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【Take Me To The Other Side Of The Moon】



道の先、手をあげる人

停車し、ドアを開ける

清潔そうな白い衣類に身を包んだ女性が乗り込み、尋ねる


「すいません、少しこの辺りを走っていただけませんか?お金はあります。先にいくらか渡しておきます。1万円、いったん渡します。お願いします。東京の街を走ってください」

「かしこまりました。では扉閉めますね。」


女性をのせたタクシーが走り出す。赤坂の街を出発し、やや混雑した下道を走る。


「すいません、へんなお願いをしてしまって。あ、お金、足りなくなったら言ってください。」

先程財布の中にたくさんの一万円札が入っていることをチラリと確認している。運賃踏み倒しのリスクは低そうだ。

「構いませんよ、お金さえいただければ、行き先はお客様のおっしゃる通りの場所まで運転しますので、どこか目的の場所が思いついたら言ってください。」

御徒町の松坂屋のあたり。時折大きな交差点で車は止まり、酔い始めの人々が楽しそうに道を渡る。


「何があったのかとか、聞かないんですか?」

「こちらから聞くことはございません。どこか目的地は思いつきましたか?」

「そうですね、どこかウキウキした気分になれる場所、そんな場所はないかしら?」

「御意。」


夜の東京、なんて不思議な街だろう、何もかもが新しいようで、何もかもが時代遅れのようで、とらえどころのない街。

「着きましたよ。」

「ここはどこかしら。」

「ウキウキした気分になれる場所でございます。」

「ぎゅ、牛丼屋さん?ここは牛丼屋さんではありませんか?」

「左様でございます。吉野家は三軒茶屋店であります。数ある吉野家の中でも夜の牛丼には定評がございます。」

「え、同じ吉野家さんでも得意不得意が?」

「否、天下の吉野家、提供している商品全てが全店舗の得意料理であります。しかしこの三軒茶屋店、夜8時以降は魔法のかかったように牛丼がさらに美味しく感じられる、そんな都市伝説がございます。論より証拠、ここは私の采配にお任せいただきたく。」

「なんだかわからないけれど、ウキウキしてまいりました。」

「ほら、届きました。こんなに早く大盛りの牛丼が。ここは私に倣ってください、生卵、まずはこいつを割ります。殻の中に揺れる卵黄を想像してください、たぷん、たぷん、白身の海に揺れる卵黄、これを私たちの手で世に放ちます。」

「お腹が空いてまいりました。」

「しっ、悟られてはいけない。卵に悟られてはいけません、どうぞ、心を穏やかに。割りますよ、あっ、あっ、割れたっ、白身に黄身も、うまく器に入れてください!こころ穏やかに!いきますよ、せーの、ほいっ、うまくいった!はい、卵、間髪入れず混ぜて、混ぜて混ぜて混ぜて、牛丼の上に!どろーん、はい、つぎ、紅生姜上に乗せて!見た目は気にせず!容赦なく!どどーん、容赦しちゃ、いけない、最高にうまい牛丼のためです、牛の供養と思って、そう、そうそうそうそう、そうです、いい紅生姜です、あぁもうがまんできない、かき込みますよ、牛丼が液体になったと想像して、ウキウキした気分に牛丼を全力でぶつけてください!ジャブジャブジャブ、うま〜んい!!痺れルゥ、お口が紅生姜で痺れルゥのに生卵の優しさが救済してくれるぅ、うまいです、うまいです、うまいです、これうまいです、ぎゅ、ぎゅうううぅぅぅぅぅ、うふん、牛が置き去りにされてるぅ、それぐらい紅生姜と汁だくの飯が卵と合わさって快楽ぅ、牛丼なのにこのギュウの影の薄さなに?大盛りなのに置き去りよぉ、助けなきゃ、ねぇ、ねぇ、ギュウを助けなきゃ、どうする、どうする、そう、そうだ、七味を!フリフリフリフリフリフリ、うま〜い、牛が息吹き返した、モゥモゥモゥって四つ足歩行開始した、もうこの鈍牛!鈍牛、鈍牛、鈍牛!ウスノロめ、うまさが出遅れるなんて、鈍牛!」

