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SNSの使い方を変えた1年でわかったこと。

もうすぐ2019年も終わります。

あっという間。早いですね。


今年はSNSの使い方を大きく変えました。

SNSの使い方を変えると、人生もけっこう変わります。


で、感じたことを取り留めなく綴ってみる。

いつものようにnoteは自分自身のために書いている。

まさに自分のノートだ。

ただ、もし誰かの役に立つならそれは副産物として良いこと。

ご興味ある方は、読み進めて見てください。


なお、SNSの使い方なんて人それぞれであり、正解などありません。

押し付けるものでもなく、共感を求めているわけでもありません。

それぞれのスタンスで、その人の人生に有効な活用をすれば良いと思います。


では始めます。


具体的には、Facebookの機能(役割)を変えた。

これまでは、友人とのコミュニケーションツール

ある意味では絆を創出するためのツールだった。

だから公的なものもあれば私的なものもあった。

大好きなパンケーキや麻婆豆腐の画像を公開することもあった。

深沢先生のビジネスが好調である様、

深沢先生の人間的なところ、

深沢先生のチャーミングな一面、(←自分で言う)

そういったものを見てもらうことで関係性を構築、あるいは維持する装置。

それがFacebookの機能(役割)だった。


しかし、今年からそれを変えた。


Facebookは私にとって、公的なお知らせツールとなる。

あくまで発信者は「ビジネス数学教育家」であり、

公人としてのお知らせを一方的にすることを機能とした。

だから「いいね」をもらうことを目的にしていない。

読んでもらうことを前提にしていない。(この記事もそう)

楽しい投稿はない。

チャーミングさはゼロ。

実際、今年は「いいね」が(それはそれは)劇的に減った。


なぜ私は変えたのか。


目的が分からなくなっていたからです。

気づけばなんとなくSNSを使っている。

惰性で見ている。

移動中、なんとなくSNSの画面を開いてしまう。

とりあえず誰かの投稿を眺めてしまう。

でもよく考えると、それらの情報は「私の人生」ではない。

大変失礼ながら、私の人生におそらく関係ないであろう「誰かの人生」の一部だ。

それを惰性で、なんとなく見ることが、

果たして自分の人生においてどれほど有効なのだろうか。

もしかしたら、超スーパーウルトラ無駄な時間を過ごしているのではないだろうか。


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もしこの文章を読んでいる人がいたら、きっと思うでしょう。

「めんどくせー奴やな」と(笑)。

確かに、こんなめんどくさいことを考える必要はないのかもしれない。

でも性格ですね。

私はこういう考え方が染みついているようです(汗)。


あらためて、考えてみる必要性を感じました。

「それを使う目的はなんだ?」

ビジネスも同じですね。

数字を使う目的はなんだ?

その会議の目的はなんだ?

新規事業を始める目的はなんだ?

会社のTwitter運用を始める目的はなんだ?

・・・・・・・・・・・


こういうことをしっかり言語化し、

その目的からブレないで仕事をする人が成果を出す。

これに反論する人はおそらくいないでしょう。


個人のSNS利用も同じではないかと思うのです。

「それを使う目的はなんだ?」

これに明確に答えられないのに、

なんとなく使っている人がほとんどではないだろうか。

それって、ちょっと性格の悪い考え方かもしれませんが、

誰かのビジネスが潤うことに利用されているだけとも言える。


利用しているのではなく、利用されている (゚д゚lll)



「人生それでいいの?」と思うのは私だけだろうか。


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今年から、Facebookは公的な単なるお知らせツールとなった。

