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「数学的に考える」とはどういうことか

数学とは自由である。誰だか忘れたが、有名な数学者がそう言っていたように記憶している。ゆえに数学的に考えるという行為もまた、自由でしょう。この考え方がこの記事の根本となる。



数学的に考えるとは?

数学的に考える。

このテーマも人によって実に様々な解釈があるようです。100人いれば100通りの「数学的に考える」があります。そのどれも間違ってはいない。その人が正しいと思えばそれが正解である。

微分積分の話が数学的思考と思っている人もいるし、難解な計算問題を特く行為を数学的思考と思っている人もいるし、数学的に考えるとはいわゆる論理思考と同義だと思っている人もいる。まさに、自由である。

私にも「数学的に考える」の定義があり、それはすでに体系立てて世の中に発表している。ビジネス人やトップアスリートの育成研修、学校の特別授業などでも活用している内容だ。興味ある方はぜひ参考にしてください。

数学的思考トレーニング 問題解決力が飛躍的にアップする48問

さて、この記事ではほんの少しだけ私の「数学的に考える」について紹介することにします。ビジネスに役立つ思考法、ビジネススキル、頭がよくなりたい、問題解決、そんなところに興味がある方はお役に立てるかもしれません。ほんの少しのエッセンスだけですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。興味を持っていただいた方は、ぜひ書籍で体系立てて学んでください(笑)。


フィルター

物事を考えるにあたり、フィルターがとても大切だと思います。赤い色をしたフィルターを通して眺めた世の中は、すべてが赤い色に見えます。イマイチ信用できない相手の話を信じれないのは「疑う」というフィルターを通してその人の話を聞いているからです。しかしこれはとてもシンプルな本質も教えてくれます。

フィルターを変えれば、すべてが変わる

赤い色をしたフィルターを黄色に変えれば、それを通して眺めた世の中は、すべてが赤い色から黄色に変わります。当たり前です。そう、この当たり前のことがとても大切です。私たちは無意識にフィルターを通して物事を眺めたり考えたりしている。無意識に。そうは思いませんか。

考える。

私はこの基本動作においてもフィルターが存在すると思っています。「Aを通して考えるという行為をする」のAにあたるものです。あなたのAはいったいなんでしょうか。そんなこと考えたこともないかもしれません。それほど私たちは自然に、無意識に、考えるという行為をしています。(正確に言えば、考えているフリであることがほとんどですが)

私にとってのAが数学です。

中学校・高校・大学・大学院。数学は私に理工系の知識ではなく考えるフィルターを授けてくれました。他の教科はほとんど勉強していません。国語や世界史の時間もこっそり数学をしていました。自慢ではありませんが音楽と美術は壊滅的。とにかく私は数学に育てられた人間です。

数学というフィルターを通して考える

これが私の申し上げる「数学的に考える」です。

ところで、このフィルターという考え方をもう少し具体的にしましょう。先ほど私は「Aを通して考えるという行為をする」と表現しましたが、正確には「Aを通してBを考えるという行為をする」となるでしょう。しかしもしこのAとBが同じだったら、どのようなことになるでしょうか。

「Aを通してAを考えるという行為をする」

つまり「数学を通して数学を考えるという行為をする」となります。私は思うのです。これは「数学的に考える」というよりは、「ただ数学をしているだけ」ではないのかなと。微分積分の計算をする。数列の公式を理解する。大学数学でイプシロンデルタ論法を学ぶ。代数学で群・環・体という数の世界を知る。。。。これら全て、シンプルに数学をしているに過ぎません。私が世の中にもっと広めたいのは、次のような思考法です。

「数学を通してBを考えるという行為をする」
(ただしBは数学ではない)