「だ、大丈夫ですか?急に人が変わったように…。」

「もちろん私は平気です。ウキウキは楽しんでいただけましたか?」

「はい、普段はあまり食べないのですけど、牛丼にこんな魅力があっただなんて、気づけてよかったです。」

「それはよかった。ではお支払いをお済ませください。タクシーへ戻りましょう、メーターを入れたままだ。」


やや足早に戻り、何事もなかったかのようにタクシーが走り出す。


「次はどちらまで?」

「そうね、何も知らない、新鮮な気分になりたいわ。」

「御意。」







タクシーはトゥーランドットを流しながら銀座へ向かう、誰も寝てはならぬ、パヴァロッティが歌い上げる。


「これより先、うかつに大きな声を出してはなりませぬ、幾分危険な場所ゆえ。」

「かしこまりました。」

由美香は小さな声でうなづく。


「いらっしゃいまし。」

綺麗な白木のカウンター、凛とした板前さんの立つ鮨屋だ

「くれぐれも、大きな声を出されぬよう。」

「ここは?」

「銀座のとある鮨屋です。あるセキュリティ業務のため店名を告げることはできませぬが、今夜ここに、とあるVIPが食事をされる予定となっています。そこでこの私が前もって毒味をしておく、そういった任務です。」

「なるほど…。」

「このVIP、高級なネタを好むと聞いています。その辺りを重点的に調べてまいりましょう。私は怪しまれぬよう、観光で来た外国人のふりをします。」


お任せで握られていく鮨をひと通りたいらげ、男は歓喜する

「ウー二、
オートーロ、
ヒラーメ、オイシーイネ
イクーラモサイコウダヨ
エンガーワモットチョウダイ
オイシーイネ
ワタシジャパンヲリスペクトシマス
スーシーハアートデスネ
コノアワビトイウカイデスカ
コレモマタワンダフル
ガリ?ケッコウデス
ムリョウモノワタシキョウミナイネ
リンリンリンリンリン、ギョグンタンチキガハンノウ
コウキュウギョノソンザイヲカンチ
コウキュウギョダケツリアゲテチョウダイ
タカイノカラチョウダイ
モウイチラウンドタカイノカラチョウダイッテイッテマス
シッカリトアツメニキッテクダサイネ
ウムム、マツカワガレイトイイマスカ
コノアウトスタンディングナスシハ
ウマスギテムナクソワルイデス!
イママデタベテキタスシスベテニフマンゾクヲオボエルクライダヨ!
カコヘサカノボッテデモネ!
ツミナオミセダヨホントニサ
スッカリワタシハエドノオスシニドクサレテシマッタヨ、
ホントニサ!」

「ど、毒された?大丈夫ですか?」

「しっ、どうか落ち着いて、確かに私は毒されてしまったようです、そうだ近くに漢方を処方してくれる中国系のお店がある、そこへ行き治療しましょう、さ、早く、お会計を済ませてここを出ましょう、私には時間がない、くっ、毒が回り始めてきたようです!」

急いでタクシーに乗り込み、向かった先は銀座アスター本店。

「はぁはぁ、どうやら間に合いました、そう、ここにフカヒレというサメのヒレを乾燥させた漢方がある、それを頂けば解毒となる。ぐふっ、しまった、毒がだいぶ回ってきたようだ、すいませんが、フカヒレのスープを、3人前、3人前もあれば毒もなんとかなるはずだ、ううっ、いそいでフカヒレの煮込みを3人前、注文して頂けませんか、う、ううっ、く、苦しい、苦しい、苦しいっ、」

「すいません、私のわがままのためにこんなことに…」

「どうか、ど、どうか、お気になさらぬように、お客様の望む行き先まで安全にお届けするのが私の務めでありますから、さぁ、きたきた、解毒の漢方が!わぁ、こいつはうまそうだ、湯気までうまいぞ、んまふふ、いったダッキまぁ〜す、いったダッキマンモ〜ス!」

ズビズビズビズビズビズビッ、フカヒレを下品にもすすり込む音が店内に響き渡る。ヂュルヂュルヂュルヂュルヂュル

突然由美香が語り始める

「サメさん、サメさん、大事な忘れ物、背中のヒレの忘れ物!雨の日は多いのよね、背鰭の忘れ物、千葉中央駅まで回収に行って頂戴、乾燥してるから日持ちはすると思うな、急いで回収を、雨で濡れでもしたら大変よ、背中のヒレの忘れ物!」

「どうしました、急に?」

「いや、すいません、ドライバーさんが楽しそうに何かを食べるのを見てたら、私まで何かに身を任せたくなったんです。頭に映る情景、それを言葉にしてみよう、そう思ったんです。」

