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620万字の真実 〜「なぜそんなに書けるの?」の答え〜


21冊目の新刊が無事にリリース。

あらためて、皆様の応援に心から感謝しております。

ありがとうございます。



〈マンガ〉数学女子 智香が教える 仕事で数字を使うって、こういうことです。



「なんでそんなに本を書けるの? すごいですね。秘訣は?」


という類の質問を本当によくいただく。

おそらくは、敬意を込めてのご質問だと想像する。

恐縮の極み。

ありがとうございます。



仕事によって、分野によって、著作物なんて必要ない方もたくさんいる。

別に本を書いているからいい、書いていないからダメということはないし、

書いているとしてその数が多ければ多いほどいいということもない。

売れた部数が多ければいい著者かというとそれも微妙。

1冊で大ホームランを打った人も素晴らしいですが、

地道に打率3割くらいを続けているシングルヒッターの人も素晴らしい。

そこに何の優劣もない。



しかし、とにかくよく冒頭の質問をされる。

特に同業(?)の方たちからよくされる。

それだけ知りたいことなのでしょうか。

なのでその答えを私はこのnoteで記しておくことにした。

いい機会ですので、著者・深沢真太郎としての思想をここにまとめておきます。

今回はあくまで「著者」として文字を綴ります。



今後、同じような質問をされたら、この記事を紹介することにしよう。

そして、僭越ながら「本当は書きたいのに書けない人」に向けたメッセージとしよう。

誰かのお役に立つものなら嬉しく思います。



途中、辛口の内容もあるかもしれません。

ですがひとつだけ約束できることは、本質をお伝えするということ。

小手先の話ではなく、逃げてはいけないど真ん中の内容です。

もしそういう話がお好みでなければ、ご興味なければ、

この先はお読み頂かなくて結構です。

そういう人のための文章ではないので。



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仮にビジネス書1冊が10万字だとします。

ざっと1ページ400文字。

21冊をリリースした私は、ざっくり210万字を商業出版物の中に綴った。

加えて、著者デビューしてからまもなく7年になる。

ブログや様々なメディアの記事、このnoteもそう。

専門家として、コツコツ文字を綴ってきました。

あまり皆さんはご存知ないと思いますが、

私はほぼ毎日、何かしら専門家として救うべき誰かのために文字を綴っています。

ざっと1日平均、1600文字と仮定する。

本にすると4ページ分、1エッセンス分としてはこんな文字量だろう。

1600文字。365日。7年間。


1600×365×7=4,088,000


ビジネス書の210万字を加えると、


およそ620万字


これが著者として私がしてきたことです。

私のような特定分野の専門家は出版することも重要な活動です。

それはブランディングのためとかビジネスにつなげるためとかそういうくだらない理由ではなく、

専門家として常にフレッシュで正しい情報を、必要な人に届けることは「使命」だと思うからです。

知らない人に、正しい情報を、知らない人にわかるように翻訳し、届ける。

これが専門家の仕事です。

他に専門家の仕事など、ありません。

620万字は、当然の行為です。


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出版という文字が表しているように、本は「出す」という表現が一般的のようです。

確かに私の周囲の著者さんたちも、出版社にお勤めの編集者さんたちも、

たいてい皆さん「新刊が出ました」と表現する。

もちろん私もそのように表現することは多々ある。



でも私の認識としては、

本は「出すもの」ではなく、「書くもの」なんです。




皆さん、私の本が出ることばかりに注目する。

私が普段どれだけ「書いているか」など、誰も注目していない。

別に注目して欲しいわけではありません。

私は「かまってちゃん」ではありませんから(笑)

ただ、本質を見てくれていないなーとは思う。

21冊という「結果の数字」の裏には、620万字という「行為の数字」があるということに。



620万字をスラスラと書いてきた。

ストレスなんて1秒も感じたことはない。

楽しくて仕方がない。

もし書きたくても書けない人がいるとしたら、

私の行為はそれはそれは不思議なこと(異常なこと)と思うかもしれない。

なぜその人は書けないのか。

その理由は大きく3つあるように思うのですがいかがでしょう。



① めんどくさいから
② 文章が苦手だから
③ 書くことが思い浮かばないから



裏を返せば、

深沢真太郎は「めんどくさい」と思わない理由があり、

「文章が苦手」でも書き続けられる理由があり、

「書くことが思い浮かばない」ことがないということです。

ひとつずつコメントします。



① めんどくさいから が理由の人へ

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(・・・めんどい)


なぜその人は書くことがめんどくさいのか。

はっきりいえば、その程度の愛しかないからです。


例えばあなたに好きな人がいたとします。

その人に想いを伝えたい。

直接伝えるのと、人に伝言を頼むのとでは、どちらを選択しますか?

おそらく、直接伝えることを選ぶでしょう。

その方がきっと伝わるでしょうし、

何より自分がその人に強く伝えたいことを誰かが代わりに伝えるなんて、

心情的にとても嫌だとは思いませんか。

たとえ上手な言葉でなくても、本人が直接伝えるのが一番いいはずです。


あの子とお付き合いしたい。

でも自分では告白したくない。(告白できない)

だから誰か僕の代わりに彼女に想いを伝えてうまく話をまとめてきて。

こんな人とお付き合いしたいと思う人、いるのでしょうか。

最悪な奴です。


同じなんです。

本は出したい。

でも自分で書きたくない。(書けない)

だから誰か僕の代わりにテキトーに書いて本にして出して。

そんな人が私の周囲にもたくさんいます。

先ほどの話と同じ。

たとえ上手な言葉でなくても、本人が直接伝えるのが一番いいはずです。

にもかかわらず、それをしない。

なぜ?


