スティーブジョブズの伝説のスピーチ

僕が初めてスティーブジョブズのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチに触れたのは大学一年秋の必修の英語の授業ででした。自分自身お世辞にも真面目な大学生とは言えず、ましてや英語なんて中学でも高校でもやったし、何をいまさら、、と思って単位を取るためにしか受けていなかった授業でしたが、このスピーチとの出会いは鮮明に覚えており、このスピーチから自分の人生に少なからず影響をもらっています。

そんな”伝説”と呼ばれるスピーチを本日はご紹介しましょう。

全文、及び動画は下記スタンフォード大学のHP内でも紹介されていますので、まだ見たことない、聞いたことない人はぜひ覗いてみてください。https://news.stanford.edu/2005/06/14/jobs-061505/

このスピーチは2005年6月12日に行われたものですが講演の約2年前の2003年8月にジョブズはすい臓の摘出手術を受けています。そして、この講演の4年後には肝臓の移植を受け、2011年10月5日に亡くなっています。この講演は亡くなる約6年前のものです。

伝説のスピーチの構成

このスピーチはスタンフォード大学の卒業式で行われたもので、いわば卒業生に対する祝辞です。

スピーチは前文と下記の三つのストーリーで構成されています。

①connceting the dots(点と点をつなげる)

②love and lose(愛と喪失)

③death (死について)

3つのストーリーを通じてジョブズは彼の人生について語っており、未来に夢あふれるスタンフォードの卒業生に対してまさに”人生論”を贈ったのでした。

今回はこの3つのストーリーに関して、ジョブズの言ったこと、またスピーチ内では語られなかった背景も含めてご紹介できればと思います。

一つ目のストーリー ”Connecting dots"(点と点をつなげる)

ジョブズは一代で世界トップの企業アップルを築き上げた伝説の男で、だれもがエリートな人生を歩んできたと思いがちですが、彼はスタンフォードのような名門大学ではない、リード大学に入学しており、しかも卒業はせず中退しています。ジョブズはその経緯をジョブズ自身の生前からさかのぼって話し始めます。

unexpected boy として誕生し、大学入学まで。

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. 
それは私が生まれる前から始まっていた。私の生物学的母親は、若く未婚の大学院生で、彼女は私を養子に出すことを決めていました。彼女は私が大学卒の夫婦のもとに養子縁組されることを強く希望しており、すべては、私が生まれた際に弁護士夫婦のもとに養子に出されるようにセットされていました。しかし、私が生まれた際、最後の最後になってその弁護士夫婦は女の子が欲しかったと言い出しました。

ジョブズは1955年2月24日にシリア人大学院生のアブドゥルファターとアメリカ人大学院生ジョアンの間で生まれました。しかし、ジョアンの父親がシリア人との結婚を認めなかったため、ジョブズは生まれる前から養子に出されることが決定していたのでした。実母はジョブズが大学卒の夫婦のもとで育てられることを強く希望していて、弁護士夫婦のもとに養子縁組される手はずも整っていたにも関わらず、最後の最後になって「実は女の子が良かった」とその養子縁組は破談となっています。

ジョブズの人生は生まれる前、そして生まれたすぐと、すでに2回も”捨てられる”ところから始まっているのです。

So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: “We have an unexpected baby boy; do you want him?” They said: “Of course.” 
そこで、養子縁組を希望するリストにいた私の育ての親が真夜中に電話をもらい、「貰い手のいない男の子がいますが、引き取られますか?」と尋ねられました。私の育ての親は、「もちろんです。」と答えました。

ここでの文章で自分なりに、日本との文化の差を感じるところが2つあるのですが、

1つ目が、ジョブズが育ての親を単純に”my parents”と表現していること。自分が和訳した文章でもそうですが、日本語の表現だと生物学的な親のことを”実母”と表現し、養子先の親のことを”育ての親”等と表現しますね。一方ジョブズの表現は、実母のことを”biological mother"、そして育ての親のことを単純に”my parents"と表現しています。

これは日本とアメリカでの養子縁組が一般的かどうかの違いで、

日本で”親”というものを表現する際は、そこに必要条件的に”血のつながり”=”biologicalなつながり”が内包されているのが一般的な感覚です。だからこそ、養子先の場合は、あえて”育ての”親という付帯条件を追加しています。

一方アメリカでは養子縁組は日本と比較するとより一般的であり、年間12万組の養子縁組が成立しています。そういった背景を基にすると、米国では、育ての親こそが"parents"であり、血のつながった母親は、あくまで”biological mother"となるわけです。

2つ目の部分は、unexpected baby boyという表現で、これを直訳すると”期待されていなかった男の子の赤ちゃん”ということになり、かなり日本語だと表現することに抵抗感のある語感です。

