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KANEBO 「I HOPE」を考える



「化粧」を取り巻く日本のインサイト

 コロナ禍になって、化粧をしなくなったという知り合いは多い。ニュースのヘッドラインで、「リモートワークで化粧品が売れない」という事実も知った。一方で、どんなに社会の状況が変わろうとも、他人との関わり方が変わろうとも、化粧は欠かさないという人たちの存在もある。

 "女性が化粧することは、身だしなみ(社会的マナー)の一つである"という常識は確かにこの日本の社会に根強く存在し、そのルールに抑圧され、苦しんでいる女性(最近は、女性に限らず男性やさまざまな性の方たちも)が多いことは事実だ。化粧だけではない。女性たちを縛る「べき」は服装やヘアスタイル、仕草や言葉使いまで多岐にわたる。最近では、コルセットのように女性を苦しめてきた"女性は職場でハイヒールを履くべき"という常識概念から解放されようという、#KuToo運動も広がっている。 

 男女平等とは名ばかりで、スニーカーを履いて出社すれば、"諦めた女"か"捨てた女"というレッテルを貼られてしまう"現場"は、私自身数え切れないほど目撃してきた。実際に、自分自身にそのレッテルが貼られたこともある。(今も多分貼られている...)そんな社会で、十数年間社会人をやってきた。

 ただし、こういったルールや社会概念を無視し、ファッションやアート、音楽や絵画、ダンスや華道と同じように、自己表現の一つとして化粧やハイヒールを楽しんでいる女性たちがいることも事実だ。彼女たちのメークは、就活メークやモテる抜け感メークとは違うジャンル。瞼に白いダブルラインを引いてみたり、黄色アイシャドウにブルーのラインで夏らしさを遊んでみたり、本当に楽しくて自由で、自己表現そのものである。(こちらも同様に、今となっては、というかもしかしたらその昔から、女性に限らず男性やさまざまな性の方たちが楽しんでいると思う。)もしかすると、そこまでメークが好きな場合、就活メークやモテる抜け感メークさえも楽しんでいる可能性すらある。

世界の「化粧」ブランドとコミュニケーション

 これは、米国を中心に人気の高いブランド「milk」のインスタタイムライン。(できれば、@milkmakeup で実際に見てもらいたい。)比較しだすと対象物にキリがないので、インスタに絞ってここから先はいくつかのブランドを見ていく。

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 印象的なのは、性別を問わずメークを楽しむその気分や、できる自己表現のサマ、そのものをポストしたり、メーキャップによって表現している中身を発信していること。人種差別的発言と受け取ってもらいたくないのだけれど、ビューティって、やっぱりある程度アピアランスに関わるテーマなので、骨格とか肌の色とか、大なり小なりコミュニケーションのエンゲージメントに関係してくるものだと私は思っている。(例を具体的に挙げると、そもそもこのモデルさんは鼻が高いんだから、鼻の低い自分とメークの仕方が変わるでしょ、とか、そういう物理的な話)

 それなのに、メークによる具体的な表現を一つ一つ見せていくコミュニケーションのやり方だと、たとえ登場する人たちと自分の人種が違っても、「こんな風にメークで遊んじゃうんだ!」とか、「このブランドでメークを楽しんでいる人たちって、実はちゃんと投票にも参加する真面目なところも併せ持つ人たちなんだなあ」とか、共感できるポイントがたくさんある。共感しているうちに、ブランドのファンになっていく。特に象徴的なのは、日本ではブランドが触れることがまだ御法度な政治についても「投票しようぜ、友達も一緒に!」とメッセージしているところ。

 続いて、5ー6年前にニューヨークで大人気となり、今や日本でも知られるようになった「Glossier」。

 スキンケアからスタートしたブランドでもあるからか、純粋に肌の手入れ方法を紹介したり、ちょっとした手入れのヒントなどを「Glossier」のユーザー目線で語っている。そのユーザーが多岐にわたり、画一的でないところがターゲットの心を掴んだのだろう。