もし書かない(書けない)ということは、

ちょっと(かなり)厳しい言い方をすれば、

その人は誰かを救いたい、伝えたいといった想いが足りないのです。

想いがあれば、誰に強要されることなく書きます。

誰が読むかも保証のない文章を、勝手に、狂ったように、綴ります。

著者はヘンタイでなければならないという言説は正しいと個人的には思う。

それができないということは、単純にその人には想いや熱量が足りない。

単純に、書けない人は、書いていない人は、

読者になるかもしれない誰かへの愛が絶対的に不足しているのです。

その人に「自分の言葉で伝えたい」と思っていないのです。

そのことを、もう認めた方がいいと思います。



② 文章が苦手だから が理由の人へ

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(モー!うまく書けなーい!)


著者という言葉。

そもそも「著」とは書き記すといった意味がある。

著者は、書き記した人のことを指す。

何も書いていない、書こうとしない人が、著者になれるわけがありません。


加えて、「著者」とはあくまで書き記した人のことを指すわけであって、

上手に書き記す人のことを指すわけではない。

文章が上手とか、論理構造がどうとか、そんなことははっきり言ってどうでもいい。

そんなものは、出版社の編集者さんがどうにかする。

私もかつて(今も)そうですから。

とにかく自分で文字を綴っているのか、

自分の言葉で伝えているのかが大事なのではないかと思うわけで。


人々は上手な文章を読みたいわけではありません。

あなたのコトバを読みたいのです。

得意ではないから、下手だから、苦手だから、、、

そんな理由で書く行為をしていないとするなら、

あなたの伝えたい想いはその程度であり、

その相手への愛もその程度だということです。

そのことを、もう認めた方がいいと思います。




③ 書くことが思い浮かばないから が理由の人へ

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(わかんなーい・・・( ̄▽ ̄;) )


書いてもいないのに本を出したいと言う人ほど、

どうでもいいことをSNSで発信したり、呟いたりして遊んでいる。

まあその人の人生ですから自由です。

でもそんな時間があるなら、専門家として誰かを救う記事の1本でも書いたらどうかなと。

すべきことをしないくせに著者になりたい人、

私から見て、ちょっと遊びすぎているのではありませんかねーと思うこと多々。


なぜ書くことが思い浮かばないのか。

それは、その人が「本を出したいだけ」の人であり、

「誰かに伝えたい人」「誰かを救いたいと心から思っている人」ではないからです。


例えばあなたに好きな人がいたら、その人のことを思い浮かべ、

その人に伝えるコトバをたくさん想像するはずです♡

こんなことを伝えたら喜んでくれるんじゃないか、笑ってくれるんじゃないかと。

そんなことを考えていたら、いくらでも言葉は浮かんでくるし、気持ちもワクワクすることでしょう♪

もしそうでないとするなら、それはあなたがその人のことを好きではないからです。

書くことが思い浮かばない人は、誰かへの愛が致命的に不足しているのです。

そのことを、もう認めた方がいいと思います。




以上、3つについてコメントをしました。



ああ、やっぱりこういう結論になってしまった。。。(;´Д`A



すべてに共通する「書けない理由」は、「愛がないから」です。

誰も求めていない結論(笑)

著者なら、もっと具体的な書けるコツやテクニックをご紹介すべきでしょうか。

申し訳ありません。


そういう本質的じゃないの、大嫌いなので(・∀・)



とはいえ、熱量や愛がないものを「増やせ!」と言われても困りますよね。

好きになれない人を無理やり好きになれと言われても無理です。

人間は、そういう生き物です。

よって、結論はこうです。



自ら文字を綴れない人は、著者にはなれません。

なぜなら、自ら文字を綴れない人とは、

誰かに伝えたいというエネルギーが致命的に低い人のことだからです。

著者になりたいのなら、本を出したいのなら、

まずは一心不乱に書き続けられるテーマと出会うことです。

それ以外に、ありません。

ではどうやってそれと出会うか?

簡単です。

勉強することです。

本業で誰よりもチャレンジすることです。




私は今年からSNSでは公人としての情報発信以外はやめています。

友達どうしのくだらないコミュニケーション、

単に「いいね」をもらうためだけの遊びの投稿、

全て今年からやめました。

そんな遊んでいる時間があるなら、専門家として何かを書こうと思うからです。

むしろ遅すぎたくらい。反省。



私は今日も書き続けています。

誰も読まないかもしれない文章であっても、書き続けます。

面白いもので、そういう文章は誰かが読んでいたりするものです。

そんなことの積み重ねが、著者や専門家としての信頼になるのでしょう。



私が21 冊の書籍を世に送り出せた理由は、

簡単に言えばこの記事で書いたことが全てです。

これからも、頑張ります。


最後に、きちんと言語化して終わりにしましょう。

どなたかのヒントになっていれば、嬉しい。


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私はただ、書き続けているだけです。
勝手に、狂ったように、でも誰かを想って、
まるでヘンタイのように、決して上手ではない文章を、
誰かに読んでもらうことを期待せず、
ただ書き続けているだけです。

「なぜそんなに本を出し続けられるの?」という問いは、
正直申し上げて私には意味がわからない。
強いて答えるなら、「書き続けているからです」となるだろうか。
「なぜそんなに書き続けられるの?」という問いがあるとしたら、
その答えは「専門家なら当たり前のことだから」としか答えようがありません。

知らない人に、正しい情報を、知らない人にわかるように翻訳し、届ける。
これが専門家の仕事です。
他に専門家の仕事など、ありません。



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最後までお読みいただきありがとうございました。
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