これも、先述の通り、日米での家族の在り方、妊娠/出産に対する文化的な背景の違いからくるものでしょう。

スピーチの内容とは少し脱線しましたが、こういった言葉の微妙な表現の違いから、国や民族の文化的背景の違いを知れるのは面白いですよね。


話をスピーチに戻します。

My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.
私の生物学的母親は後になって、私の母親(育ての)が大学を卒業していないこと、父親(育ての)に至っては、高校すら卒業していないことを知ります。私の生みの母親は、養子縁組の最終書類にサインすることを拒みましたが、数か月後、私の育ての両親が、私が将来大学に行くことを確約したために態度を軟化させました。

あのアップルを作ったスティーブジョブズの育ての親は、母親は高卒、父親に至っては中卒だったわけです。

また最後の一文のShe only relented a few months laterという部分の表現でrelentという語は”(怒り・興奮などが少しやわらいで)穏やかな気持ちになる”といった意味なのですが、only relented ということは、生みの親であるジョアンは最後まで完璧には納得していない状態だったことがうかがえますね。

「だったら自分で育てろよ!」と突っ込みも入れたくもなりますが、

そうもいかないのが当時のジョアンの状況であり、またアメリカでの感覚なのかもしれません。

And 17 years later I did go to college.
そして17年後、私はついに(本当に/実際に)大学へ進学したのです。

ここの英文では、didという強調する表現がはいっています。これは、波乱万丈の人生の幕開けでしたが、「育ての親は、生みの親に対する”約束”を本当に守ってくれたのです。」という文脈をこのdidから感じます。

But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents’ savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn’t see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life.
しかし私は早計にもスタンフォード大学並みに高額の大学を選んでしまい、私の労働階級の両親の財産はすべて大学の学費に消えていってしまいました。入学から6か月後、私は大学に通うことに価値を見出せませんでした。自分はこれからの人生で何をしたいかが分からなかったし、大学が私にそれを見つけられるようにしてくれるかもわかりませんでした。そうやって私は両親が一生かけてためてくれた全財産を大学で使い切ろうとしていたのです。

正直この部分は身につまされる思いで、自分自身大学時代、特に1年生、2年生の時は目的意識も持たず、ただ何となく”卒業をすればいいや”という思いで授業を受けていました。

大学を辞めるという決断

So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. 
そこで私は大学を辞めることを決め、そしてこれでいいんだと自分に言い聞かせました。当時私はとても怖かったですが、後になって振り返ってみるとこれまで私が下してきた決断の中で最も良いものの一つでした。

これ、ありますよね。決断ってする前は怖かったり、した直後は不安に苛まれるのですが、大抵のことは後から振り返るとあの時決断してよかったと。

The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn’t interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.(中略) And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. 
大学を辞めた瞬間から、私は興味のない授業に出る必要がなくなり、そして自分にとって興味深く感じられる授業に潜りで参加することができました。(中略)そして、自分の直感と関心に従って行ったほとんどのことが、のちになってかけがえのないものとなりました。

これもすごく共感する部分なのですが自分は、大学3年生後半から一年間アメリカに交換留学をしたのですが、(偶然ですが、ジョブズが中退したリード大学近くのポートランドの大学です。)留学から帰国後、ほぼ単位を取り終えた後の一年間は、大学院のスポーツの授業を潜りで聞いていたり、文学部の映画史の授業に潜り込んだりしていました。それらがジョブズと同じように”仕事”でかけがえのないものになっているかというと現時点ではそうではないのですが、自分にとってスポーツや映画は”趣味”としてとても大切なものなので、当時の授業はとても刺激的でした。

ちなみに、動詞stumbleという語は、つまづく、よろめく、偶然に出会うという意味があります。ここらへんの表現がまさにジョブズがこの章で言いたいことのエッセンスで、興味や直感に従う行動というのは、その背景や動機に問わず良いことである/良いものになる(たとえそれが躓いた結果であったものでも)という思想を表していると思います。

なぜMacのフォントは美しいのか

Let me give you one example:
一つ例を紹介させてください。
Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. (中略)I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can’t capture, and I found it fascinating.
当時リード大学はアメリカでもおそらく一番のカリグラフィーの授業をしていました。(中略)私は、カリグラフィーの授業をとってカリグラフィーのやり方を学ぼうと意を決しました。セリフとサンセリフのフォントについて、異なる文字と文字の間のスペースの変化について、そして、何がタイポグラフィを素晴らしくするかについて学びました。それは、美しく、歴史があり、化学では捉えられない美的な繊細さがあり、私はそれの虜になっていました。

ほんとにジョブズはカリグラフィが好きなんだなっていうのが分かる文章ですね。人が、自分が好きなこと、愛情を注いでいるものについて語る姿はいつだって美しいし、わくわくさせる力があります。

None of this had even a hope of any practical application in my life. 