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 翻って日本のブランドを見てみる。

 老舗・資生堂の代表ブランド「SHISEIDO」。日本初のブランドだけれど、パッと見た感じ日本人が登場しないのは、やや不思議な感じがする。グローバルブランドだからなのかもしれないけれど、化粧は顔に施すもの。前述のとおり、骨格や肌の色があまりに自分とかけ離れている人たちの姿ばかりを見ても共感ポイントが見つけづらい。

 それを補完する自己表現的メッセージがあるかというと、商品の特徴がわかるポストがいくつかある程度。メークやビューティが好きな人には、情報として伝わりやすいかもしれないが、丁寧にポストをめくっていかないと、タイムラインを眺めているだけでは、なかなか共感しづらいものがある。

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 次に、「SHISEIDO」の競合ブランド、「KANEBO」。

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 この正月にブランドリニューアルして発表されたCMはとても話題になった。(賞も受賞している)個人的には、渡辺真知子さんの「唇よ、熱く君を語れ」が素敵な曲で、なんどもYouTubeで聞いた。そして何より、井手上漠くんが美しくて、CM色のリップをわざわざpop-upに試しに行ってしまったりもした。久しぶりに、心から素敵だと思った化粧品のCMだった。特に、【今こそ、美ではなく希望を語りたい。】というコピーには、日本社会における女性への抑圧、化粧への呪いを解くような強いメッセージを感じてワクワクした。

 しかし・・・つい最近公開された第二弾は、Twitterで大・炎・上していた...せっかくなので、何故炎上してしまったのか、ちょっと考えてみようと思う。

 対象のCMはこれ↓。

 YouTubeサムネイルだと、井手上漠くんがメークを落として鏡を見つめる姿の上に「生きるために、化粧をする。」と文字が乗っているので、彼の言葉なのかなと受け取れるのだけれど、実際にCMを見てみると、鏡を見つめたシーンが終わって暗転した後にこのコピーが出てくる。そのせいで、「KANEBO」というブランドの大きなメッセージとして消費者が受け取ってしまった。それゆえ、化粧によって抑圧されてきた多くの人たちが、「これ以上生きるために化粧し続けるのは無理!」と声を挙げた。

 漠くんのインスタを見てみると、漠くんのファンからのコメントがぎっしり。ファンは映像の一瞬の切り替えも含めて、最後のコピーが漠くんの言葉であると読解しているけれど、それは漠くんの人となり、彼がメークをする理由をよく知っているからだ。(@baaaakuuuuの該当ポストコメント欄より抜粋)

 "メッセージ性と漠ちゃんが素敵で活き活きしてるCMだね✨"
 "とても幸せになりました。 あなたの人生に幸あれ。"
 ”一人ひとりが美しい個性って素敵ですね"

化粧を楽しんでいる人の姿を見たいんだと思う

 コミュニケーションはだいたい8割くらい真意が伝わらないものだと思うのだけど、なかなか誤解を解くチャンスのないCMという機会でそれが起きるのは不幸だなあと思う。【今こそ、美ではなく希望を語りたい。】と言ったのだから、どんな希望を語っている人たちがいるのか、「KANEBO」を愛している人たち自身の言葉で語られるのを見てみたいなと思う。インスタ界隈を見ていると、今やブランドが何かを代表して大きなことを語ることを、消費者は求めていないんだろうなと思う。それよりも、ブランドには大きくドンと構えてもらって、お客さまが自由気ままに好きなことを発信したり、挑戦したりする場を提供することを期待しているのかもしれない。

 「UZU」という日本のブランドは、すでに「化粧」で遊ぶことの楽しさを伝え始めている(↓)。全部のブランドが同じことをしだすと、それはそれでつまらないから、どんな戦い方で次は「KANEBO」がやってくるのか、化粧好きとしてはすごく楽しみである。

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