストランは日本人が経営していたが、やってくるお客さんの99%はアメリカ人だった。そして遂に私は英語を話さなければならない状況に陥ったのだ。ここに来るまで長かった・・・。そのレストランは小さかったけれど、とても忙しい店だった。席に案内し、注文を取り、料理を運び、会計をして送り出すまですべて私一人でやった。テイクアウトの注文の電話にも対応した。そして、何より私は全ての接客を英語でしなければならなかった。もう、恥ずかしがっている場合ではなかった。毎日必死だった。しかしどんどん楽しくなり始め、アメリカ人のお客さんに英語を褒められた時には本当に胸がいっぱいになった。そして私はここでようやく、英語を話すことに何の抵抗もなくなったのだ。そう、「英語を話す勇気を得た」のだ。

1度も留学したことも、海外に長期滞在したこともない人たちが英語をペラペラと話している様子を最近YouTubeで見かける。驚愕する。私の場合は、どうしても海外に行って英語を学び、現地の生活や文化に触れ、そして実践で英語を使う、といったプロセスがどうしても必要だった。これは私の性格上、それがベストの方法だったと感じている。

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英語の勉強は私が私に課した一生の課題だ。これからも新しい単語を覚え、忘れ、また覚え、そして忘れる。それでも私は知っている。私には英語を話す勇気があることを。多少の間違いにおびえず、たくさんの人、特に日本人が自由に英会話を楽しんでくれる日がやってくると良いなぁと願っている。

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