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瀬尾幸子さん出版記念トークイベントに行ってきた。

瀬尾幸子さんの新しいレシピ本

「暮らしの手帖社」編集部の田島さんから1冊の本を送っていただいた。

それは、料理研究家の瀬尾幸子さんと田島さんとが一緒に作った本。

暮しの手帖別冊 『素材がわかる料理帖 瀬尾幸子の簡単レシピ全114品』

同封してあったメモには
「ぶたやまさんの素材発想に近いのでは・・・」とのメッセージ。

ンマー・・・・(光栄)。

レシピ本というよりは、題名の通り素材をどう使っていくかのノウハウ本のようだ。それだけに自由度が高そうである。

確かに親近感を覚えるお料理が並んでいる。
使っている道具類も、同じものが結構あって、うれしくなってくる。

「いわしの手開きは楽しい。」

「玉子焼きは二つに折るだけ。」

アラー!!
私もそうなんです!!
他にもそんな風に思うところがいくつもあって、どうしよう、とても他人とは思えない。

そうかと思うと
「ゆでた青菜を冷凍保存する際には一切水けをしぼらない。」
などという目からうろこの知識も飛び出してくる。

これは、どう考えても、どうしても、お会いしてみたい。
瀬尾幸子さん。

と思っていたら、意外とすぐにお会いできるチャンスがやってきた。

10/19に二子玉川で行われた出版記念イベントに行ってきたのよ。

「顆粒だしは恥ずかしい」のか。

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二子玉川の蔦屋家電で行われたそれは、瀬尾さん、「暮らしの手帖」澤田編集長、担当編集の田島さんの3人のトークショーだった。

その時のメモから、内容をいくつか書き出してみる。

「四色の色鉛筆から始める(少ない材料から始める)。」

「近所のスーパーで売っているものを使う。」

「料理はスポーツと同じ。やってみなければわからない。」

「煮物の味は鍋の大きさで決まる。」

「(主に冷凍庫の中で)気が乗らないものってたくさんある。」

「料理は腕じゃない、知識だ。」

ね、いいでしょう。素敵でしょう。

これらが「なんとなく」のお話じゃなくて、すべてに根拠があっておっしゃっているのがとても清々しくて腑に落ちる。

こんな内容だから、お話が始まってから、ずっと首がもげるほど頷き続けていたんだけど、最後の昆布を使った湯豆腐の話ではっとなった。

昆布と鰹節。

そうだ。あれを聞いてみよう。
ずっと引っかかっていたこと。瀬尾さんなら答えてくださるかもしれない。

それはこういうことだ。

6月頃に、友達母さん3人とお料理の話になった。
その時、3人とも、昆布も鰹節も家にないと言っていたのだ。
では出汁は何でとるのかというと、すべて、顆粒だしなのである。

この、台所に鰹節も昆布もない、出汁はすべて顆粒だしということを言う時に、3人ともとても恥ずかしそうにした。それがすごく印象に残っていた。

うちには昆布はあるけど、おだし用の鰹節は置いていない。(パックの鰹節はある。)
私だって、お味噌汁は顆粒だしだし、ほかの料理は白だしばかり使うからほぼみんなと一緒だ。

私は、それがその家庭のやりかたであれば、恥ずかしいことではないと思いつつ、もう少し明確な理由が言えたらなと思っていた。

また、すごく言いづらいのだが、私自身、胸の奥のほうに、顆粒だしを使うことの罪悪感や恥ずかしさがないわけではないのだ。
家に昆布があること、それだけでみんなより勝った気分になっていなかっただろうか。

質疑応答の時間になった。

私は、瀬尾さんに、
「すべての出汁が顆粒だしなのは、恥ずかしいことでしょうか?」と聞いてみた。

そしたら、瀬尾さんは間髪入れずに答えた。

「なにも恥ずかしいことはありません」

ここまでは予想できた。
この後が素晴らしかったのだ。

「鰹節はすぐに劣化してしまう。三日経ったら猫だって食べません。パックだしの方が顆粒だしよりえらいと思っている人がいますが、あれだって粉末の鰹節が入っている。」

「だから、普段頻繁に鰹出汁をとるご家庭でなければ、顆粒だしでいいんです。」

そうだ・・・。そうだよね。
うちにだし用の鰹節がないのだってそういう理由じゃん。

すべての判断材料はそろっていたのに、「むしろ顆粒出しのほうがいい」というところまではたどり着けていなかった。

目が覚めた気がした。
謎解きをされているみたいで、思わず私は震えてしまった。

ごはん作りの上で、私は自分がとても効率的に動けているとは思ってはないけど、なにか確実に乗り越えて来ているものがある。
私がやっている何気ない1つ1つにちゃんと理由がある。
それを解き明かしたくなった。

目指したいのはここだなとはっきりと思った。
目標が、できた。

私は、瀬尾さんみたいな料理研究家になりたい。


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