「そうですか、それならよかった。さぁ、車へ戻りましょう、メーターは進むばかりです。」

「はい、そうしましょう、漢方もきいてきたようだし、次の場所へ行きましょう。」




タクシーの中にはBOOWYのDreamin’が流れている。彼女の中の何かが変わり、この旅が彼女にとって大事なターニング・ポイントとなるのだろう。





「お客様、もう今日が終わります。どこか行き先は思いつきますか?」

「もうすぐ、行き先が思い浮かびそうです、そうだ、少しお話をしましょう。タクシーを走らせながら、お願いします。止まらずに、走ってください。」

「かしこまりました、何について話しましょうか。」

「ドライバーさん、なぜタクシーのドライバーに?」

「そうですね、私はね、夢を見てるんです。でも具体的に何になりたい、そういったわけではない、じゃあなんの夢をみてるのか、誰かの夢をみてるんです。なんでもない自分がね、ある日突然誰かになる、毎日いろんな人を乗せてるとね、そんな錯覚を覚えながら、他人の人生を少しづつ経験していく。優れた書物を読むような感覚といえばいいのでしょうか、ほんの数ページだけれど、自分の中にその人の感情や思想、哲学が入ってくる。それが自分の何かの夢に繋がっていくのか、そんなことはわからないけれど、私は今もそうやって夢を見てるんです。誰かの見る夢を。この感覚の意味を知りたくて、気づけばもう10年、この仕事を続けてます。」

「見えますか?私の夢。」

「ええ、見えますよ。」






「このタクシーに乗ってよかったわ、ありがとう、ドライバーさん。」

「そういっていただけると光栄です。さぁ、行き先を。まもなく今日が終わります。」

「東京の真ん中へ、東京の真ん中へ私を連れて行って!」

「御意。」




街には人が溢れていた。人工の光が街の時間を進める。音、光、匂い、これが東京の真ん中。

海の中にいるようだ。時に強い潮に体を持っていかれるかのように、人の波にさらわれる。何万もの月の光が水面を照らし、人はさらに明るい光を求めて彷徨い続ける。

雑踏のその先、車もろくに通れないほどとっ散らかった路地のにその店はあった。もう深夜に近いというのに、人の賑わいはすごく、2人は奥まった席へ案内される

「ここは?」

「見ての通り、新宿の中華料理屋です。日本語はあまり通じませんが、うまいことで有名です。この街の夜の胃袋を満たし続けてもう何十年にもなる。そんな店です。」

「そんなお店、すごい…なにを、食べましょうか。」

「その心配はご無用、食べたいものは決まっています。」

男は慣れた感じで店の女性に注文をし、その女性がその場で厨房にオーダーを通す。店員が大きな声でやりとりする様子に、この場の熱気を感じる。

勢いよく鍋と火と食材が擦れ合う音がテンポ良く響き、オタマの鍋底を叩く音が高く響くころ、料理が出来上がる。

イカを油通しし、青菜と炒めたもの、塩漬けの雪菜と豆腐の炒め物、手早くできる料理に、クラゲなどの冷菜、キノコのスープ、豚の旨煮、贅沢な食材を使ったものではないが、見た目も香りも存分にその旨さを伝えてくる。

「あふっ、あふっ、あふっ、あふい、あふいけどおいひい、あぁん、イカのこのプリプリ、ねぇ、いつからこんなプリプリになったってのよ、ねぇ、なに、炒めた野菜シャキシャキしちゃって、それになに、このクラゲ、コリコリコリコリ、不快なくらい歯に挟んで帰ってやる、後で偶然見つけて、舌でねしくって再度美味堪能してやるんだから!明日のさ、予定とかさ、もう気にできないくらい胃に詰め込んでやるんだから!他人の金で、詰め込んでやるんだから!」

すごい食欲に由美香は圧倒されっぱなしだ。

「このメス豚!旨く煮切られやがって、今日と言う今日は絶対に許しませんことよ、このメス豚野郎め!なんだいそのあられもない姿は、丸裸じゃないか、悪いのはこの桃尻か、悪いのはこの桃尻か、応えてごらんなさいよ、このメス豚、なんだってこんなに美味しく煮られてるんだい、いつからだい!いつから煮られてるんだい!煮られて煮られて煮られっぱなしでさぁ、恥ずかしいと思わないのかい!だからいつまでもメス豚よばわりされるのさ!ほんっとに恥ずかしいよわたしゎ、こんな姿ばかり見せつけられてさぁ、なんか返事をしい!」

「あ、あのう、お食事中すいません、相談があるんです、ドライバーさん。」

「あぁ、どうされました?」

「実はわたし、お金はたくさんあるんです、でも人生を何か変えたくて、今日はこんな無理なお願いをしたんです。私、海外へ出たい。なにができるわけじゃないけれど、世界を知りたい!自分を試してみたいんです!」