この文章、めっちゃかっこいい。。直訳すると、

これのどれも私の人生で実用的なアプリケーションとなる希望さえ持っていませんでした。

ですね。意訳するならば、「これのどれもが私の人生で役に立つようになるとは思いませんでした。」といった感じでしょうか。

But 10 years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts.
ですが、10年後、マッキントッシュを開発しているときに、その時学んだすべてが戻ってきたのです。そしてそれらをすべてMacに注ぎ込みました。そうしてマックは美しいタイポグラフィーを持つ最初のコンピューターとなりました。もし私がカリグラフィーの授業に戻ることがなかったら、Macは多彩なフォントや文字間の調整が取れたフォントを持つこともなかったでしょう。

この部分と、これに続く文章がジョブズのスピーチ/プレゼンのうまさの真骨頂といった感じで、まさに伏線回収です。

 And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. 
そして、ウィンドウズはマックのぱくりですから、(もし私がカリグラフィーの授業に潜っていなかったら、)美しいフォントや文字間の調整が取れたフォンを持つPCは存在しなかったでしょう。もし私が、中退していなければ、私がカリグラフィーの授業にもぐることもなかったですし、PCが美しいフォントを持つこともなかったというわけです。

この部分、ぜひ動画でも見てみてほしい。スタンフォード大学はカリフォルニアにある大学で、当然生徒たちもMac派が多いですから、このウィンドウズを揶揄するところで歓声が上がります。(笑)

振り返って初めて点と点が線になる

Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backward 10 years later.
もちろん、私が大学にいた時は、先を見越して点と点をつなげることは不可能でした。でも10年後、振り返ってみると、明らかに点と点は結ばれていたのです。
Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.
もう一度言いますが、先を見越して点と点をつなげることはできません。振り返ったときにのみできるのです。ですので、点と点が将来必ずつながるということを信じなければなりません。何かを信じてくださいー根性や、運命、人生、カルマ、何でもいいのです。この方法は私を常に鼓舞し、人とは違う人生を作ってきました。

この部分が一つ目のストーリーの最後の文章です。

人生は伏線回収。

最後の部分はジョブズの文章がとても美しいので、文章自体への解説はいらないと思うのですが、

ここで下記の2点を考えたいです。

・点とは何か。どんな点を持つべきか。どうやって点を持つか。

・何かを信じてくださいー何を信じればいいのか。

点とは経験。人がやらないことにチャレンジしよう。

ジョブズのいう点とは、端的に”経験”ということだと思います。ただ、一口に経験といっても、熱量もなく、人と同じことをやってもその点は自分にとって将来振り返ったときに認識可能な点にはならないかもしれません。

ジョブズの場合は、情熱と愛情をもってカリグラフィーを学び、のちのIT業界ではそのような”点”を持った人がいなかったからこそ、世界初の美しいフォントをもつコンピューター”Mac"を生み出すことができたのです。

外部の意見や、周りがやっているから、、という同調圧力でなく、自分自身の興味と関心が赴くまま情熱に従って取りくんだ”経験”こそ、将来”線”になりうる”点”になるのです。

信じるものは強い。信仰こそ力。

ただ、大人になればなるほど、

「こんなことやって意味あるのか?将来役に立つのか?」

というマインドになって、いろんなことに消極的になってきてしまう気がします。

そこでジョブズはこういいます。

何かを信じてくださいー根性や、運命、人生、カルマ、何でもいいのです。

日本人は”信じる”ということ、”信仰”という概念に非常に鈍感というか、不信感を持つ人が多いと思います。それは、もともとの宗教的背景だったり、第二次世界大戦での行き過ぎた信仰、1980年代~90年代で大問題となったカルト的新興宗教などが背景としてあると思います。

マーティンスコセッシ監督の映画「沈黙ーサイレンスー」でも描かれていますが、日本人と欧米人(クリスチャン)とでは”信仰”に対する概念の違いがあると思います。この映画の話はまた別のnoteでかければよいですが、端的に自分の感想としては、日本人は目的(救済)のために手段としての”信仰”を行い、欧米人(クリスチャン)は、”信仰”の中にこそ救済があるというような違いを感じました。(ここはいろんな意見がありそうです。)

手段としての信仰ではなく、信仰自体に意味を見出した時、それは大きな力となることがこの映画でも描かれていましたし、僕も留学や様々な場面でそれを実感したことがあります。

確かに人類は、盲目的な信仰により愚かな過ちを繰り返してきましたが、そのパワーの行きつく先が”悪”でなければ、あるいは信仰にしなやかさがあれば、その力は偉大です。(この部分は書きながらもまとまっていないので、また整理しながらアウトプットしたいです。)

いずれにせよ、ジョブズは何かを信じることによって、

・その信仰のパワーによって、情熱的に点を作れるし、

・その信仰のパワーによって、将来その点を線につなげることができる

と言っているのだと思います。

僕の場合は、このジョブズのスピーチ自体を信じて点を作っていこうと思っていますし、自らを信じることによって、その点を将来線にできればと思っています。


スピーチではさらに2つのストーリーをジョブズは紹介していますが、少し長くなりましたので、今回はこのへんにしておきます。また機会があれば、2つ目、3つ目のストーリーについてもnote書こうと思います。

それでは。

人生で起きることすべて無駄なことなどない。もし振り返って線にすることができるならば。線にするためにとびきりの点をたくさん作ろう。自分自身を信じて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?