軸足はTwitterに移したが、こちらも事実上お知らせツールだ。

あくまで一方的な情報提供であり、

Twitterでコミュニケーションを密に図るつもりはまったくない。

まさに単なる「つぶやき」あるいは「ひとりごと」である。


さて、お知らせツールにしたことで減ったことがある。

コミュニケーションだ。

当たり前だ。

でも、そのコミュニケーションが減ったことで、

私は自分の活動のことを深く考える時間ができた。


ビジネス数学アカデミアの開校を決定できた。

昨年までは0だったビジネス数学インストラクターを、

今年は4名輩出できた。

YouTubeで動画による情報発信もチャレンジできた。

こうしてnoteに思うことを綴る時間ができた。

自分の人生にあまり関係ないと思われる人の人生を見る時間よりも、

自分が救うべき人のことを考える時間が増えた。

人それぞではあるけれど、私はこちらの方が健全だなと思った。


こんなこともあった。


今年は「深沢真太郎ファンミーティング」を開催しました。

なぜファンミーティングだったのか。

本当に私の活動を理解して応援してくれる方とだけ、

これからは繋がっていればいいと思ったからだ。

これが出版記念パーティなどとしてしまうと、

私の活動(本業)のことをきちんと理解していないくせに、

損得勘定だけで来る「友人もどき」や「人脈クレクレ星人」ばかりが集まる。

深沢を応援する人ではなく、深沢を利用する人。

私は「利用されること」は嫌いみたいです。

だから「ファンミーティング」にしました。

案の定、気持ち良い人たちばかりで楽しい時間でした。


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人それぞれではあるけれど、私はこちらの方が健全だなと。

これは1ヶ月や2ヶ月変えただけでは分からないことだと思う。

1年間そうしてきて、はっきりわかったことだ。


SNSの使い方を変えて、

私の人生に他人の人生が入り込むことが減った。

それはすなわち、「いいね」が減ることも意味する。

なんだか、少しだけ身軽になったような気がする。


それに耐えられない人もいるでしょう。

「いいね」が減ることに耐えられない人。

人間は承認欲求のカタマリだ。

それはそれでいいと思う。



ただ、1つだけはっきり言えることがある。

SNSは完全に人々の人生の一部になった。

だからこそ、SNSに対するスタンスや使い方は、

その人の人生が何色になるかを決める大きな要素になる。

あなたの人生の成果に直結する。

SNSの使い方を変えると、人生が変わる。

これは紛れもない事実です。


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もうすぐ年末。

年賀状の準備を始める人も多いでしょう。

今回の話は、「年賀状」に近い話だなと思う。


惰性で出し続けている人、とても多いよね。

私のもとにも、

「これ誰?」「絶対にお仕事することはないだろうな」

と思われる方から毎年のように年賀状が届く。

その葉書には、私にはおそらく今後も関係ないその人の人生が描かれている。

それを見ること(見せられること)にどんな意味があるのでしょうか。

いったい年賀状を送る目的は?

おそらく思考停止していて、惰性で送ってくるのでしょうね。

送るのをやめればいいのに。

でもやめられないのかな。


私は今年から年賀状は事実上、やめました。

でも、昨年となんら変わることのない1年を過ごせています。

いや、むしろ充実していた。

年賀状を送らないと関係が途絶えるような相手なら、

それは人生に不要な関係です。

年賀状を送らないと仕事を発注してもらえないような相手なら、

それは単にあなたの力不足なだけです。


「いいね」がないと関係が途絶えるような相手なら、

それは人生に不要な関係です。



2019年という1年間。

あることを劇的に変えたことで、わかったことがありました。


私はSNSを利用しているのではなく、利用されていたということ。
不要な関係を維持することは、その人の走るスピードを鈍らせること。
SNSの使い方を変えると、人生もけっこう変わるということ。


人生も後半戦。

残された時間は、多くありません。

身軽になって、走る速度は上がります。

死ぬまでに少しでも私が理想とする世の中に近づくよう、

2020年も同じスタンスで走ります。


もし最後までお読みいただいた方がいたら、

駄文にお付き合いいただきありがとうございました。


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実際はチャーミングな人なのよ♡



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最後までお読みいただきありがとうございました。
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ビジネスパーソンのための数学教育を提唱し、企業人の育成に貢献しております。
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