数学でないものを、数学のフィルターを通す。これはひとことで言うなら、「外へ出る」ということです。


「数学の世界」の外へ出る

上述のBは世の中に無限に存在します。例えば食事。睡眠。恋愛。人のスキル。そしてビジネス。これらは数学という抽象の世界から外にあるものだと思っています。よく子供が教師に「数学なんて勉強してなんの役に立つの?」と質問しますが、それはある意味で当然のことでしょう。いくら抽象の世界で数学を語っても、現実の世界とはリンクしません。数学を数学の世界で楽しむのもアリですが、それでは文字通り世界が広がりません。私の価値観として、生きている以上は世界は広がった方がいい。そう思っています。だから数学を勉強した人や、「数学なんて勉強してなんの役に立つの?」と思っている人は、「数学の世界」の外へ出て欲しいなと思うのです。


Aを通してAを考える

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Aを通してBを考える (Aをフィルターにして世の中のすべてを眺める)

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私はビジネス数学を指導できるインストラクターの育成もしています。

彼らにはもちろん、他の場でも公言していることがあります。

「数学への愛をいったん捨てなさい」

という言葉です。数学を勉強してきた人、数学が好きで好きでたまらない人には意味がわからないと思います。何を言うのだと憤る人もいるかもしれません。これはわかる人にはすぐにわかるし、わからない人には一生わからない話です。

数学への愛を捨てられない人は、「数学の世界」の外へ出ることが難しいのです。数学への愛が強すぎて、そこがあまりに心地良すぎて、数学を使って数学を眺めることがたまらなく美しすぎて、どうしてもベクトルが内向きになります。世界が広がらないのです。せっかくお勉強してきた優秀な人なのに、とてももったいないことだなと思います。

一方、数学への愛を捨てられる人は、数学を「ツール」として使う発想が持てます。もっと世の中には大切なことがたくさんあり、それらを考えることが人生の豊さに直結することを知っています。このような人は、数学をフィルターだと思うことができます。そのフィルターを通じて、世の中を眺めようとします。ベクトルが外に向きます。外に向く人は世界が広がります。私はこういう人が増えることが重要だと思うのです。


◯◯を数学的に説明せよ

上述したビジネス数学インストラクターたちはいま何をしているか。私の作ったオンラインサロンの中で、自主的にこの「数学的」であることの意味を知ろうとコミュニケーションを図っています。

吉本興行を数学的に説明せよ。

食べ歩きを数学的に説明せよ。

競馬を数学的に説明せよ。

エンタメを数学的に説明せよ。

・・・・・・・・・・・

どれも正解はない。考えることのみに価値があるお題。はっきりした答えがない問題。こんなものがなんの意味があるのかと。数学とはこうあるべきだと。とてもこれが数学の問題とは定義できない方もいるでしょう。この記事の内容が伝わらない人には、実にくだらないお題に思えるかもしれません。

しかし私は彼らはとても重要なことをエクササイズしていると思っています。なぜなら、「外に出る」訓練だから。「愛を捨てる」訓練だから。それができる人だけが、私の提唱するビジネス数学を実際に人に指導することができます。とても難しいことです。でも彼らはきっとできると思います。

私のインストラクター制度はどうでも良かった。

この記事をここまでお読みのあなたに伝えたいことはひとつです。

あなたは「考える」という行為において、フィルターを持っていますか

そのフィルターは様々なものがあるでしょう。しかし私は幸運にも数学というフィルターの存在を知ることができ、今もそれを使って「考える」という行為をしています。最近とても人気のある芸人ではないが、「悪くないだろう」と思っています。

思考はフィルターで決まります。フィルターが変われば全てが変わります。私たちはもっと自分のフィルターに敏感であるべきでしょう。

数学とは自由です。自由とは制限がない状態を指します。どう使ってもいい。どこに当てはめてもいい。どう加工してもいい。どこに飛んでいってもいい。

数学的に考えるとはどういうことか。

これは私の答えに過ぎない。

あなたはどう答えを導きますか。




noteは「自分が読みたいこと」を書いています。独り言ですのでご意見などのコメントは受け付けておりません。あらかじめご了承くださいませ。
ビジネス人教育、講師養成、作家、独自の数学でいろいろやっています。
あなたのお役に立てるものがあれば幸いです。




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