「そうですか、とうとう悩みを打ち明けてくださいましたね、ここは私なりの見解を述べさせていただきます。あくまで私の見解です、答えではありません、答えは自分で出してください。」

「はい、ドライバーさんの見解、きかせてください。」

テーブルの上の料理はあらかた食べ終わっていた。杏仁豆腐が運ばれてくる

「まず、今のあなたが海外へ生活の拠点を移すとする。まず語学、何か第二言語を話すことはできますか?」

「学校で教わった程度の英語です。でもわたし頑張ります!」

「よろしい、あまり流暢でない英語、たくさんあるお金、ビザはどうするおつもりか?」

「学生でもいいんです、まずは現地での生活を。そのためにお金だってあります。」

「よろしい、学生ビザで現地へ渡航する、お金は十分ある。英語は現地で学ぶ。十分です、あなたは現地で何も変えることはできないと思う。」

「な、なぜでしょう?」

「現地に住む、現地で生活の基盤を築く、これは大きく違います。あなたは現地に住むことができる。明日からでも。でもそれは貯金を切り崩して現地にいるだけに過ぎない。なぜならあなたの目標は現地にいることのように聞こえるからです。そこで何を成そうというものではない。」

「といいますと?」

「まず、おそらくあなたは現地でいい仕事を得ることができない。言葉の壁が立ちはだかります。流暢に現地の言葉を話すわけでもなく、なにか特別な技術があるわけでもなく、ただ金だけがある。1番危険です。誰かにカモにされるかもしれない。危険です。
奥へ来てください、厨房の1番奥、洗い場の若い子がいます。おそらく留学生でしょう。日本語があまり得意なわけではない、だから同じ国の人たちの働く場所で働いている。必死に毎日勉強して、さらに今できる仕事をこなして、1日が終わる。あなたは彼になる覚悟はありますか?毎日遊ぶ余裕なんてないです、誰も知ってる人のいない街で、頼りにできる人もなく、お金だっておそらく限られている。あなたにできますか?そこまで頑張る覚悟はおありですか?そこまでして頑張った後、その場所であなたはなにになるのですか?彼は努力が実れば立派な学業を修め、未来を生きるでしょう。ではあなたは?」

「ドライバーさん、わたしは自分を変えたいとか、嘘をついていたのかもしれません。自分を変えるだけなら、今ここでもできますもんね。真剣に答えてくださってありがとうございます。」

「いえ、安易に人生を踏み出すよりか、今は考える時期なのでしょう。」

「そうかもしれませんね、本当に今日はありがとうございました。」

「街を案内した甲斐があります。」

「杏仁豆腐、私もいただいていいかしら。」

「もちろん、あなたの支払うものですから。」




中華屋をでて、タクシーへ乗る。

「ご自宅まででよろしいですか?」

「はい、お願いします。港区の方へ。」

「御意。」




 ビル・エバンスのThe Two Lonely Peopleが流れている。長いドライブだった。





「ドライバーさん、そこを左に曲がったところで止めてください。」

「かしこまりました。」

「月が綺麗、ねぇ、ドライバーさん、月の裏側へ連れてって、もし私がそう頼んだら、どうします?」

「もちろんお支払い可能であればお連れします。お時間はいただきますが。でもね、月の裏側へ行っても、そこには月の裏側があるだけですよ。」

「そうね、そうかもしれない。でも時々ね、月の裏側でなきゃいけないこともあると思うの。表だけをみていては見えないもの、そんなものもあると思うの。だから実際にそこへ行ってみる、そんなことが大事なことになる時期も人生にはあると思うの。」

「そうですね、そんな時期もあるかもしれない。でもね、月の裏側ったって、あれは球体です。ビックリマンチョコのシールみたいに表に絵が描いてあって、裏に説明が書いてあるってわけじゃない、球体、ただこっちから見えないから裏側って我々が呼んでるってだけです。全部ひとつづきなんです。」

「お支払いはいくらかしら。」

「こちらです。領収書は?」

「領収書は結構です、私、お金だけはあるんです。」

「ええ、知ってますよ。」

「本当に今日はありがとう、不思議な旅、もう何日もそうしていたような、不思議な旅。」

「こちらこそ、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。」




帰り道、月に照らされてタクシーは東京の街を走る。

月の向こうから、自分たちはどう写るだろう、そんなことを考えたが、すぐに、やめた。



道の先、手をあげる人

停車し、ドアを開ける

少し酔った様子の派手な格好をした女性が2人、乗り込んでくる



「お客さん、どちらまで?」

「朝日の綺麗に昇る町まで連れてってちょうだい。」

「御意。」








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【完】







本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。